大・迷・惑 U














ターゲットと接触する機会は結構早く訪れた。

兄と共に錬金術研究所のスタッフになっている被験者、もといアルフォンス。

彼らはロイの部下でもあるので定期的に報告に来る。今日は好都合な事にアルフォンス一人だった。これを逃す手はない。


「ちょうど休憩しようと思ってたんだ、君も付き合いまたえ。」

差し入れのクッキーの箱を見せながら極自然に茶に誘う。するとアルフォンスが良いんですかと小首を傾げた。


「お茶の時間にはちょっと早いですよ。ホークアイ大尉に叱られませんか。」

「私一人ならな。だから君を誘っているんだろう。」

ロイの言葉にアルフォンスが仕方ないですねと楽しそうに笑う。その無邪気な笑顔にロイの胸がほんの少々痛んだ。

ちょっと止めとこうかな、何だか妙に後ろめたい。(←当たり前)

しかしこんな機会は滅多にないぞ。鋼のもホークアイ大尉もいない。他に飲ませてみたい相手もいない。

こういうのは落差がある程面白いんだ。ハボックやブレダみたいなのじゃ、ちょっと良い人になって終わりだろうし、

フュリーやファルマンが豹変した姿なんて、数ある飲み会で見た事がある。あの二人は意外と酒癖が悪い。

あれやこれやと考えていると、アルフォンスがボクが煎れましょうと立ち上がった。


「いやいや、誘ったのは私だ。君は座っていなさい。」

いかん、ボサッとしてるとチャンスがなくなる。ここは迷ってないでさっさとやってしまおう。

余計な所で思い切りの良いロイの心中など知らず、アルフォンスが苦笑いした。


「だけど中将、お茶煎れるの苦手なんじゃないんですか?前兄さんが言ってましたよ。」

やっぱり知ってたか。この兄弟の仲で隠し事なんてないんだろうな。無駄に記憶力も良いし。


「そんな何年も前の話は忘れてくれ。あの後大尉にちゃんと習って、少しはマシになったんだ。」

それでも自ら茶を煎れるなんて事は滅多にしないので、手際が悪いのは仕方ない。

ぎこちないながらも紅茶を煎れ、ブランデーと混ぜて小瓶に移し替えておいた例の薬を数滴垂らした。

何度か匂いは嗅いだから無臭なのは確かだが、本当に味もしないのだろうか。紅茶よりコーヒーにすれば良かった。

そんな事を考えながらアルフォンスに笑顔で紅茶を渡す。何の疑いもなく受け取る笑顔が眩しい。

少々の後ろめたさを隠しながら、ロイはアルフォンスが紅茶を飲むのを見守った。

その視線に気付いたアルフォンスが可笑しそうに笑う。


「そんなに心配そうに見なくても、大尉に習った甲斐はあったみたいですよ?」

「し、心配してたわけではないんだが…、そうか、大丈夫か。」

飲んでもすぐには様子の変わらないアルフォンス。

どのくらいしたら効いてくるのかぁ。量が少なかったりはしないだろうか。

何気ない風を装いながらロイも紅茶を手に取った。小腹が空いていたのでクッキーも食べてみる。

雑談を交わしながら見ていると、半分以上飲んだ辺りでアルフォンスの顔がほんのりと赤くなってきたのに気付いた。


「アルフォンス、顔が少し赤いようだが。もしかして熱いのか?」

言ってからハッとした。もしかして薬の作用が出始めたのだろうか。


「いえ…、熱いというか。何だか少しぼーっとします。」

アルフォンスのその様子に、体に悪影響は無いと聞いていたが急に不安になる。

効果は短時間、副作用も無いからこそ試そうと思ったのだ。もしアルフォンスの身に何かあれば取り返しがつかない。


「…おかしいな、風邪でもひいたのかも。」

額に手を当てるアルフォンスに、ロイが慌てて水を差しだした。


「風邪なら水分を取った方が良い。冷えてるから飲みなさい。」

本当は薬を少しでも薄めさせようと思ったのだが、そんな事は微塵も見せずに少し俯いたアルフォンスの右手にコップを握らせる。

そのまま握らせたコップごと、ロイの手がアルフォンスの左手に包まれた。


「…アルフォンス?」

何だもしや薬を盛った事がばれたのかと内心冷や汗を掻くロイを見たまま、アルフォンスが言った。


「中将って優しいんですね。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・ハイ?

