それがどんな出会いでも 前編














「王!エドワード王!」

自分を呼ぶ声を背後に聞きながら、エドワードはそれを無視して走っていた。

「呼ばれて止まる奴がいるかよ。」

声が少しずつ遠くなるのにほくそ笑みながら、彼はいつもの場所へと向かう。

国賓・来賓も訪れるよく手入れされた東の庭園のさらに先。

殆ど人の手を加えられないまま、小さな草花が咲いているだけの野原のような空間。

城の者から忘れられたようなそれは、この広い城の中で唯一彼が一人になって気を抜ける場所だった。


「よっと!」

「きゃっ!?」

人の背よりは低い囲いを飛び越えると、聞こえたのは小さな悲鳴。

思わず声のした方に顔を向けると、驚いたように口元に手を当てている人がいる。

この場所で人と会うのは初めてだった。城の奥深くで人の出入りするような場所ではないのに。

しかもそれがまだ年若い娘とくれば尚更だ。


「ここに先客がいたとはな。失礼した。」

「あ、いいえ!私の方こそ声を上げてしまい失礼を致しました。」

立ち上がり深々とお辞儀をする娘に歩み寄る。上げた顔を見て、エドワードは驚いた。

姿勢の良い綺麗な立ち姿。白い肌に紅色の頬と唇。真っ直ぐに伸びた髪はサラリと風になびく。

何より髪と同じ蜂蜜色の瞳が輝いていて印象的だった。少しだけ色合いは違うが、自分とよく似た金色の瞳。


「いいさ、こんな所に人が来るなんて思わなかっただろうから驚いて当然だ。よくここを見つけたな。」

エドワードが笑いかけると、娘がホッとしたように微笑んだ。

「最初はお庭を回っていたのですが、偶然見つけたんです。綺麗に手入れされた庭も素敵でしたが…。」

「確かに東の庭は見事だけど、こっちの方が落ち着くと思う。気が抜けるっていうかさ。」

先客がいたのだから立ち去ろうとかとも思ったが、側近をまいてここに来れる事は少ない。

「邪魔して悪いが休ませてくれ。少しだけだから。」

「それでしたら私がお暇しましょう。」

「いや、ここで人に会うのは初めてなんだ。貴重な仲間は大事にしたい。もし時間があるなら話でもしないか。」

今にも立ち去ろうとする娘を引き留めて、その場に座り込むエドワード。娘も小さく頷いてしゃがみこんだ。


「この城では見たことのない顔だな。最近来たのか?」

「…来たのは少し前なのですが、暫くは部屋にばかりいたので。今日は城の中を覚えようと思い、あちこち見ていた所です。」

「無駄に広いからなー。一回りするだけでも大変だろう。」

ハハハと豪快に笑う青年に娘も笑う。確かにこの城は後から増築もされているので、入り組んでいてやたらと広い。

「貴方は?ここに慣れておいでのようですが。」

整ったスッキリとした身なり。無駄のない身のこなし。少女の目には彼は貴族か何かの子息のように思えた。

「オレか。オレは仕事の途中だったんだが、あんまり周りが五月蠅い事を言い出したので抜け出してきたんだ。」

まったく、人が真面目に執務をこなしているというのに、やれ後宮に出向けだの早く后を決めろだの。

あいつらはオレに仕事をさせたくないのか。


エドワードが側近から逃げていた理由。それは最近になって激化してきた后問題のせいだった。

元々彼には隣国の姫が婚約者として決まっていた。顔を合わせた事もなく、彼が20歳になったら挙式する予定だった。

だが姫は挙式を前に病で急逝してしまったのだ。

それからがエドワードの憂鬱が始まった。周りが勝手に慌てだして、後宮づくりを進めてしまったのだ。

友好国の中にエドワードと釣り合う年齢で、まだ婚約者のいない姫などもういない。

なにしろ大体の皇子や皇女は、生まれた時には婚約者が決まってしまう。

ならばと側近達が考えたのが、自国や近隣諸国からこれはという娘達を集めての後宮づくりだった。

市民の娘や貴族の娘問わず、容姿が美しくある程度の教養もある娘達を掻き集めているらしい。

だが、ただでさえ年頃になっても異性への興味を示さずにいたエドワードだ。周りがどれ程躍起になろうと、自ら後宮へ出向く事はない。

世の男共からすれば羨ましい状況にも関わらず、後宮は主不在の状態が続いていた。


「息苦しくなるとここに来るんだ。良い所だろう?」

何万本も植えられたバラ、綺麗に刈り揃えられた木々。それはそれで美しいが、時々不自然さを感じる時がある。

誰もが絶賛する庭園よりも、小さな野の花が季節ごとに咲くこの場所がエドワードは好きだった。

