目隠しの森 一








忘れようにも忘れられないあの日から4年の月日が過ぎ、少年ー良守は19歳になっていた。
かつて守護していた烏森は、今では周囲、則ちウロ様が主である神佑地の一部と戻り、以前のような特殊な力はまったく無くなっている。良守達間流の術者の能力自体は消えなかったが、正統継承者の証である方印は4人の体から消えていた。
烏森が全ての力を解放したあの夜、それに引きずられ力を暴走させた良守。あのままいけば力にのまれ烏森と共に消えていただろう。それを止めたのは兄の正守だった。

『烏森よ!最後に俺の願いを聞けっ!こいつは、良守だけは…っ!!』

その言葉を最後に真っ白な爆発が起こった。閃光が辺りを包み激しい衝撃に吹き飛ばされ、気付いた時にはグラウンドに横たわっていた。
それと同時に正守の姿は完全に消えていた。

異変に駆け付けた祖父達と共に消えた正守の消息を探ったけれど、どんな手を尽くしても烏森は沈黙を守るばかりで。不本意にも裏会の奥久尼にまで協力を求めたけど結局それも無意味だった。最終的には烏森と共に肉体ごと消滅したのだろう、という結論が出された。
遺体も無いので葬式も出さず、死亡届けを出す訳にもいかないので正守の戸籍はそのままになっている。
認めたくないけど認めなくてはいけない。そう分かっていても光と共に消えてしまい、遺体を見たわけでもない正守が死んだなどと良守は思えなかった。いや、思いたくなかった。兄は自分の身代わりになったのだから。

何度も何度もあの時の事を思いだした。長年の誤解が少しずつ解け、疎まれているわけではないのだと思えるようになったのは、中学3年になったばかりの春の事。あれからお互い本音でぶつかり合ったり話をする中でようやく兄弟らしくなれたと思っていた。だけどあんな事になるなら、いっそ恨まれていた方が良かった。そうすれば兄が良守を庇う事などなかっただろう。憎まれてても生きていてくれた方がどれだけ良かったか。

心が抉られたかのように辛い日々だった。失った存在の大きさに、その時ようやく気付かされる。家族だから、兄だから。それだけでは説明が出来ない程良守の中で正守は大きな存在だった。その人がもういない。どこにもいない。自分のせいで消えてしまった。

生きている事も辛く、息をする事すら億劫になる。何度も絶望が頭を支配し全てを投げ出したくなったが、それを寸前で止めたのはこの命を兄が命を賭して守ったのだという事実だった。良守が簡単に命を投げ出せば兄の行動全てが無意味になる。だから良守は生き続けなくてはいけなかった。
だけどいつまで。あと何年生きたら兄に報いる事になるのだろう。これから50年も60年も、こんな思いを抱えたまま生きていくのか。

以前とは別人のように感情を表に出さなくなった良守に周囲は何も言えず、ただ見守る事しかできなかった。












−4年後−





月日が過ぎ進学の話になった時、良守は烏森を離れ製菓の専門校に進む事を希望した。幼馴染みの少女は大学に進み、時々は裏会からの依頼も受けて術者としても活動している。失わなかった力を、持ち得た力を誰かの為に使っていくと言っていたが、良守はもうそんな気持ちになれなかった。結界術を見る事も厭う彼に、祖父も無理強いする事はなく、烏森を出るという良守を許してくれた。

もう守るべき土地はない。正統継承者は生まれない。ならば土地に固執し、良守を縛り付ける意味もない。何事にも関心を示さなくなった孫がやりたいと言うのなら、繁守に反対する理由もなかった。
良守が製菓の道を選んだのは、ただ兄が以前良守の作ったケーキをうまいと食べてくれた事、そして何気ない会話の中、兄が言った言葉があったからだ。

『お前って本当にお菓子作り好きだよね。このケーキなんて趣味のレベルを超えてるぞ。将来はそっちに進めば?』

烏森を封印する事しか考えてなかった良守に、正守は封印した後の事も考えろと言った。好きなら専門的に勉強するのもいいだろう、烏森にだけ拘る必要は無いと言ってくれた。協力するとまで。兄が自分の将来まで考えてくれていた事が良守は嬉しかった。だから進学となった時、良守は極当たり前にその道に進む事を希望したのだ。そしてお菓子作りに集中していれば、その間だけでも何かを考えずにいられるのもありがたかった。

烏森を離れ一人暮らしを始めて最初は戸惑うことも多かったが、半年も過ぎるとそれなりに慣れてきた。以前は男なのにお菓子作りが好きだなんて物好きは周囲に一人もいなかったけど、学校ではそれが当たり前の事でそれも嬉しい。話題になるのはお菓子作りに関する事ばかりで、次の課題がどうの、新しいケーキ屋が出来るから行ってみようだのそんなのばかりだ。

それでも不意に家で一人でいる時、町で坊主頭の人を見かけるたび振り返り、着物を着た人や長身の男と擦れ違う度心臓が跳ね上がった。鏡に映った以前似ていると言われた眉や、あの頃の兄と年が近づく度少しずつ似てきた自分の顔にギクリとし、次の瞬間溜息をつく。そんな毎日を送っていた。でもそれでも構わなかったのだ。
忘れたいわけじゃない。むしろ忘れたくない。それがどんなに辛い記憶でも兄を覚えていたかった。
きっと一生、こうしてただ一人を思いながら生きていくのだろう。そう良守は覚悟していた。それが自分の贖罪なのだとー。

だからその日、その人を見た時。良守は息をする事も忘れ立ち尽くすしかなかった。









2008.4.28


序章 Novel