きらきらV
その時アルフォンスは重い足取りで一応の目当ての店へと向かっていた。
本当にランジェリーショップには行くつもりでいた。あの場を離れる為の嘘ではない。だけど。
自分の知らない所で知らない女性と知り合って、親しげに話す兄を見るのは辛かった。口実にして逃げたも同然だ。
兄が軍属だったあの頃。その仕事に大体アルフォンスは関わっていた。
だけど時々兄は一人で出掛ける事があった。アネットの店に行ったならそんな時だろう。
別にそういう店に行っていた事自体は構わない。大佐と一緒だったみたいだし、仕事関係だろうし。
それよりもショックだったのは、あんな大人の女性と兄が親しげだった事だ。
兄の周りにいる女性といったら、家族も同然のウィンリィだけだった。
なにより兄は村の人間や、一部の親しい軍部の人間以外にはどこか一線ひいているような所があったのに。
あのアネットという女性の前では、凄く打ち解けた感じで楽しそうだった。そんな姿はあまり見た事がない。
それは兄にとって、きっと良い事だと思うのに。
嫉妬なんて、ヤキモチだなんて。こんな感情知りたくなかった。
ボクが弟だったら、女性の体でなければ。兄への想いに気付かなければ。
こんな風に嫉妬で苦しむ事なんてなかったはずなのに。
どうして気付いてしまったんだろう。打ち明ける事さえ出来ない想いに。
涙が零れそうになって慌てて目を擦る。その時。
「アル!」
背後から聞こえた耳慣れた声に、体が反射的に振り向いてしまった。
「…兄さん?」
物凄い勢いで駆け寄って来た兄は、苦しそうに息をしている。もしかして別れた場所から全力疾走してきたのだろうか。
しばらく荒い呼吸を繰り返していたエドワードだったが、やっと呼吸を整えるとまだ赤い顔を上げた。
「兄さん、どうしたの。アネットさんは?」
夕方の汽車で帰ると言っていたが、急用でも出来て別れたのだろうか。
それにしたって、こんなに全速力で走って来なくても。カフェで待っていれば良いのに。
「お茶してる場合じゃないんだってさ。」
なんだやっぱり用事が出来たのか、と思ったアルフォンスだったが、そっと頬に伸ばされた手に言葉を奪われた。
「…泣いてたのか?」
兄の言葉の意味が一瞬分からなくて動きが止まる。泣いてって、誰が。誰って…ボク?
「な、泣いてないよ!何でそんな事言うのさ!」
さっき泣きそうになったけど辛うじて涙は零れなかった。なのに何で兄にばれてるんだ。
すると兄の指が、すっと目尻を拭っていく。その優しい感触に心臓がひとつ大きく跳ね上がった。
「目、真っ赤になってるぞ。目尻もだ。無理に擦っただろ。」
白く柔らかなアルフォンスの肌。取り戻して間もないアルフォンスの体は、どこもかしこも生まれたてのようだった。
だからちょっとした刺激にも弱く、こうして肌が赤くなってしまう。
まさか、と思った。さっきアネットに言われた事だって、はっきり言って半信半疑だった。
アルフォンスがヤキモチだなんて、そんな都合の良い事あるはずがない。
それでも万が一もしかして、彼女の言う通りだったならー。そう思っていた事が現実になろうとしている。
ーヤキモチだとしても、それは俺が考えてるようなものではないかもしれない。
仲の良い兄への妹としての感情なのかもしれない。それでも。
気持ちを打ち明けるなら今しかない。例えそれで結果的にアルに軽蔑されるかもしれないとしても。
「俺がお前の知らない女と話すのは嫌か?」
「…っ!!」
そのものズバリを言い当てられて、アルフォンスは大きく肩を揺らした。
どうしよう、早く否定しないと。そんなんじゃないよって、ただ目にゴミが入っただけだって。
早く早くと思うほど、言葉がうまく出てこない。
そんなアルフォンスを見詰め、エドワードは柔らかな頬を両手で包み込む。
