輪廻〜T〜
ー16年後ー
弟を失った時、俺は殆ど狂っていた
来る日も来る日も弟の名を呼び続け、冷たい鎧を抱きしめて離さなかった
気を失って、でも目覚めるとまた同じ事を繰り返す日々
正気を取り戻したのは1年近く経ってから
その後望んで軍に正式に入ったのは、何かに没頭したかったからだ
弟がいないなら賢者の石などもう必要ない 自分の手足を直したいとは思わない
だが賢者の石の代わりに縋り付く物が欲しかった 何かをしていないと壊れそうだった
何度ももう一度弟を錬成しようかと思った それが駄目なら死んでしまいたいと思った
でも弟の最後の言葉を、願いを聞かない訳にもいかなかった
それがどんなに苦しい事でも
入隊して正式に軍の一員となって10年経ち、大佐の地位についた後俺は退役した
里心でもついたのか、弟と過ごしたあの村を思い出す事が多くなっていたので
5年前に故郷であるリゼンブールに戻ってきて1人で暮らしている
表面的には穏やかに見える暮らしは、それでも緩やかに過ぎていった
でも俺の心の中はいつだってたった1人の存在が大きく占めていて一時たりとも忘れる事を許さなかった
俺だって忘れたい訳では無かったので構いやしなかった
家の裏にある小高い丘には母さんとアルの墓があった
正確に言うとアルのは墓とは言えないかも知れない だってアルは埋める骨すらなかったから
だから俺は長い事弟の体になっていたあの鎧を粉にして、骨の代わりに埋めた
ここに来るのは大事な日課だ 時には一日の大半をここで過ごす事もあった
自分とウィンリィとその家族(ウィンリィは8年前に結婚した 今では2児の母だ)しか来る事の無い場所は
とても静かで自分にとってもっとも安らげる所だった
だが、その日 あり得ないはずの事が起こったのは、その大切な場所からだった
いつものように花を持って二人の墓に向かう。そこには見慣れない少女の後ろ姿があった。
狭い村だから村人は皆知り合いだ。だがこの少女は初めて見た。
「何か用?」
そう声を掛けると弾かれたように少女が振り向いた。蜂蜜色のハニーブロンドがふわりと広がる。
その少し驚いた表情を何故か知っているような気がした。
「貴方は…?」
そう訪ねる少女に肩を竦めて答えた。
「この墓は俺の家族の墓だ。あんた、この村の人間じゃないよな?迷ったのか?」
その質問には答えず、少女はエドの顔をじっと見詰めていたが、ふと表情が曇ると手で口元を押さえた。
見る見るうちに額に汗が浮かび、顔色も青ざめていく。その変化にエドワードも焦った。
「お、おい!大丈夫か!?」
ふらつき始めた体を支えようと、咄嗟に手を延ばした途端少女の体は力を失いエドの腕に頽れる。
その瞬間。
「兄さん…。」
少女が小さく呟いた言葉に、その響きにエドは呆然とした。
「ねえ、エド。あんた本当にこの子に変な事したんじゃないでしょうね?」
少し胡乱な目つきでとんでも無い事を聞いてくる幼馴染みを、そんな訳あるかと仏頂面で睨み付ける。
結局気を失った少女をそのままにも出来ずに取り合えず家に運んだエドワードは、
機械鎧の整備士でもある幼馴染みのウィンリィに助けを求めた。
軽い貧血だろうから暫く寝かせとけば良い。とのウィンリィの言葉にホッとするが、何だよ変な事って。
「さっきも言っただろ。観光客か何か知らねーけど、裏の墓の所に立ってたんだよ。
迷ったのかって聞いてたら、 急に顔色が悪くなって倒れたんだ。」
「何で観光客があんたんとこの墓の前に立ってるのよ。」
「そんな事俺が知るかっ!」
「まー、倒れた女の子をちゃんと介抱したのは褒めてやっても良いけどさ。」
そう良いながらウィンリィはベットの中で眠る少女の顔を見る。先程よりは呼吸も安定してきたようだ。
「でもさ、どう見てもこの子15歳ぐらいじゃない?他に連れが居るようでもないし、一人旅なのかしら。」
「だから知るかっての。だけど・・・。」
エドは先程の少女が倒れる瞬間に呟いた言葉を思い出していた。言葉自体は大した物ではない。
普通に考えたら少女には兄がいて、咄嗟にその兄を呼んだのだろう。
苦しい時家族に救いを求める。それはよくある事だ。
だが、それで納得していない自分にエドは気付いた。
