永久の誓い〜T〜








「兄さん、話があるんだ」


風呂に入り夕食の片づけも終わり、後は休むだけになった時、僕は兄を居間へと呼んだ

長くなるだろう話の為に、お茶の準備も整えて

兄は少しだけ訝しげな顔をして、それでも黙ってソファに座ってくれた



気まずい沈黙が訪れる。この期に及んで尻込みしてしまう自分に僕は呆れた



話さなくては。いつまでも隠せる事じゃない。最後まで隠し通せる事じゃない

それなら兄には知っていてもらわなければいけないのだから

今から少しずつ理解していってもらわなければー



その時、突然兄がぽつりと話し出した



「アル、最近少し様子がおかしかったよな。…話ってのはそれが関係してるのか」

兄のその言葉に、僕は弾かれたように俯き加減だった顔を上げた

すると目に入ったのは、静かな目で自分を見詰める兄の姿



…気付いてたのか。それでも気付かない振りをしていてくれたのか

そんな兄の姿に、少しだけ肩の力を抜く事が出来た。話すならやはり今しか無い



「兄さん。僕は…、いつか遠くない未来に、貴方の傍を離れる事になると思う」

僕の言葉に、兄の目が一瞬細められた。それが怒りの為かは分からない



「それは…、どういう事だ?アルが俺の傍を離れる?

 就職だって同じ研究室になって、これからは同じ所で一緒に働けるってのに?

 もしかして働きだしたらこの家を出たいって、そういう事なのか!?」

兄はギリッと膝の上に置いた拳を震わせながら、それでも怒鳴らないように懸命に自分を押さえているようだった

僕はゆっくりと首を振った。この家を出たいなんて思った事はない



「違うよ。そんな事じゃないんだ。…これを見て」

今の僕の状況を口で説明するよりも、検査結果を診てもらった方が早い。残酷なようだけど

それでも兄には全てを把握してもらわなくては



渡されたデータ類をざっと見回していた兄の目が、次第に驚きの為に見開かれていく

紙を持つ手が震えている。今度は怒りの為では無かった

こめかみから大粒の汗が流れている。兄はそれすら気付いていないようだった



やがてゆっくりと書類をテーブルに置き、ソファに体を投げ出すようにドッカリと座り直すと

額を昔よりも大きくなった手で押さえ、俯きがちに声をかけてくる



「…いつから体の異常に気付いてた」

「…最初はそれとは気付かなかったけど、1ヶ月くらい前かな。背中や腰に痛みを感じたんだ。

 それこそ筋肉痛か神経痛か何かで、放って置けば治るだろうとしか考えてなかったけど。

 でも移動する痛みは全然消えないし。動くと息も止まりそうな激痛がくるようになって。

 それで大学の付属病院に行ってみたんだよ」



病院に行く時には、何となく漠然とした予感があった

それは予感というよりも、人体錬成を行う為に生体について研究していたアルフォンスの知識故の事だったかもしれない

それを専門とする医者ではないが、人体の構造、その成り立ちを熟知する故の予感


だからこそアルフォンスは、最初から整形外科等には行かずー、彼が検査を受けに赴いたのは血液内科だった



「病院に行ったのは2週間くらい前。初日の検査でー、尿検査でMたんぱくが出てね。貧血傾向もあったし。

 疑わしい結果だったから、その日の内にレントゲンで骨の破壊状況も調べて、骨髄液も採取した。

 結果が出たのが一昨日。…黙っててごめんね」

僕がそう言うと、兄が苦笑しながら「アルはずるいよな」と言った。先にそんな風に謝られたら、もう何も言えない

うん、そうだね。ごめんね、ずるくて



「医者は、何て言ってる」

「とにかく早く入院しろって言われた。そしたらまず化学療法を開始するって。もっと検査も進めないといけないし」

「・・・ステージは」

ステージ【病期】。それを口にする兄の口調には躊躇いがみられた

兄にも検討はついているのだろう

「…Vの条件は少し外してるから、Uという事になるね」





「どうして」

絞り出すような声で、兄が呟いた



「どうしていつもお前なんだろうな」

その声が少し震えているから、泣いているかと思ったけど



「持ってかれた時も、お前だけ全てを奪われて。やっと取り戻したのに、今度はこんな…!!」

兄は泣いてはいなかった。それよりももっと辛い酷い顔をしていた



だから僕はソファから立ち上がり兄の傍に近寄ると、その足元に跪き太股に乗せられ握りしめていた拳に手を添えた

すると兄は顔を覆っていた手を外し、僕の顔をゆっくりと見た





ー僕からすると、なぜいつも兄さんばかり、と思うのだけど



自分の事よりも僕を思ってくれる兄さん。近しい存在にとても弱い兄さん

これが自分の事だったら、却って兄さんはもっと楽に考えられただろう



でもそれが僕だった為に、きっと貴方は誰よりも、僕自身よりも苦しんでしまう

体よりももっともっと傷つきやすい、その誰よりも優しい心を痛めてしまう



そんな貴方がとても愛おしいのだけれど

だからこそ、一人残していく事がとても心配だった





「明日、手配するから。軍の病院に入れ。セントラルではあそこが一番設備も医者も揃ってる。研究所も近い」

兄は人体に関する研究も続けていた。その為軍の病院とは共同研究をする事もあったので繋がりが深い



「うん、解った。今までの検査のデータ、まだ少しもらってないのがあるんだ。それももらえるように手配しとく」

「いや、それもこっちから依頼しておくよ。その方が良いだろう」

そんな話をしながら、兄が必死に落ち着こうとしているのが分かった。僕に負担をかけたくなかったのだろう



そんな風に頑張らなくて良いのに。辛い思いをさせているのは僕なんだから

これからも辛い思いをさせてしまうのだから



「きつい、治療になるかもな」

今は生身になった右手を僕の頬に滑らせて、優しく撫でてくれる

兄さんが僕に触れてくれるだけで、いつも心の底から安心出来た

子供の頃から、手の温もりを感じる事が出来なかった鎧の体の時さえも、そして今も



この手を離せなかった僕を許して

…こんな事を考えている僕を、許して



「兄さん、僕は体の辛さなんかは何とも無いよ。どんな事にだって耐えてみせるから」

そう、それは本心。痛みとか苦しさとか、そんな事はいくらだって耐えられる



耐えられないのは、この目の前の大切な人を悲しませる事

大事な人が、自分の為にまた過ちを犯す事


それくらいならー





二人で生きてきた。ずっと一緒だと誓った


ならば








選択肢はもうひとつ、増える























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