輪廻ーUー
「子供の頃から違う自分の記憶があったんだ。」
三人で一頻り泣いた後、アルは少しずつ今までの事を話し始めた。
脳裏に浮かぶのは見たことの無いはずの風景。会ったことのないはずの人達。断片的に蘇る記憶。
子供の頃はそれを親に話したりもしていた。
だけど大人達は、子供の空想だと取り合ってはくれなかったので、次第に話すことも無くなっていった。
その記憶が自分ではない自分ー、過去世のものではないかと確信したのは10歳の誕生日を過ぎた頃。
村にひとつしかない教会の、ひびが入った十字架を直すため、錬金術師が招かれた時だ。
それまで村には一人も錬金術師はいなかったから、錬成を見る機会など無かったけれど。
村人が見守る中、十字架の錬成を行った術師の陣形と錬成の光を見た時。
酷い頭痛と共に頭の中を駆けめぐったのは、識りようの無いはずの錬金術の知識。その膨大な量。
パニックを起こしそうになりながらその日から錬金術に関する本を読みあさり、時々途切れてちぐはぐになりそうな
術に関する記憶を繋ぎ合わせていく。その頃から今まで見ていた夢の内容が少し変わっていった。
今までは自分が住んでいる村とあまり変わらないような穏やかな風景ばかりだったのに、ある時は列車に乗っていたり、
ある時は大きな軍の施設の中にいたり。でもそんな中いつも変わらない存在がいた。
どんな場面でも必ず傍にいた、金色の髪と瞳の男の子。いつも自分に差し伸べられた手。
彼が誰なのか名前すら分からなくて。彼が自分を何て呼んでくれているのかも分からなくて。もどかしくて仕方なかった。
「ひと月前に両親が事故にあって亡くなってね。落ち込んでいた僕に友人が写真集をくれたんだ。」
それはあちこちの村や森や海を撮った風景の写真集だった。
「その中にこのリゼンブールの写真が一枚だけ載ってたんだよ。」
それを見た瞬間、ここだ、と思った。ここなんだ、自分が以前住んでいた所は。
それに気付いた時には、もう堪らなくて。気がついたらリゼンブール行きの列車に飛び乗っていた。
見たことのないはずの、でも懐かしい風景に誘われるままあてもなく歩いて辿り着いたのは小さなお墓。
そしてそこでエドワードと会ったのだ。
会った瞬間、この人だと分かった。誰だったのかも分かった気がした。
霞がかった記憶の中の面影よりも、もっと大人になっていたけど。
でも分かったのと同時に頭の中に今まで見てきた記憶と見た事のない記憶とが一辺に蘇ってきて。
体が冷えていくのと、足元から力が抜けていくのを感じて。
気がついたら、ベットに寝かされていたのだ。
「倒れている間に、一気に記憶が蘇ったよ。ダイジェスト版の映画を見ているみたいだった。」
そう言って笑うアルフォンス。
だが、エドは少し複雑だった。アルが生まれ変わってこうして会えた事は嬉しい。
だけど、過去世の記憶を取り戻したという事は、その過去に自分達が犯した罪をも思い出したという事だ。
本来なら全てを忘れて、新しく生きる事が出来るのに…。
またアルが苦しむ事になりはしないだろうか。それだけが気がかりだった。
「思い出して良かったのか…?」
躊躇いながらそう聞くと、エドの気持ちを察したのか笑いながらアルは答えた。
「良かったんだよ。だって思い出したからこそ、こうして兄さんと話せてる。」
「辛い事も楽しかった事も、全て思い出せて僕は嬉しいよ?それは全部兄さんとの大切な思い出だから。」
「しっかしあれねー。アルってば見た目しっかり美少女なのに、口調は男の子ってのどうなの。」
「美少女ってウィンリィ…。それがね、さっき倒れる前までは普通に女の子の話し方してたんだよ。
記憶はあっても自分の前世の名前とか性別とか知らなかったし。
でもこうして全部思い出しちゃうと駄目だね。何だか気恥ずかしいし、前みたいにはもう話せないよ。」
「おいアル。面白そうだから女の子みたいに喋ってみろよ。」
「兄さん、僕の話聞いてた…?」
でもあれだね。とアル。
「兄さん、手足機械鎧のままなんだね。」
少し寂しそうに言うアルに、ああ、とエドが答える。
「これで不自由は無いしな。ウィンリィが腕を上げて軽い機械鎧を付けてくれたしよ。」
そうそう、とウィンリィ。
「その後ね、こいつったら遅まきながら成長期が来たらしくてさ。身長も一気に伸びたのよ。」
