何度離れてしまっても、きっといつか巡り会う。
そしてその都度、貴方が特別な存在になっていく。
偽りの幸せを幸福と呼べるならZ
エドワードが話した二人の過去は、アルフォンスにとって考えもしなかったような事実だった。
幼い頃に家を出ていった父親、女でひとつで自分たちを育ててくれた優しい母。
大切な母親が病死した時、幼い兄弟が願った事。それが最大の禁忌。
「人体錬成は失敗だった。その時代価として俺は左足を、お前は体の全てを失った。」
「体の全て…?じゃあ、ボクはその時に死んだの…?」
体を失っただなんて。そんな事想像もつかないけど、それじゃ人は生きていけない。
「違う、体を代価として持っていかれただけで、死んだ訳じゃなかったんだ。
だから俺はお前の魂を呼び戻す事が出来た。右腕という代価を支払って。」
「右腕って。兄さんの右腕が機械鎧なのは、ボクを助けるためだったの!?」
「助けるとかそんなんじゃない。俺がお前を巻き込んで、しかも錬成は失敗して。報いを受けるべきは俺だったんだ。
大体結果的に助けたと云えるのかどうか…。5年間もお前の魂を鎧に定着させて閉じこめてしまったんだからな。」
「鎧ってそれ聞いた事があるよ。鋼の錬金術師には2mを超す大きな鎧姿の弟がいるって。」
その弟も数年前から姿が見えなくなっていたと聞いた。それはそうだろう、ボクはこうしてここにずっといたんだから。
色々な話が繋がっていく。それでやっとこの現実離れした話が本当なんだと実感出来るけど。
兄が今のボクに誤魔化しや嘘を言うとは思えないが、あまりに話が突飛すぎた。
「それから失った体を取り戻そうと二人で誓って、俺は国家錬金術師になった。
国家錬金術師になれば、様々な特権を得られるし研究費も出る。そうして二人で元に戻る為の旅をしてたんだ。」
「そして、ボクの体を取り戻したの…?」
3年前からボクの体はちゃんと人として生きている。ボクには鎧の体を持っていた頃の記憶なんてひとつもない。
という事は、ボクらは、兄は。またしても禁忌である人体錬成を行ったのだろうか。
「錬成ではあるけど人体錬成とは少し違うんだ。アルの体はこことは違う次元に持っていかれてた。それを引き戻しただけだ。
…ちょっと説明がし難いんだけどな、その持っていかれる課程と取り戻す課程でアルの体は2度分解されている。
1度目は融けた、とも云えるのかもしれない。多分その時に脳に何らかの衝撃が起こったんだと思う。
もしくは錬成時の代価のひとつとして、記憶が持っていかれたのかもしれない。目覚めた時にはお前は全てを忘れていた。」
小さく息をついて、兄は話を続ける。
「お前の記憶が失われてるって分かった時、最初は思い出させようとしたんだ。
だけど錬成のショックか記憶がないせいか、お前酷く錯乱しててさ。凄く辛そうだったから、しばらくは様子を見る事にした。
でもふっと思ったんだ。もしかしたらこれは最後のチャンスなのかもしれないって。」
「最後のチャンスって?」
言葉の意味が分からなくてそのまま聞き返すボクを見る兄さんの口元が、ほんの少しだけ歪んだ。
笑おうとして失敗したような、そんな感じだった。
「記憶を、人体錬成という禁忌を犯した事すら忘れているなら。もうその方が良いんじゃないかって。
罪の意識を背負わずに、アルが全てから解放されて人生やり直す最後のチャンスだと、そう思った。」
そこまで聞いて、何となく分かった事があった。ああそうか。きっとこの人はー。
「もしかして、やり直す為には自分がいない方がいいと思った?だからボクの傍から消えたの?」
気取られてエドワードが一瞬言葉に詰まる。それはまさしく図星だった。
「…人体錬成の事だけ話さずにいようかとも思ったんだ。だけど俺と一緒にいれば、色んな事が耳に入っちまう。
俺たちの罪を知っているのは極親しい人だけだ。それでもどこでどう話が漏れてるか分かりゃしない。
どうせなら新しく真っ白な人生を歩いて欲しかった。だから准将にお前の事を託したんだ。」
「…それで本当に良いと思ったの。」
「その時はそれが最善の方法だと思ったよ。准将は嫌みなヤツだが信頼は出来る。だから俺も安心してアルを任せられた。」