今聞こえたのは幻聴だろうかと固まるロイ・マスタング。


「中将が結構意外と優しいって、前から知ってたつもりなんですけど。」

こら弟、私は意外とではなく優しいぞ、と今はそんな突っ込み入れてる場合じゃない気がする。

心なしかアルフォンスとの間合いが狭まってきているような。どうにも様子がおかしくなってきた。


「とにかくどうでも良いからこの水を飲みたまえアルフォンス。君はきっと熱が出ているんだ。」

心の動揺出まくりのまま棒読みの台詞で水を飲まそうとする。ぐいぐい押しつけられるコップをアルフォンスが振り払った。


「あ。」

落ちてゆくグラスを思わず目で追うと、それは分厚い絨毯の上で一度跳ねて転がった。当然中身は零れて絨毯に染みわたっていく。

どうしたんだと言いかけたロイの目に、こちらを真っ直ぐ見詰める金色の瞳。

こんな風に至近距離でアルフォンスの目を見たことなど無かった。あまり見かけない蜂蜜の様な色合いの目。

普段は気付かないが近くで見るとその目は射抜くような力に溢れていた。強烈な光を放っている。

確かアルフォンスは16歳だったはずなのに、なんだこの妙な色気は。さすが女性職員の間で人気急上昇中・若手のホープ。

完全にパニクるロイに構わず、アルフォンスは手に力を込めた。そこにー。


「…なにやってるんだか聞いてもいいっすか?」

「ハボック!いい所に帰ってきた!」

自分の顔を見てありえないくらいに喜ぶ上官と、その手を握っているアルフォンス。

自分がいなかった間に一体何が起こってたんだろうと、ハボックは扉を閉めながら考えた。


「つーか自分はこの部屋に入っても良かったんでしょうか。お邪魔だったんじゃー。」

「バカな事を言っとらんでそこの水を持ってこい、アルフォンスに飲ませるんだ!」

訳が分からなかったが取り敢えず上司の命令だ。ハボックは言われた通りピッチャーから水をグラスに注ぎ、ソファの二人へと近づいた。


「ほい、アルフォンス。」

手渡そうとすると、アルフォンスの様子がおかしい事に気付いた。ぼんやりしたような、目の焦点が合ってないような。

いつも溌剌とした彼からは程遠い表情に、さすがにハボックも訝しげな顔になる。

グラスを握らせようとしても、力が入ってない感じだ。


「おい、大丈夫か?」

今にも取り落としそうなグラスを握らせ、その手を覆うようにしっかりと押さえた。するとアルフォンスが顔を上げる。


「大尉の手って大きいなぁ。」

「…アルフォンス?」

「ちわーっす。アルいるかー?」

ピンク色の薔薇が咲いてそうな空気を打ち破るように入ってきたのはエドワードだった。当然のようにノックも無しだ。

エドワードは目に入った光景に目が点になる。そこには手を握り合うハボック大尉と弟の姿。


「…なにやってんだ、お前ら。」

不審そうに二人を見ながら、エドワードは弟へと近づいた。そしてさすがにすぐにアルフォンスの異常に気付く。


「アル、もしかして熱でもあるのか?目元が少し腫れぼったいぞ。」

