あの日から、あの眼が忘れられない。
一度だけ真っ直ぐにボクを貫いた視線。黄金の眼差し。それはすぐに逸らされてしまったけれど。
あの時感じた衝撃は、いったいなんだったのか。
それを知りたくて仕方なかった。
偽りの幸せを幸福と呼べるならV
どこの誰かも分からない、そんな人にもう一度会いたいだなんて、そんなの無理に決まっている。
こんなに気になるなら、あの時もっと話をしておけば良かった。そう悔やんでも後の祭りだ。
もう二度とないと思っていた会合。それは思い掛けない形で起こった。
「えーと、ロイさんに頼まれてた本は買えたし。ついでだから軍に寄って置いて行くかな。」
ちょっとだけ重い本をデイバッグに詰めて、アルフォンスは考えた。
頼まれた本が家で読むような物なら持ち帰るのだが、今回の本はどうも仕事絡みのようだ。
それならたまには寄ってみるのも良い。長く顔を合わせていない人達もいる事だし。
中央司令部へと続くセントラルの大通りを歩いていたアルフォンスだったが、聞こえてきた罵声に眉を顰める。
どうやら近くで喧嘩している人達がいるらしい。よく見てみると少し先に人集りが出来ている。
周りに憲兵のいる気配はない。誰かが呼びに行ったにせよ、まだ時間がかかるだろう。
仕方ないなぁ。アルフォンスは駆け足でその人集りに近づくと、野次馬達を掻き分けて前へ進んだ。
そこで見つけた人物の姿に、目を丸くする。
そこにいたのは出来ればもう一度会いたいと願っていた、あの金色の目の青年だった。
見れば相手は6人、内4人は気絶しているのか蹲ったまま動かない。
青年は体術はかなりのものらしく、パイプや武器を持った相手に素手で軽々と応じている。
この分だと黙っていても青年が全員倒してしまいそうだ。
その時、蹲っていた一人がヨロヨロと起き上がった。
そのジャケットに隠すようにナイフが握られているのを、アルフォンスが気付いた。
何も言わずに駆け寄ると、青年が気づき驚いたようにこちらを見たのは分かったけど、声もかけずにその背に滑り込む。
青年の背後に立ち、向かってくるナイフの男に立ち向かう。突然現れたアルフォンスに一瞬躊躇う男。
その隙にナイフを持つ手を蹴り上げ、掴んだ手を背中へとねじり上げた。
痛みで悲鳴を上げる男を石畳に押さえつける、その時警笛の音が辺りに鳴り響いた。
「やべぇ。」
青年が舌打ちしながら最後の一人を殴り倒して、そのままその手をアルフォンスに伸ばす。
「いくぞ、来い!」
その時、アルフォンスは何も考えられなかった。
何の疑問も持たず差し出された手を取り、青年と共に走り出していた。
「ここまで来れば大丈夫だろ。」
言葉も交わさず一心不乱に走った二人がようやく立ち止まったのは、町外れの小さな公園。
荒い息を何とか整えようとしながら、アルフォンスは先程の自分の行動を考えていた。
確かに喧嘩が起こっているなら止めるつもりであの場へ行った。
だけどあの時、男がナイフを持った時。体が自然と動いていた。
これが他の人であっても、きっと同じ事をしていたと思うのだけど。
それだけではない、何か分からない感覚があったのは確かなんだ。
まるで、その背を守る事が当たり前の事のような。
「おい、大丈夫か?」
黙り込んでいたボクを心配したのか、青年が俯くボクの顔を覗き込んでくる。
少しだけ荒い息を押さえながら、ボクは顔を上げた。
「ボクは大丈夫です。それより逃げてきちゃってよかったのかな。」
憲兵に事情を説明した方がよかったんじゃ。
「あー、いいんだよ。説明すんの面倒だし。大体悪いのは老人相手に絡んで金巻き上げようとしてたあいつらだ。」
その辺の事は、あの場に残ってるじーさんが説明するさ。