昔はあんなに豆だったくせにねー。と笑う幼馴染みに、豆は余計だ!とがなる兄。
その様子をアルは嬉しそうに見詰めていた。
「兄さんもウィンリィも全然変わってなくて嬉しいよ。」
そう言って微笑むアルに、いや変わっただろこいつ、子供二人生んでからさ、腰回りとか太くな
余計な事よ!ウィンリィのスパナが炸裂して、兄は見事にひっくり返る。
やっぱり変わってないや。と苦笑しながらもアルは楽しそうだった。
その日の夕食はウィンリィの家で食べることになった。
ピナコばっちゃんが二年前に亡くなっていたのはショックだったが、ウィンリィには新しい家族がいて幸せそうでホッとした。
取り合えず、エドワードの遠い親戚と紹介され、初めて会ったウィンリィの旦那さんは、とても優しそうで。
兄さんに全然似ていないのが、ちょっと意外だった。
兄さんと家に戻って、二人で色んな話をした。いくら話しても話足りないぐらいで。
こうしてまた傍にいるという奇跡が嬉しくて仕方なかった。
だから、この奇跡を終わらせたくなくて、僕は思いきって兄さんにお願いする事にした。
「兄さん…、僕ここで兄さんと一緒に暮らしたい。…駄目かな?」
上目使いにらしくもなく躊躇いがちに聞いてくるアルに笑みが零れる。
「アル。俺がそれを駄目だなんて言うと思うか?」
途端にアルがパアっと顔を明るくする。それを見てエドもにっこりと笑うとアルの頭を撫でた。
「あ、それじゃあ、一旦村に戻って荷物を持って来なくちゃ。それに家も処分しとかないとね。」
「荷物は兎も角、家は処分する事は無いんじゃないか?お前の両親が残した物だろう?」
エドの言葉にアルは首を振り「もう僕には必要ないから」ときっぱり答えた。
「そっか…。じゃあ、荷物いつ取りに行こうか?」
「え?兄さんも一緒に行ってくれるの?」
「お前なぁ。引っ越しだったら男手がいるだろう?1人でなんか行かせられるか!」
結局アルの村にはウィンリィも一緒に行くことになった。ウィンリィ曰く、
「あのねー、私たちにとってはアルだけど、あちらの村の人たちにとっては両親を亡くしたばかりの15歳の女の子よ?
いきなり見たこと無い男が一緒にやってきてアルを引き取るって言っても、不審がられるわよ。
こういう時は女も一緒の方が良いの。」
あんた目つき悪いし。柄悪いし。
柄が悪くて悪かったな!と最初は怒ったエドだったが、ウィンリィの言う事にも一理あると思い同行を頼んだ。
「アル!アルフィーネ!!」
「マシュー…。」
大声で自分を呼びながら駆け寄ってくる人物の姿を認めてアルの顔が心なしか曇る。
「アル、リゼンブールで暮らす事になったって聞いたけど本当なのか?一体どういう事なんだ!」
「どういう事も何も…。そのままだよ。私はリゼンブールに行くの。この家も処分するし。」
「だから、何故…。」その時やっと後ろにいたエドに気付く。
「あんた、あんたがアルの身元引受人になるっていうヤツか?あんたアルに何を言ったんだ!」
「マシュー、止めて!!」
アルが二人の間に割って入るとマシューを睨みあげた。
「私が頼んだの、私がリゼンブールで暮らしたいからとお願いしたのよ!」
−兄さんと一緒に暮らしたくて−それは言えないけど−。
アルの言葉を聞き、マシューの顔が一気に歪む。それは今にも泣き出しそうなほどだった。
「アル…、俺の気持ちは知っているだろう?俺はずっとアルだけなんだ。将来は結婚して欲しいと…。」
「マシュー。」
睨みあげていた目を一瞬少しだけ細めたアルは、それでもマシューの目を真っ直ぐに見つめ直した。
「貴方の気持ちを受け入れる事は出来ないの。今までもこれからもずっと。貴方を友達以上には思えない。」
「アル…。」
その最後通知を聞き、マシューの顔に絶望の色が浮かぶ。アルが本気で言っているのは間違えようが無かった。
「もしかして…。」
絞り出すようなマシューの声。
「もしかして、好きなヤツでもいるのか?」
その台詞にアルの肩が少しだけ揺れた。
「なあ!いきなりリゼンブールで暮らすっていうのは、あっちに好きな男でもいるからなのか!?」
そう言いながらアルの肩を掴もうとした手は、アルの後ろでジッとしていた人物によって遮られた。
「お前、もうその辺にしとけ。これ以上アルを困らせるな。」