固まるハボックを余所に、エドワードがこちらを見上げるアルフォンスの額に手を当てる。


「兄さん…っ!」

「わわっ!!」

急に抱き付かれてエドワードが蹌踉ける。それにも構わずアルフォンスは兄の体をぎゅうぎゅうと抱き締めた。

握っていたグラスは床に落ち、またもや絨毯に染みを作っていく。固まっていたハボックは咄嗟に反応できなかった。


「アル、どうしたんだ?具合が悪いなら医務室に行こう。」

アルフォンスの奇行を体調の悪さ故と思っているエドワードは、しがみついてくる弟の背中をあやすように軽く叩く。

首元に顔を埋めているアルフォンス。触れる部分は妙に火照ってる気がする。

これは早く医務室に連れて行こうと考えていると、アルフォンスが少しだけ顔を上げた。


「兄さん…。」

意図したのかは解らないが、ちょうどアルフォンスの口はエドワードの耳近くにあり、その声が直撃する。

エドワードの背筋にゾクリとしたものが走った。それはただ名を呼ばれたからではなく、その響きに覚えがあったから。

甘くて熱っぽい囁きのような声。それはいつもなら二人っきりの時だけに呼ぶ、普段とは違うニュアンスを持つ声だ。

え、ここって中将の執務室だよな。なんでいきなりその気モード?


「ア・アルフォンス!お前熱出て頭沸騰してるのか!?」

例え二人の時には精力絶倫・エロ魔神かと思う事があるとは言っても、それはあくまで家での事だ。

公私混同を避けるアルフォンスは、今まで仕事場で他の人の目がある時には、その様な雰囲気を晒したりした事はない。

その時アルフォンスの手が背をさすり、その動きにエドワードは焦る。これ以上は本気で拙い。


「おいアル、ちょっと待てって!」

「うん…。」

返事をしておきながら、アルフォンスが離れる様子はない。しかし熱っぽいせいか、動きが緩慢な事にエドワードは気付いた。


「アル、ごめん!」

咄嗟の判断でエドワードはアルフォンスの首筋に手刀をくらわした。かくり、とその体が傾ぐ。

それを受け止めて後ろのソファに寝かせると、エドワードは大きな溜息をついた。

普段のアルならこんな簡単に気絶なんてさせられない。手刀を逆手に取られるのがオチだろう。この事だけでも様子が変な事が分かる。


「どーしちまったんだよアル…。」

まるで別人になったみたいだ、と嘆く兄の言葉に、固まったまま見守っていたハボックがハッとロイを見る。別人ってそういえば。

案の定上司は一瞬だけ合った目をすぐに逸らした。疑惑確定の瞬間だ。


「あんた本当に一服盛ったんですかっ!なんてことを!!」

「こらハボック、それを今ばらすな!」

「隠したって無駄ですよ、それしか考えられんでしょう!原因が解らないと対処だって…。」

「…一服、何だって?」

言い争う二人の耳に、聞いた事もないような低く地を這うような声が届いた。

思わず怒鳴るのを止めたハボックが恐る恐る振り返る。そこには、見るからに、恐ろしい形相の鋼の錬金術師の姿が。

あわわわわ、当たり前だけど本気で怒ってるーー!!


