エドワード・エルリックの朝は、愛しの弟アルフォンスの声で始まる。
学園天国
「ねえ、兄さん。そろそろ起きないと遅刻しちゃうよ」
その柔らかく、可愛らしさの残る声を聞きながら、エドワードの意識は少しずつ覚醒する
耳に心地よい弟の声。ふかふかとした布団
この気持ちの良い状態から起き出す事が、何とも億劫に思えた
「うー、もう少しだけ寝かせろ…」
「何言ってるの。今起きないと、朝ご飯食べる時間無くなっちゃうでしょ」
「アルがおはようのキスしてくれたら起きるー」
「・・・・・・・はぁ。仕方ないなぁ」
ってアレ?キスしてくれる気かよ、マジか。最近じゃおはようのキスもおやすみのキスも全然してくれなくなったのに
駄目元で言ってみるもんだなー
なんて目を閉じたまま考えるエドワード。その頬に当たられたのはー
弟の柔らかい唇の感触ではなく、冷たく固い感触だった
慌てて目を開けたエドワードの目に入ったのは、棚の上に置いていた使っていない貯金箱(達磨型)
「おいアル!俺は朝っぱらからダルマとキスする趣味はねーぞ!!」
「だったら朝からキモイ事言ってないで、さっさと起きてよ。ご飯が冷めない内に、顔、洗って来てね」
そう言うと、弟は部屋を出ていってしまった
弟よ。兄ちゃんが弟におはようのキスをして欲しいと言う事がキモイ事なのか
だからってダルマはないだろう、ダルマは
世間一般的に言えば、弟にキスを強請る兄など充分キモイ存在なのだが、そんな事には頓着しない兄
こうして兄弟の朝は始まった
「エド、アル、おはよう!」
家を出てすぐの所で後ろから声を掛けてきたのは、二人の幼馴染みのウィンリィだった
「ウィンリィ、おはよう」
「はよ」
にこやかに挨拶するアルフォンスと正反対に、素っ気ない返事をするエドワード
その表情がいつもよりも更に憮然としている事に、兄弟と長い付き合いの彼女は気付いた
「何よ、朝っぱらからしけた顔してんのね。何かあったの?」
エドワードが簡単に答える訳が無い事を知るウィンリィは、アルフォンスに聞いてみる
アルフォンスは、う〜ん、たいした事じゃ無いんだけど…。と言い辛そうに言葉を濁した
その様子で何となくピンと来る、聡い彼女
「成る程。いつもの様にエドがアルを困らせるような事を言ったかやったのね?
それで怒られたか何かして、エドが拗ねてる訳だ」
「俺は拗ねてなんかいねえ」
「どう見たって拗ねてる顔してるわよ。今朝は鏡を見てないの?」
他の人が見れば、兄の顔は拗ねてるというより怒っている顔で、とてもじゃないが声を掛けたりなど出来ないだろう
だがさすがに幼馴染み。近づきたくない不機嫌オーラ全開の兄に、さらりと突っ込みを入れる
「あんた、アルに我が儘を言うのも大概にしときなさいよ。愛想尽かされても知らないから」
「愛想って、ウィンリィ。僕、兄さんの奥さんじゃないんだけど」
「おい、ウィンリィお前な。さっきから勝手な事ばっか言ってんじゃねえ。
それにアルはお前と違って優しいから、愛想尽かすなんてことしないんだよ」
「そこが甘えてるってのよねー。アル、そろそろ教育方針変えた方が良いわよ」
ハハハ、と苦笑いの弟を余所に、兄と幼馴染みの口喧嘩が始まる
そんな風にしながら登校するのが、三人の常だった
エドワードとアルフォンスのエルリック兄弟。二人は知る人ぞ知る有名人だ
それは国で最高峰レベルである高校に通い、かつ、全国模試で常にトップの成績を修めているからだった
二人は一歳違いの年子だが、生まれた日の関係で同じ学年に通っている。だから兄弟で一番と二番の座を独占していた
時々二人の間で順位が入れ替わる事があっても、それ以下になる事は決してない
そんな二人だったから、当然学内でも有名人だった
兄弟揃って頭脳明晰、加えて運動神経抜群で武術の腕前も全国レベル。さらに顔だって良い。(兄は黙っていれば、の注釈が付く)
そこまでいけば、女性にはモテまくり、男性にはやっかまれまくりになるに違いない。事実、弟はとてもモテる
なのに弟は妬まれたりはしない。それはアルフォンスの穏やかで優しい誰からも好かれる気性のおかげ
そして兄も妬まれたりはしない。エドワードは余りモテない。その性格の荒さと眼孔の鋭さで大抵の女性は怯えてしまうからだ
それともうひとつ。兄が妬まれない理由の最たるもの。学内では有名過ぎる影のあだ名と共に、その事実はある。即ち
