目隠しの森 十四
温かい感触が唇に触れた。一瞬それが何かわからずにいた良守の脳裏に、ついきのうの出来事が甦る。 行為の意味に気付き驚きの為か体を強張らせた良守だったが、次の瞬間正守の胸を押し返そうと腕を突っ張った。だがその抵抗は弱々しく、力強い抱擁を解くまでには至らない。その間も正守は良守の背をさすり髪を撫で、さらに口付けを深くする。正守の熱い舌が良守のそれを絡み取ると、あっという間に良守の抵抗は無くなった。力の抜けた腕がガクリと重力のまま下に垂れる。 やがて正守がそっと口付けを解いても、良守は正守の腕から逃げようとはしなかった。ただ目を瞑り荒い息を吐きながら力無く正守の胸に凭れている。その頭を撫でてやりながら正守は良守の耳元で囁いた。 「ゆうべ俺が言った事を覚えているか?」 その言葉に、良守はゆっくりと顔を上げた。見上げると正守がじっと良守をみつめている。 「お前が好きだ。」 そう告げるその目は真剣そのもので、嘘やからかいなど欠片も見当たらなかった。その事に良守は戸惑う。 「だってそれは…。兄貴、記憶無くしてたから。」 「今の俺は違う。お前が弟だって解ってる。だから勘違いで言ってるわけじゃない。」 そもそもあの時だって勘違いだったわけじゃない。弟だとは知らなかったが気持ちは本物だった。 「あの時、お前にキスしたいって思った。今もそう思ってるからキスした。俺はずっと昔から、お前の事が好きなんだ。」 「ずっと…昔から…?」 信じられない、という風に見上げてくる良守に正守は小さく苦笑した。信じられなくても当然だろう。実の兄が弟に好きだと言っているのだ。だが信じてもらわなければ始まらない。 「本当は言うつもりはなかったんだ。お前が大切だからこそ、一生隠しておこうって。4年前まではそれができると、耐えられると思ってた。でももう無理だ。良守、好きだ。お前を愛してる。」 真っ直ぐ見つめられ、誤魔化しようのない直接的な言葉で告白されて、良守にはもうきのうの様に勘違いだとは言えなかった。正守は本気だ。視線を反らす事も出来ずに、良守は呆然と正守を見ている。そんな弟の頬に正守はそっと手を添えた。 「お前きのう、嫌じゃないって言ったよな。…俺にキスされても嫌じゃなかったって、そう思っても良いか?」 「そ、れは。」 「違うって言うなら今度こそ拒め。本気で抵抗しろよ。」 え、と思う間もなく正守の手が良守の頬から滑り顎を掴み、そのまま強引とも言える仕草で口付けされた。先程よりも荒々しいキスに良守の意識は簡単に絡め取られる。 一通り良守の口内を貪った正守はそっと弟から顔を離した。目を瞑り苦しそうに呼吸する弟の頬は薄桃色に染まり、唾液に濡れた唇が艶やかに光っている。まるで誘っているかのようにうっすらと開いた唇にもう一度口付けしたいと思いながら、正守は良守に顔を寄せた。 「嫌なら嫌って言えよ。じゃないと、このままお前の全てを奪うぞ。」 耳元で囁くと良守の体がピクリと揺れる。拘束された腕の中、僅かに俯く弟に追い打ちをかけた。 少し初な所がある弟に言葉の意味を教える為、熱を持ち始めていた箇所をその体に擦りつける。あっ、と小さく声を上げ驚いたように身動ぎするのをまた強く抱き寄せて腕の中に封じ込めた。 怖ず怖ずと正守を見上げてくる良守の頬は赤く染まり戸惑いを見せてはいたが、そこに拒絶や嫌悪の色は無い。薄く開いた唇が何かを言いかけては止める、それを何度か繰り返してから漸く良守が躊躇いがちに言葉を口にした。 「嫌、なんかじゃない…。兄貴を嫌だと思った事なんて一度もないよ。」 「…キスされても?好きだって言われてこんな事されて、気持ち悪いって思わなかった?」 正守の言葉に良守は黙って首を振る。そんな事思うはずがない。 「それは勘違いや同情じゃなく?」 その問いに良守は大きく首を振って否定した。 戸惑いはあった。躊躇いも。だがそれ以上に求められている事実に心が歓喜に染まった。触れられる事にこんなにも喜びを感じるのに勘違いのはずがない。同情でキスを許せる程寛容でもない。 「ー俺も、す…き。兄貴のこと、好きだ。」 辿々しく、小さく呟くような告白。涙を浮かべながら必死に伝えようとするその姿に、正守は言葉に出来ない想いのまま衝動的に良守を強く抱き締める。痛みすら感じているだろう抱擁に、拒否の声は一度も上がる事は無かった。 何もかもが熱い、と良守は上手くいかない息継ぎを繰り返す。自分とは違う大きな手が何も纏っていない素肌の上を滑り、その度に躰の奥に熱が灯った。 最初くすぐったさから身を捩っていたのに、いつしかそれが小さな疼きに変わり、良守の唇からは切ない吐息が漏れ始める。未知の感覚に戸惑う良守を正守は根気強く解きほぐし、体を重ねた。 「…っ、ぅん、あぁ…。」 奥からの強い刺激に、良守は思わず体を仰け反らせ固く目を瞑った。すると正守がその目元に顔を近づける。 「泣いてる。…辛い?」 「あ…、ちが…。」 零れ落ちた涙を啜り取られて、弱々しい声だったが良守は必死に首を振り違うのだと訴えた。 涙が出るのは辛いからじゃない。痛いからでも悲しいからでもない。 ただ自分とは違う体温を身の内で感じている事が切なくて、でも嬉しくて。言葉にならない代わりに勝手に泣けてくる。 ドクドクと体の奥から伝わってくる鼓動はお前が生きている証。重なる心音に煽られて口から漏れるあられもない声に羞恥心が湧いても、もっとと求める心に気付いていたから抑えようなんて思わなかった。揺さぶられる度に荒くなる息ごと唇を塞がれて、苦しくて死んでしまいそうだったけど、このまま抱かれて死ねるならそれも良いかなんて考える。だってそれならもう、お前がいなくなる恐怖に怯えなくてもいい。 涙も汗も唾液も何もかも、全て出尽くしてしまうまで抱いて欲しいとみっともないほどに縋った。カラカラに干涸らびても構わない。それと同じくらい、お前の全てが欲しい言うと、お前が嬉しそうに笑うから、貪欲に締め付けて離さないまま汗にまみれた頬に舌を這わせる。 体なんてどうなってもいい。壊れてしまっても構わない。 知らなかった痛みも全てが思考が吹き飛ぶような快楽も、お前とだから嬉しい。 子供みたいに名を繰り返し呼ぶしかできない俺を抱き締めた腕の力強さと温かさ、躰を震わせるような低く甘い声、堪えるように僅かに潜められた眉、その全てが愛しい。 誰にも渡さない、渡したくない。もうこの熱を知らなかった頃には戻れない。 失ったらきっと気が狂う。息をする事も忘れ、何もせず考えずただ緩慢に、内側から腐っていくに違いない。 僅かにでも体が離れるのが嫌で、汗で滑りそうになる背に爪を立てた。背中に走った小さな痛みを感じ正守は微笑すると、涙を流し続ける良守の唇を啄む。絡み合った舌の熱さに頭の芯がぼやけてくらくらする世界の中で、良守も必死に応えていく。 二人はその日、愛しい人に熱の籠もった声で名を呼ばれる喜びと、望みのまま触れる事を許される悦びを知った。 |
2008.9.25