初めて、人を殺した夜。
直接ではなかったけど、作戦に錬金術を使った。
一部隊を追い詰めて、罠に誘い込んで。
300名程だっただろうか、逃げ場を失ってボクらの前に現れた彼らに容赦なく浴びせられた砲撃。
生身の体で聞く銃弾の音が、やけに乾いて聞こえるのだと知ったのもその時が初めてで。
助けを求める声が、断末魔の悲鳴が、いつまでも耳に残って消えなくて。
名前を呼ぶ資格すら、なくなった事に気付いてはいたのだけれど。
・・・・・ただ、無性に会いたかった。
共に歩む
別れたあの時はただショックで。何も考えられなかった。
憎まれてはいなくても疎まれていたのかと、それを思うと叫び出したくなった。
少し時が経って冷静さが戻ると、あの時のアルフォンスの不自然さに気付く。
そしてこの逼迫した戦況の最中、有力な戦力である国家錬金術師の俺を簡単に手放した不自然さにも。
時を同じくして軍に入ったアルフォンス。答えは簡単だった。
あの時あいつは否定したけど。
やはりどう考えても、アルが身代わりになったんだ。
アルが入隊したのは、俺が国家錬金術師を辞めた後だった。
ならば、アルが軍に対して。もしくはマスタング将軍に対して何らかのアプローチをしたのはその前だ。
あいつは、アルフォンスは。体を取り戻す前に、こうなる事を見越して一人動いていたのか。
気づけなかった自分に腹が立つ。アルフォンスの嘘に簡単に騙された自分に嫌気がする。
今までどれだけ一緒にいた。あいつの何を見てきたんだ、俺は!
それから程なくして、アルフォンスが所属する部隊がセントラルに戻る事を知った。
どうしても一目会いたくて、そのまま汽車に飛び乗る。見事な圧倒的勝利、その事でセントラルは湧き上がっていた。
その話題の中心にいたのは、「鋼の錬金術師」だった。
今回数々の武功をたて、入隊したばかりだけど特進するだろうと噂の的になっている。
…戦場での武功。特進する程の。
それが何を意味しているかは、考えなくても解ってしまった。
セントラルの中心街を走る軍の装甲車や隊列。青い軍服の中に埋もれた、でも見間違いようのない大切な存在。
久しぶりに見た弟は、これまで見た事のない冷たい目をしていた。
その時俺は、全てが遅かった事を悟った。
お前はもう、取り返しのつかない所へいっちまったのか。
それならそれでいい。アル、お前が戻れない所まで堕ちたというのならー。
覚悟なんてする事もない。それは俺にとって当然の選択だったのだから。
「君から電話してくるなんてね。」
早かった気もするし、遅かったような気もする。
「俺も、あんたの声は二度と聞きたくはなかったんだけどな。」
そうも言ってられない。何しろアルフォンスはこいつの直属の部下になっている。
「頼みを聞いて欲しい。あんたにとっても悪い話じゃないはずだ。」
俺の言葉に、電話越しにフッと笑ったような気配が伝わる。
きっとこいつにはお見通しだったに違いない。あー、くそ腹が立つ。
「分かった。しかし電話で話すような内容でもないだろう。直に話をしようじゃないか。」
ロイの言葉にエドワードは了解と応えると、止まっているホテルの名前を告げた。
「失礼します、将軍。」
お呼びですか。そう続けようとしたアルフォンスは、室内にいるのが将軍だけではない事に気付いた。
ドアを背に将軍に向かう人影。その姿を見て戦慄する。
後ろで一つに束ねられた金髪は、見事に光り輝いていて。顔なんて見なくてもわかる、この存在感。
その人物がこの場所にいるというだけでも衝撃なのに。更に彼は見慣れた服を着ていたのだ。
青い軍服。今自分が来ている服とまったく一緒の特殊な服。
ゆっくりと、その人が振り向いた。まるでスローモーションのようだったが、自分が勝手にそう感じていただけかもしれない。
間違えようもなかった。この世界でたった一人の特別な存在。
もう二度と会えない事を覚悟して、それでも会いたくて仕方なかった愛しい人。
そこに立っていたのは、紛れもなく兄だった。
どうして、どうして兄さんがここにいるんだ。何故、そんな姿をしている!?
「これはどういう事ですか。」
パニックを起こしそうになりながら、何とか声は出せた。怒りか、別の感情からか、震えそうになるのを必死に抑える。
「紹介しよう、彼はエドワード・エルリックといってね。国家錬金術師の資格を返上していたのだが、この程また取り直したんだよ。
同時に軍にも正式に入った。君が色々と教えてやってくれたまえ。」
「そんな事を聞いてるわけじゃありません、将軍!!」
珍しく激昂したアルフォンスの様子にも、ロイ将軍はまったく動じない。
「彼に関して今の以上に分かり易い説明もないと思うが。エドワード・エルリックは正式に軍に入った。
まだふたつ名はついていないが、国家資格もとったから少佐からのスタートだ。それ以外に何が聞きたい?」
「聞きたい事なんて…!」
ありすぎるくらいにある事は一番分かっているだろうに!