かつて自分を兄さんと呼んだ存在が居た。あの声、あの響き、「兄さん」と呼ばれる度胸に温かく広がる何か。
何よりも大切だった弟。アルフォンス。そうだ、あの少女の呟きはアルが俺を呼ぶ時のー。
「…俺、疲れてんのかな…。」
「はぁ?あんたいきなり何言ってんの。」
ため息をつきながら脈絡の無い事を言い出したエドの顔を呆れた顔でウィンリィが見る。だが、苦笑混じりのその顔を見て口を噤んだ。
「その子がさ、気を失う瞬間「兄さん」って呟いたんだ。それが、…アルの声に聞こえてさ。」
だから放って置けなかったのかなー、と頭をガリガリ掻きながら言う幼馴染みから目を逸らし、もう一度眠る少女を見た。
「…それが無くてもあんたは放って置かなかっただろうけど。でもそうね、この子の髪ったら蜜色だし。
目は閉じてるけど何となく顔立ちも甘い感じで…、思い出すわね。」
自分にとっても大切な存在だったアルフォンス。だからこそアルとの思い出は懐かしくもあり、思い出すが辛いものでもある。
自分でさえそうなのだから、エドにとってはー。あの二人は本当に深い絆で結ばれた仲の良い兄弟だったのだ。
ーたとえそれが禁忌を犯した事によって更に深くなった絆だとしても。
ほろ苦い思いで少女を見ていたウィンリィだったが、その少女の瞼が震えながら薄く開くのを見て慌ててエドを呼ぶ。
二人が見詰める中、少女は何度も瞬きしながら、ゆっくりと目を開けた。
上から覗き込む二人を不思議そうに見上げ、少しもたつく口を開いた。
「ここは…?」
「心配しなくても大丈夫よ。あなた倒れたの覚えてる?ここはあなたが倒れた墓地の傍よ。彼が運んでくれたの。」
この家も彼の家だから、と言われて身を起こした少女は視線をエドに移す。
「あ…。」
小さな声を零した途端、少女の瞳から見る見るうちに涙が溢れて流れ出す。そのまま俯いてしまった少女に二人は焦った。
「どうしたの?どこか苦しい?まだ横になってても良いのよ?」
ね、エド?とウィンリィが言うとエドも困ったように気にすんなよ?辛いならもう少し休めと声をかけた。
その声に少女はパッと顔を上げてエドをまっすぐ見て呟いた。
「兄さん…。」
その言葉を聞いた瞬間、心臓が止まるかと思った。
「あなた、何を言って…。」
固まってしまったエドの代わりにウィンリィは少女に声をかけた。だが、それ以上言葉が出てこない。
唐突に先程のエドの言葉を思い出す。
『アルの声に聞こえてさ』
嘘だまさかという思い。そんな事はありえない。だけど、でも。
ああ、エドが言った事が今なら理解出来る気がする。声が似ているとかそういう事じゃなく。
響きというかニュアンスとでも言うのだろうか。それがまさしくー。
「アルフォンス…?」
エドはそう呟くと、フラフラと少女に近づき、その頬に手を添えた。
「エドッ!何言ってんのあんたは!!」
自分でももしやとは思っていた。それを理性が否定していた。でもエドを止められない。
「間違えるはずがない。アルが俺を呼ぶ声を。」
エドはそうキッパリとウィンリィに告げると、まだ涙を流す少女に呼びかけた。
「アルフォンスなのか…?そうだろう?」
少女は頬に添えられたエドの手に自分の手を重ね、愛おしげに目を閉じた。
そしてもう一度エドを見詰めて、泣きながら微笑む。
「兄さん。」
間違えようが無かった。この世でもっとも愛しい存在が自分を呼ぶ声を。
何故とかどうしてと疑問は渦巻いていたが、今はそんな事どうでもよかった。
泣き続ける少女をー、アルフォンスを抱き締めると、その細い両腕が自分の背に回されたのを感じて。
涙が溢れてくるのを感じたが、堪えようとは思わなかった。
まだポロポロと零れる涙を拭いもせずに、アルは兄の肩越しに呆然と立ちつくす女性を見上げた。
「ウィンリィ。」
そう言うと兄の背に回していた左手をウィンリィに差し出した。
「アル…。本当にアルなの…?」
間違いは無かった。だって名前を呼んだ。自分はまだ名乗ってなんかいないのに。
それ以前に自分を呼ぶその響きは。やっぱり懐かしいひとつ年下の弟分が自分を呼ぶ時の響きそのままで。
「アル…っ!!」
差し出された手を両手で握りしめて、気がつくと泣き出していた。