「そうですね、優しい場所だと思います。」


エドワードを見ながら微笑む娘の笑顔に、エドワードはドキっとした。

そう言った彼女の笑顔こそ、とても優しかったから。







それから二人は色々な話をして一時を過ごした。

最初はごく他愛のない会話だったのだが、いつの間にか国内経済の話や、エドワードが傾倒している錬金術の話になる。

国内だけではなく、国外にも錬金術を学ぶ者は数が少ない。それなのにその少女の知識はかなりのものだった。

すでに近隣諸国にもエドワードの学論についてこれる者はいない。しかし少女はそれを理解し、鋭い疑問を突いてくるのだ。

打てば響くような会話は楽しく、二人は時を忘れていた。

その時ゴーンという鐘の音が響く。フッと娘が城を振り向く。


「そろそろ戻らないと。少しだけのつもりだったのに、随分長居しちゃったみたい。」

「そうか、それは残念だな。」

二人は少しの間に随分と打ち解けていた。敬語もなく、互いに地のままの話し方になっていたが、それが極自然に感じられる。

エドワードもそろそろ戻らなくては行けない時間だ。側近達はまだ呆れつつ彼を捜しているだろう。

だがエドワードには、このまま彼女と別れてしまう事が残念に思えた。


「またここで会いたい。…会ってくれるか?」

立ち上がりかけていた少女は少し驚いたように目を丸くしたが、すぐににっこりと笑ってくれた。

「ボクも会いたい。こんなに楽しかったのは久しぶりだったよ。」

その笑顔に何故か胸がズクリと痛むような感覚を味わいながら、エドワードは次の約束を口にしていた。

来週の同じ時間に、またこの場所で会おうとー。





それから6日後。その日エドワードはここ暫くの間で一番憂鬱だった。

前々から五月蠅かった后選び。なかなか重い腰を上げないエドワードに業を煮やした側近達に、無理矢理後宮へと連れて来られたのだ。

子供の頃から面倒を見てくれた年老いた侍従頭に、泣きながら訴えられてはエドワードも動かざるをえない。

取りあえず見に行くだけ行って、気に入った者がいなかったと言えばいいかと、仕方なく後宮へ足を向けたエドワードだった。

何しろ明日はあの娘との約束があるのだ。また色んな話がしたいと楽しみにしていた。

彼女が興味を持ちそうな本も持っていこうと用意だってしてある。こんな用は今日中に終わらせておかなくては。

そう言えばあんなに話したのに、名前も聞いていなかった事にエドワードは気付いた。





側近にわきを固められた形で渋々と後宮内を歩く。

まったく、こんなに周りを隙間なく埋めなくても逃げやしないって。

集められた娘達は、確かに選りすぐりの女性達ばかりなのだろう。

少しだけ腰を落とした姿勢でエドワードを見上げるにこやかな表情は、自信に満ち溢れている。

隣の侍従がやれあの娘はどこどこの生まれで、などと話すのを興味なく聞き流すエドワード。

と、列の終わりの方に一人だけ俯いている娘がいた。エドワードの歩みが止まる。


まさか、とは思ったのだ。そんな筈はないと。

だがよく考えたら、自分は彼女が何の為に城に来たのか聞いていなかった。

気立ても育ちも良さそうな少女だったから、行儀見習いか何かで城に入ったのかとくらいにしか考えてなかった。

だからこんな所にいるはずがない。後宮の、それも自分の后候補の列の中になどいるはずがないのだ。

だけどその列の中で一際目立つ蜂蜜色の髪を、自分が見間違えはしないという事も彼には分かっていた。

歩みを止めてしまったエドワードの視線を追った側近は、その先に顔を伏せた娘がいる事に気付く。


「そこの娘、エドワード王に顔を見せなさい。」

声をかけられた娘はピクリと肩を震わせると、ゆっくりと顔を上げた。

その様子をエドワードは身動きせずに見ていた。そしてその金色の目が彼に気付く。

二人の視線が反らされることなく絡み合った。

互いの間にだけ緊迫した空気が流れたが、それに他の者が気付く事はない。


「エドワード王、気に入った娘はいましたか?」

耳元で側近が尋ねる声に、エドワードはハッとする。

彼女と話をしたいと思った。だが今彼女を呼べば、周囲の受け止め方は違ってくる。


「いや…、今日は戻る。」

周りが止める前に、エドワードは足早にその場から立ち去った。

























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