ブラコンエドワード
誰も面と向かって言ったりはしないが、校内でブラコンと言えばエドワードを指す
その態度は余りにあらかさますぎて、もはや誰も突っ込もうとはしない
むしろ弟に彼女でも出来た時に、兄がどうするのか。
@発狂する
A相手の女を殺す
B逆上して弟を無理矢理犯そうとする(そして返り討ちに合う)
という賭けの対象になる程、兄の行く末を(面白がって)見守っていた
「あれ、アルは?」
日直だったエドワードが職員室から戻ると、弟の姿がなかった。思わずウィンリィに訪ねる
ウィンリィは何も言わずに、チョイと窓を指さした
訝しげに窓に寄りその下を覗いてみるとー、そこには女生徒と一緒にいるアルフォンスの姿
「アルッ!ちくしょう、また告白されてんのか!?」
「最近は少なくなってきてたのにね」
まあ、こんな兄がいたんでは無理もないけど。それとアルフォンスが誰の告白も受け付けなかったし
突き破らんばかりの勢いで窓に張り付いていた兄だったが、相手の少女がペコリと頭を下げてその場を立ち去ったので、
ホッとしたように息をついた
「弟は相変わらずモテているようだな」
突然後ろから聞こえた声にバッと振り向くと、そこにいたのは化学教師のロイ・マスタングだった
「何でてめえがここにいる」
「何でと言われてもね。偶々通りかかったら、窓にへばり付くけったいな生き物を見かけたのでね。
思わずどんな顔をしているのか、確かめに入ってしまったよ」
いっそ清々しく白い歯を見せながら朗らかに笑うロイ。その台詞にエドの眉間に青筋が入る
「けったいな生き物で悪かったな。顔も確認したんだし、さっさと出ていきやがれ」
しかし兄の剣幕を物ともせず、ロイは平然としていた
「変わらないと言えば君もだな。ブラコンは相変わらずか。不毛なヤツだ」
…うわあ。それはこの部屋にいたクラスメイト達の声にならない声だった
そんな思っていても誰も口にしたりしない台詞とハッキリと。これは結構ヤバいんじゃ…
「言いたい事はそれで終わりか?」
案の定、エドワードの表情は泣く子も黙るというか引きつって痙攣しそうな形相と化していた
「アンタとは一度きっちりけりをつけたいと思ってたんだ」
「ほお、やると言うのかね」
「先に喧嘩ふっかけてきたのはそっちだ」
「ふっ、まあ良いだろう。その教師を教師とも思わない態度。一度どちらが上なのか身を持って知った方が良いかもな」
いや、教師だからこそ生徒と喧嘩ってマズいんじゃないでしょうか
って言うか勝てるのかアンタ
その場にいた生徒全員が心の中で突っ込みを入れる
確かにロイも強い。学生時代は全国大会で優勝した事もあるらしい。…フェンシングだが
対してエドは格闘武術はかなりの物だ。空手とテコンドー、最近はボクシングも始めたらしい
全体的には弟のアルフォンスの方が腕は上だったが、それでも全国トップレベルの腕前だった
素手で戦えるエドワードと武器が必要なロイ・マスタング
まさか武器を使うつもりなのか?素手の生徒に対して?…有り得ない
そんなクラスメイト達の心中の疑問を余所に、エドワードが「中庭に」とボソッと言うと、二人が教室を出ていく
一瞬シーンとした教室内が、次の瞬間ワッと湧く
「なあ、どっちが勝つと思う!?」
「そりゃ、やっぱりエドだろう」
「いや、あれだけ自信ありげにしてたんだ。ロイ先生ひょっとしたら、武術もかなりいけるんじゃないか?」
「おい、誰か対戦カード組めよ!!」
アルフォンスが戻ってきた時、教室内は異様な盛り上がりを見せていた。
「ねえ、ウィンリィ。みんなどうかしたの?」
「あー、うん。ちょっとエドとロイ先生がねー」
「兄さんとロイ先生がどうしたの」
「何だか決闘するみたいよ?」
「は!?決闘!?どういう事ウィンリィ!!」
「どういう事って言ってもねえ。いつものようにロイ先生がからかって、それにエドが逆上して…。
まあ、あの二人ならいつこんな喧嘩になってもおかしくなかったわけだし、一度くらい良いんじゃない?」
「一度くらいって…、そんな問題じゃないよ、ウィンリィ!」
僕、二人を止めてくる!と叫んでアルフォンスは教室を飛び出していった
その後ろ姿を見送りながら、ウィンリィは溜め息をついた
あんな風に頭に血が上ったエドを止められる人間なんていないわよ。アル、あんた以外にはね
そうして賭の取り纏めが終わり、二人の対戦を見る為に慌ただしく動き始めたクラスメイトと共に、ウィンリィも教室を後にした