行くぞ、アル。とアルの肩を抱き寄せて家に戻ろうとしたエドに促されてマシューに背を向けたアルだったが数歩で歩みを止めた。
「いるよ。」
顔だけマシューを振り向くと切なげに、だけど見た事も無いような柔らかい表情で告げた。
「いるよ。大切な人が。ずっと昔からその人しかいなかった。他には何も要らないぐらい大切な人が…いるよ。」
行こう、兄さん。エドにしか聞こえないような小さな声で促し歩き出す。二度と振り返る事は無かった。
「アルフォンス、さっきのヤツだけど…。」
言いかけたエドの台詞を遮るようにアルは話し出した。
「あー、兄さん、ごめんね?変なとこ見せちゃってさ。彼…マシューって言うんだけど幼なじみでね。
前から好きだって言われてたんだ。そのつもりは無いってずっと断ってたんだけど。」
僕って結構モテるんだよ?と戯けたようにいうアルフォンスにエドは複雑な顔をした。
「あそこまできっぱり言っとけばマシューも諦めてくれるよ。」
「じゃあ、全部あいつに諦めさせる為…?」
・・・さっきの台詞は本当に本心からのものだ。自分は今の生を授かる前、アルフォンス・エルリックだった頃この兄しか目に入ってなかった。
何よりも誰よりも大切で…。家族だからとか兄弟だからとかそんな言葉では説明できないくらい。
それは新しく生まれ変わり、過去世の記憶を取り戻した今、まったく色褪せることなくこの胸に鮮やかに蘇った。
一度無垢に戻ったはずの想いは変わる事無く今の自分のものになっている。
「…だってさ、あそこで好きな人なんていないって言っても、マシュー納得してくれそうも無かったし。
それにまったく嘘を言ってる訳じゃないよ?リゼンブールには兄さんがいるんだし。大切な兄さんがね!」
恋人がいるなんて僕言ってないもん。嘘じゃないもん。そう言ってニッコリと笑った。
笑えてるだろうか。自分は。不自然じゃないように、戯けたように、ちゃんと笑えてるだろうか。
気付かれたくない。弟としての自分を受け入れてくれている兄にこの感情を。
気付かれたくない。本当は貴方の弟だった頃から兄である貴方に兄弟以上の感情を持っていたなんて。
あの頃まだ自分は、自分の本当の気持ちを理解してなかった。
尋常ではない執着心も愛しさもたった二人っきりの兄弟だからと変に納得してしまっていた。
こうして生まれ変わって、自分の魂は間違いなくアルフォンス・エルリックで、兄さんの弟だった時の記憶も想いもすべて
忘れてはいないし、兄さんも僕を弟のアルフォンスだと認めてくれたのに。
たとえ体は変わってしまっても兄さんにとって僕は弟である事は変わらない。兄さんが兄さんである事も変わらない。
変わってしまったのは、自分の中の兄さんへの想い。いや違う、想いは変わってない。自覚しただけだ。
エドワード・エルリックを兄としてではなく、1人の人間として愛していたということを。
こんな自分の気持ちを知ったらどうするだろう。
無邪気に自分を慕っていたと思っていた弟に、そんな感情を向けられていたと知ったら…。
いくら兄さんでも、きっと軽蔑する。もう二度と側には置いてもらえない。それだけは嫌だ。
ーマシューの事は幼なじみとして、友達としては大事だった。出来れば自分の事などちゃんと吹っ切って欲しかった。
だから彼には自分の本心を伝えたかったのだ。でもその事で兄は疑問をもったかもしれない。
マシューを恨んでしまいそうだな。八つ当たりぎみだと解っていたけど、そう思わずにはいられなかった。
話を聞きつけた学校の友人達が家にやってきて、別れを惜しんだり元気でね遊びに来てねと声を掛けてくれる。
その中にマシューの姿はなくて、みんなは不思議がっていた。
その日の内に全ての手続きを終わらせて、みんなが駅まで見送ってくれる中、僕は兄さんとウィンリィと共に村をあとにした。
もう来る事は無いだろう故郷。15年暮らした村。
だけど記憶を取り戻した今の自分にとって、どこかこの村の存在は遠い。
15年過ごした村よりも、10年しか過ごさなかったリゼンブールの方が故郷だと思えた。
それはきっと時間の長さよりも、どう過ごしたかが重要だからなのだろう。
兄がいて自分がいた、あの懐かしい村でもう一度兄と共に暮らせる事に目眩がしそうな程の幸福感を感じていた。