「大将、俺は関係ないから!薬を手に入れて来たのも実行したのも中将だぞ!」

「ハボック!お前上司を売る気かっ!」

低レベルの言い争いをする二人を、エドワードが半開きのジト目で睨み付ける。


「…それで?薬って何なの。アルに何を飲ませた。」

妙に冷静な声がかえって恐い。ここまできて誤魔化しようがないと、ロイは口を引きつらせながら答えた。


「たいした物ではないんだよ鋼の。作用時間も短いし後遺症も一切無しだ。」

「たいした物かどうかはこっちが判断する。だから何を飲ませたんだって聞いてるんだよ。」

「それは〜、その。…性格が正反対になる薬だったかな。うん、確かそうだった。」

な、とか同意を求められても。どうしても共犯が欲しいらしい上司に呆れるハボック。


「へ〜、性格が正反対ねぇ。それで何でアルが見境無しのたらしみたいになるんだ。」

「それはこっちが聞きたい所だ。アルフォンスなら根暗っぽく地味キャラになるかと思ってたのに。」

「たらしのアルフォンスなんて中将よりもタチが悪いですよ。モテそうなだけに。」

「どういう意味だ。私がアルフォンスよりモテないと言う事か?」

「あんたアルが入隊した頃の騒ぎを忘れたんですか。今はアルフォンス自身が誰からの告白も受け入れないから落ち着いてますが…。」

そこまで言ってからハボックはある事に気付いた。


「わかった、アルフォンスがたらしになった理由!」

「は?」

意味が解らない、とばかりに見上げてくる二人にハボックは説明した。


「要するにいつものアルフォンスは大将一途で一筋だ。他に目移りなんかまったくしない。けどそれが正反対になったら?」

「おい、当たり前の事のように一筋とか言ってるんじゃねぇ。」

だがエドワードの少々照れたような突っ込みは無視された。


「一途で一筋の反対…。誰でもよくなる、と言う事か。確かに正反対ではあるが、そんなんありか?」

「状況的にそれしか考えられんでしょう。」

結論が出た3人が一同に気絶したアルフォンスを見る。それから継いでロイとハボックはエドワードを振り向いた。

薬で別人みたいになってても、兄に対しては反応が違うんだな…。そこまでいくと最早あっぱれというか。

眠る弟を見るエドワードの表情は苦笑しながらも優しい。彼がそんな顔を向ける相手は極僅かだ。

だが視線に気付いたエドワードは、すぐにいつもの悪ガキのような顔に戻ってしまった。冷やかすようにロイを見る。


「そこ、いつまでも顔を赤らめてるなよな。気色悪いぜ。」

「失敬な、私は顔を赤らめてなどいない!」

「ムキになるとかえって怪しいっすよ…。」

それにどう見たって本気で赤いし。頬の辺りがうっすらとだが。

ああ、野郎が頬染める姿なんて見て楽しいもんじゃないな。

その言葉にロイはハボックを一睨みすると、机の引き出しから何かを取り出した。


「鋼の。薬の効果は2〜3時間弱だ。切れるまでその天然フェロモンを閉じ込めておけ。」

ロイはそう言うとエドワードに鍵を投げた。見覚えのあるそれは、士官の内でも限られた人間しか使えない仮眠室のものだ。

エドワードは無言でそれを受け取ると、自分より少しだけ大きい弟の体を肩に担ぎドアへと向かう。

少しだけ覚束ない足下にハボックが思わず声をかけた。


「大将、手伝わなくて大丈夫か?」

「これくらいへーき。大尉ありがと。それよりも聞いときたいんだけど、本当に後遺症はないんだな?」

「その点は医療研究所の折り紙付きだ。」

ロイの言葉にエドワードはふ〜んと小さく呟いた。納得したような、何かを含んでいるような読めない表情で。

扉に向かうエドワード。扉の前で彼はちょいと振り返った。


「あとさ、中将。今回の落とし前は必ずつけさせてもらうから。」

冷ややかな目でロイを見るエドワード。これまでにない静かな声に、エドワードの怒りの程が垣間見える。

弁解の暇もなく大きな音を立てて閉められた扉に、ちょっと待てと言いかけたロイの、行き場のない手が虚しく伸びた。


「…こりゃ血を見る事になりそうですね。骨は拾いますから迷わず成仏して下さい。」

「ハボック、お前冷たすぎるぞ。」

「アルに手を出すなんて、大将自身をどうこうするより怒らせるのは分かり切ってたはずでしょう。」

「誤解を招く言い方をするな!私は別に手を出したわけじゃないっ!」

「またまた〜。あんなに赤くなってたくせに。」

「ハボック〜、貴様はだな〜。」

「その話、私にも聞かせて頂きたいですね。」

音もなく開いた扉。いつものような冷静そのものの声が室内に響き、ハボックの胸ぐらを掴んでいたロイの手が止まる。


「すぐそこでエドワード君と会いましたが、雰囲気がいつもと違うし、何故か気絶したアルフォンス君を担いでいるし。」

いったいどういう事でしょうか?と真っ直ぐなホークアイの視線に射すくめられて、ロイの顔からみるみる血の気が引いていく。


「…説明して頂けますよね?」

にっこり笑ったその氷の微笑に、目の前の上官の声にならない心の叫びが聞こえたような気がするハボックだった。
























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