アルフォンスが駆け付けた時、すでに二人は喧嘩を始めていた
「兄さん!ロイ先生も!喧嘩なんて止めて下さい!!」
「アル止めんな!今日という今日は絶対こいつを叩きのめしてやるんだからな!」
「出来るものならやってみたまえ!アルフォンス君、私の事なら心配無用だ!」
「アルが心配してるのは俺だー!!」
怒鳴りながらも攻撃の手を休めない二人
自信ありげにしていただけあって、ロイは格闘技の腕前もかなりのものだった
エドワードの攻撃を紙一重で避けると、重そうなパンチを繰り出してくる
一方のエドは体重が軽い分威力は弱まるが、それを補って余りあるスピードとバネで休む暇を与えないように攻撃を繰り返していた
「あーあ、これは接戦ね。こりゃ二人とも倒れるまで止まんないわ」
クラスメイトや集まりだした野次馬と共に、少し離れて見ていたウィンリィだったが、必死に二人を止めようとするアルフォンスの姿に
思わず横に並んで声を掛ける。見るとアルフォンスの手が細かく震えていた
「アル?ちょっとあんた大丈夫?」
「・・・・・・・・ウィンリィ、僕もう怒ったよ」
それはいつも綺麗で年の割には可愛いアルフォンスの声とは思えない程静かな怒りに満ちていた
顔を見上げてみると、目が据わっている
エド、あんたアルを本気で怒らせたみたいよ
ウィンリィはスタスタと二人に向かっていくアルフォンスの後ろ姿を見ながら心の中で呟いた
先程より戦いに夢中になっていた二人が近づくアルフォンスに気付いたのは、アルがかなり近くに来てからだった
「アル!?」
「アルフォンス君!?」
二人の気が逸れたその瞬間、アルフォンスは素早く身を沈めるとロイの腹部に肘鉄をくらわし、そのままの勢いをつけて
エドワードの顎に強烈な拳をお見舞いした。軽く後方に吹っ飛んでいくエドワード
思いがけない人物の思いがけない攻撃に、まともに肘鉄をくらってしまったロイもその場に膝をついた
そんな動けない二人を見下ろしながら、アルフォンスの常に無い冷ややかな声が響く
「兄さん。いつも言ってるけど、その喧嘩っ早いの何とかして。そんな事の為に僕ら体を鍛えてるわけじゃないでしょ」
「ははははいぃっ!!」
「それとロイ先生。貴方仮にも教師なんですから、校内で一回りも年の違う生徒相手に喧嘩なんてみっともない事しないで下さい」
「ご、ごもっともです…」
「分かったんなら」
そこで一旦言葉を切り、スーっと呼吸を溜めると後方を指さし一気に叫ぶ
「さっさと保健室にでも行って怪我の手当でもしてもらって来い!!」
「「ハイッ!!」」
二人は声をハモらせると、逃げるように校舎に走り出した
その様子を見ていた生徒達の間から感嘆の溜め息が洩れる
「凄え、あの二人の喧嘩に割って入って止めちまったぜ」
「見たかよあの肘鉄。身を沈めた時の動きの早さ!流石だなぁ」
「強いのは知ってたけど、こうして間近で見ると迫力が違うな」
「だけどなあ」
「ああ、そうだな」
「普段物静かなヤツ程、怒らせると恐いって本当だな」
「結局、アルフォンスが最強って事だな」
校舎に戻っていくアルフォンスの後ろ姿を見ながら、生徒達の囁きは続いていた
その後、怒りの為に殆ど口を利かなくなってしまった弟のご機嫌を取ろうと躍起になる兄の姿が校内で見られるようになった
やっと弟が怒りを静めたのは、1週間も後の事だったという
設定はしてなかったけど、12121のキリバン急遽認定。ご申告は夜羽さんv
「キリ番じゃないけど、こんなきれいな数字は初めて踏んだ」という夜羽さんに
それならばお祝い致しましょうvとリクを受け付けました。
リクエストされてお話を書くって初めてだったので、書けるかどうか少し心配でしたが、
リクの内容が楽しそうだったので、結構悪ノリしちゃいまして。
現代パラレル学園物とあいなりました。妙に楽しかったです(笑)
ちなみにリク内容は「仲良し兄弟学園編」でした。夜羽さん、サンクスですv
でも錬金術で喧嘩させたかったなー。どう考えてもこの設定では無理でしたが。
それとロイ氏に兄さんを「鋼の」と呼ばせるわけにもいかないのは参りました。
リザさんも出したかったけど、長くなりそうだったので断念。
そう言えばリクは「仲良し兄弟」だったのに、あんまりそういうシーンが出てこなかったですね…。
というわけで、ほんのちょっとだけおまけ