まさか養子にまでするとは思わなかったけど、まあ有り難かったと思う。
いつまで経っても借りが返せない所か増えていくのが不本意ではあるけど。この3年、アルを大切にしてくれた事は知っているから。
「だからな、今度の事はビックリしたかも知れないけど、お前は今のまま変わらず暮らして良いんだ。
過去を無理に思い出す必要はない。医者になりたいんだろ?アルならきっと良い医者になれるよ。俺が保証する。」
優しく言われた言葉が何故かアルフォンスの胸を刺した。そうだ、ボクは確かに医者になりたかった。
だけどそれはー。
「兄さんは?兄さんはこれからどうするの…?」
「俺はー、そうだな。また旅に出るよ。」
その言葉を聞いた瞬間、アルフォンスの中に何かが渦巻いた。それはまるで嵐のような激しさで彼の中を荒らしていく。
「いやだ、行かないで!」
「アルフォンス…?どうしたんだ。」
「わからない、わからないんだ。だけどもう失いたくないってボクの中の何かが叫んでる!」
言葉と共にアルフォンスがエドワードに抱き付いた。縋るように服にしがみつく弟にエドワードは戸惑う。
「せっかく兄さんに会えたのに離れるなんて嫌だ!旅に出るならボクも連れて行ってよ!!」
「お前…。だって大学どうするんだ?」
困惑しながら聞くエドワードに、アルフォンスは真っ直ぐ兄を見ながら答えた。
「大学はやめるよ。だから兄さんと一緒にいさせてほしい。」
きっぱりと言われてエドワードは混乱と驚喜の中にいた。
アルフォンスが一緒にいる事を望んでくれるのは嬉しい。だけど大学を辞めるなんて。
「だけど医者になるってのがアルの夢だったんだろ?スキップして入った大学をそんな簡単に…。」
兄の言葉に、アルフォンスは小さく首を振った。
「違うよ。確かに医者になる事はボクの夢だった。自分の過去が分からなくて不安な時も、医者になるって夢がボクを支えてた。」
「それなら尚更だ。アルが俺と離れるのを嫌だって思ってくれるのは嬉しいよ。それなら俺がセントラルに残ればいい。」
研究だったら何処でだって出来るしな。そう言う兄にもう一度首を振った。
「違うんだ兄さん。今日話を聞いていて分かった。ボクが医者になりたかったのは、きっと兄さんの手足を治したかったんだ。」
「俺の、手足って。だけどそれは。」
「そうだね、機械鎧だから医術だけじゃどうにもならない。」
肩に置かれた兄の右腕。ふたつ名の通り鋼の機械鎧。それにそっと手で触れてみた。
「ボクの中にはずっと、治したいって思いがあった。それは医者になりたいって事だと思ってた。
だけどそうじゃなかったんだね。ボクは記憶に残っていない兄さんの手足を取り戻したかったんだ。」
「アル…。」
「兄さんの手足を取り戻すには、ボクの体の時と同様錬金術じゃないと駄目なんだろ?それなら医者になる必要はもうないよ。」
エドワードはアルフォンスの言葉をただ呆然と聞いていた。
記憶は奪われても、想いまで奪われてはいなかった。
かつての記憶はない。アルフォンスの中に俺の手足の記憶なんかないはずなのに。
それでも『治したい』という想いが残る程、アルフォンスは取り戻したいと思ってくれていたんだ。
会って間もない、思い出してはいない兄と離れたくないと思う程、アルも俺を思ってくれていたんだな。
それがとてつもなく嬉しくて、アルフォンスの体をそっと抱き締めた。
兄の温かい腕と冷たい腕の両方の温度を感じながら、アルフォンスは思いを込めて告げる。
「ねえ兄さん。ボクの記憶は戻らないのかもしれない。それなら、また新しく築いていきたい。」
失ってしまった記憶を惜しむ気持ちはある。取り戻せたらと切に思う。
だけどそれに囚われてしまっていては前に進めない。
無くした記憶の中、大切に想っていたはずの誰か。それはきっとこの人だから。
これから沢山の思い出を作れば良いんだ。過去のボクらが過ごした時間より、もっと多く傍にいれば良い。
アルフォンスの言葉に、エドワードは少し驚いたように目を瞬いた。次の瞬間嬉しそうに笑う。
「そうだな。今度はお前と旅してた所にまた行ってみるのも良いかもな。そこで新しい思い出を作ろう。」
そして二人の歩む道はまた重なった。