頭を掻きながら何でもない事のように話す青年の言葉でやっと事情が分かった。
良かった、結構思いっきり腕を捻っちゃったから多少罪悪感があったんだけど。
そんな相手なら、痛い目にあっても仕方ないよね。
それにしたって、本当はボクまで逃げる事は無かったのかもしれない。
いや、それどころか養父であるロイの立場を考えると、ちゃんと現場に残って立ち会うべきだったと思う。
だけど、差し出された手を取ってしまった。それが自然な事のように思えた。
何よりもう一度話がしたかったのだ。だからあのまま別れたくなかった。
相手を呼ぼうとして、その名すら知らない事に気付く。
「あの、お名前をお聞きしても良いですか?ボクはアルフォンス・マスタングといいます。」
名乗った途端、少しだけ、ほんの少しだけだが。青年の表情が歪んだ気がした。それは一瞬の事だったけど。
「アルフォンス・マスタング…。俺はエドワード・エルリックっていうんだ。」
「エドワード・エルリック…?もしかして、鋼の錬金術師?」
「…知ってるのか?」
「もちろん知っていますよ!最年少国家錬金術師の記録を持つ天才だって、凄く有名ですから。」
「有名だから、か。まあそうだよな…。」
そう言って笑う姿が、何故か自嘲気味に。もしくは辛そうに見えた。
どうしてこの人はこんな顔をするんだろう。何か悲しい事があったのだろうか。そんな悲しい顔をして欲しくないのに。
悲しまないで、苦しまないで。一人で抱え込まないで。
兄さん…。
その時頭の中に木霊するような声が聞こえて、アルフォンスは思わず手を耳にあてた。
響いていた声は紛れもなく自分の声なのに、妙に幼く聞こえて。
違う。それよりも、ボクは誰を呼んでいたんだ。
小さくてよく聞こえなかったその声は、確かに誰かを呼んでいた。まるで愛おしい人に呼びかけるように。
もしかして…。失った記憶の中、ボクには大切な人がいた…?
「おい、本当に大丈夫か!?」
黙り込んでしまったボクを、気分でも悪くなったのかと心配したのだろう。
エドワードがアルフォンスの肩に手をおき、心配げに見詰めていた。
「あ…、すみません。ちょっとボーっとしてました。」
苦笑いしながら言うと、エドワードはホッとした様子を見せた。
どうしてこの人を見ていると、こんなに様々な感情が動き出すんだろう。
また会えたらと望んだ。悲しんで欲しくないと思った。
何よりも、その金色の目を懐かしく感じた。
この3年間、どんな事があっても甦りそうな気配すら見せなかった記憶。
それがこの人といるだけで刺激されている。
「エルリックさん、お時間があればどこかに寄りませんか?もっとお話したいなって思っていたんです。」
逸る気持ちを抑えながら、断られるのを覚悟の上で言ってみる。
すると彼は妙に複雑そうな顔をしながらボクを見た。
「そのさ、エルリックさんってのはやめてくれないか?エドワードかエドで良いから。ついでに敬語もやめてくれ。」
普通に話せよ、と言われて少し慌てる。そうしたいけど本当に良いのかな。
「えっと、じゃあエドって呼ばせてもらおうかな。ボクのことはアルって呼んでくれる?」
「了解。なあ、アル。」
名を呼ばれてドキッとした。何だろう、彼に、エドにそう呼ばれたのは初めてだというのに。
どうしてこんなに耳に馴染んでるんだ。
ドキドキする鼓動を感じる。もっとエドに名前を呼んで欲しいなんて思うボクがいる。
この感情は一体ー。
「どうせ話するなら、セントラルで美味しいコーヒー飲める処教えてくれ。」
旅ばっかりしてるから、この辺の店知らねーんだ。
そう言って笑う顔が、少しだけ幼く見えて。
それまで以上に記憶の何かが刺激されるのを感じていた。