「もし、アルがそう思ってくれたとしたら。妬いてくれたなら、俺は嬉しい。」
「え…?」
驚きで目をこれ以上ないくらいに見開くアルフォンス。
今の、言葉は。嬉しいってなんなの。
「ど…して、それってどういう意味…?」
震えそうになるのを必死に堪えながら、アルフォンスは尋ねた。
「だってボクら兄妹なんだよ?兄さんが誰と話したからって、嫌だと思ったり妬いたりするなんておかしいよ。」
そうだ、それはおかしい事なんだから。そんな感情あってはいけない。
ましてやそれを貴方に知られてしまうなんて。駄目だって、ずっと思ってた。
「そうだな。俺達兄妹だから、そんなのはおかしいよな。…だけど俺はお前が俺の知らない誰かと話してたら嫌だ。」
瞬きも忘れたかのように自分を見詰め返してくるアルフォンス。
その少し潤んだ瞳に自分が映っているのを、自分だけが映っているのを見てエドワードは微笑んだ。
「俺、お前が好きなんだ。」
その言葉を聞いた瞬間、自分でも気付かない内にアルフォンスの目から涙が溢れた。
表情は呆然と、その目からは後から後から涙が流れていく。
そこに嫌悪といった感情はまったくみられなかったことに、エドワードはひとまず安心した。
「…泣くなよ。」
溢れ出る涙を指で拭ってやると、アルフォンスが小さく何かを呟いた。
「アル?何か言ったか?」
その言葉があまりに小さすぎて聞き逃したエドワードが聞くと、アルフォンスがもう一度同じ言葉を繰り返す。
「…嫌だったんだ。」
「…うん。」
「ボクの知らない所で知らない人と知り合って、楽しそうな兄さんを見るのが辛くて嫌だった。
こんな醜い独占欲、兄さんに気付かれたくなくって。」
「うん、気付かなくってごめんな。」
「…っ、兄さん…っ!!」
堪えきれなくなったかのようにくしゃりと顔を歪ませ、アルフォンスはその手を兄へと伸ばした。
そのまま強く抱き締められて、まわした背へしがみつく。
これは夢じゃない。兄に好きだと言われた事も、こうして抱き締められている事も。
だってボクを抱き締めてくれる腕は力強くて、こんなにも温かい。
だから早く伝えなくちゃ。夢でも言えずにいたこの気持ちを。
きっといつか気付かれてしまうと恐れていた気持ちを。
「ボクも兄さんが好きだよ。いつからかは分からないけど、気付いた時には好きになってた。」
この感情をいつから持っていたのかは分からない。
鎧の体だった頃からか、それよりもっと以前なのか。
弟だった時からの想いなのか、それとも女性の体になってしまってから育った想いなのか。
兄を好きな事は当たり前の事だった。息をするよりも体に馴染んでるくらいに。
誰よりも大切なのは、当然の事だった。だからそれが実の兄へ向ける感情とは違うという事に気付いても。
否定する気にだけはなれなくて。
少し低い声で名前を呼ばれて、アルフォンスは兄の腕の中のまま顔を少し上げた。
そのまま兄の顔が降りてくる気配に、静かに目を瞑る。
柔らかな優しい口付け。好きだ、アルフォンスと耳元で囁かれて、足から力が抜けそうになった。
ー大好き。
後日、アネットの店に様々な品種の百合の花が大量に届いた。どうやら元国家錬金術師からのお礼代わりらしい。
昔彼が来た時に、私がこの花が好きだと言って店に飾っていたのを覚えていたのだろうか。
それではあの二人は、きっとお互いの気持ちを伝え合う事が出来たのだろう。
それを考えるとなにやら嬉しい気分になる。
いつか改めて二人にちゃんと会いたいわね。その時はあの後の事を根ほり葉ほり聞かなくちゃ。
嬉しそうに百合を見ながら自然と笑みが浮かぶアネットだった。
アルフォンスが綺麗になった理由を、エドワードが改めてウィンリィから聞かされたのは
それからまた少し後のお話。
リベンジ編、完結。