「それくらいにしとけよ。」
結構意地悪な所があるよな、こいつ。そう思いながらエドワードはアルフォンスに向き合った。
アル、と名を呼ぶと弟の体が少しだけピクリと揺れて、そのまま固まってしまう。
そんなアルフォンスの様子にエドワードは苦笑しながら話す。
「お前の気持ちや思いとか無駄にするのは悪いと思ったけど、黙って待ってるのは性に合わなくてな。
俺たちのしたことを見逃す代わりに軍が「鋼の錬金術師」を手放さないのなら、それは二人の責任だろう?
お前だけが背負おうとする必要なんてないんだ。」
だけど、兄さん。貴方はそう言ってくれるけど。ボクには貴方と共にいる資格なんてないんだ。
この手は人の血にまみれてしまった。兄さんまでそんな世界に来る事なんてない。
「兄さん、ボクは…。」
「知ってる、何も言わなくていい。だから俺が来たんだ。」
唇を真一文字に固く結んで耐えている弟。これは、泣きたいのを我慢している顔だ。
「こいつをさっさと大総統にしちまえば良い。俺とお前が一緒になって、こいつを上に押し上げるんだ。」
戦場で人を手にかけた。それは例え自らの意志ではなくても、消えない傷となってお前を苦しめ続けるだろう。
それもこれも、俺を守る為のものだったのなら。お前がもう戻れない所まで堕ちたというのなら。
俺も一緒に堕ちればいいのだから。
俺の覚悟が解ったのだろうか、弟の顔がくしゃりと歪んだ。
笑おうとして失敗したような、苦い表情だった。
「馬鹿だよ、兄さんは。」
「そうかもな。だけどお前だって人の事は言えないぞ?」
何しろ折角体を取り戻したのに、進んで人の身代わりになっちまうんだから。
大体、その事に関しては少々怒ってもいるんだけどな。自分一人で全てを決めて背負った事を。
でももういい。俺が逆の立場だったら、お前と同じ事をしていたかもしれない。
それが分かるだけに、苦しんだだろう事が分かるだけに、その事を責める気はなかった。
俺の言葉にアルフォンスが少し考え込んで、フッと溜息をつく。
「確かにね。…兄弟揃って大馬鹿野郎だ。」
今後の勤務の事などを話して、その日は定時で上がる事が出来た。
二人の上司になったロイ将軍に挨拶をして、軍部を後にする。
急遽セントラル入りしていたエドワードは、ホテルに荷物を置いて生活していた。
そう多くはない身の回りの荷物をホテルから引き払い、アルフォンスの借りているフラットに運ぶ。
食事をして風呂に入って、二人で酒を飲む。
思えばアルフォンスが体を取り戻して、こんな風に酒を飲んだのは初めてだった。
俺のグラスに香りの良いブランデーを注ぎながら、アルフォンスがぽつりと呟く。
「結局、にいさんを騙せなかったんだね、ボク。」
結構頑張ったのにな、溜息をつきながらの台詞に、笑いながら答える。
「結構騙せてたと思うけどな。俺、暫くはショックでボーっとしてたし。」
「悪かったと思ってるよ。ボクは兄さんを酷く傷つけた。改めてごめん。」
「アルが謝らなくてもいいけどな。俺の事を考えてのことだったんだし。」
「謝らなきゃいけない事はもうひとつあるんだよ。」
もうひとつ、謝らなくちゃいけない事?そんな事検討もつかない。
不思議そうに見る俺を、アルフォンスが少し悲しそうな顔をして見ながら話出した。
「戦場でね、呼んじゃいけないって思って、でも心の中でずっと兄さんって呼び続けてた。
自分で兄さんから離れたくせに、そんな資格もないのに、兄さんの名前を呼んでたんだ。」
そうしていないと、自分が自分でなくなってしまいそうで。そうしていないと、壊れてしまいそうで。
それは鎧の姿だった時から続いている、たったひとつ、アルフォンスをこの世界に繋ぎ止めてきた呪文。
「大丈夫だ。これからは、呼ばなくてもいいくらいに傍にいるから。」
そう言ってアルフォンスの頭を乱暴に撫でた。
くしゃくしゃにされた髪を整えていたアルフォンスだったが。
エドワードを見ると、ちょっと泣きそうだったけど。それでも微笑んでくれた。
それが見たかったんだ、アル。ずっと見ていたいんだ。
誰よりも傍で、俺だけが知っていたいと。そう思うよ。
この後、ロイ・マスタングが大総統の地位に就くのは3年後の事になる。
兄弟が全てから解放されたのも、また同じ日だった。