変化する心と体 後編
仕事場では口にしない名で呼ばれて、エドワードがリザを振り向く。
リザはいつもの軍人としてではない、エドワードの友人としての顔になっていた。
「そこに座って。今コーヒーを煎れるから。」
話は落ち着いてからだと促され、エドワードはソファに座った。不機嫌は隠しようがない。
その表情を見て、ロイとリザは顔を見合わせて苦笑する。
テーブルに三人分のコーヒーが置かれると、ロイもソファに移動した。
二人がゆっくりとコーヒーに口を付けるのを見て、エドワードも渋々口にした。
程良い苦みが口に広がり、ほんの少しだけ気が弛んだ気がする。
そういえば今朝は起きてから水の一滴も飲んでいない。
少し落ち着いてきたエドワードの様子に、ロイが口を開く。
「鋼の。アルフォンスが何故家を出たか、本当に君には検討もつかないか?」
「…検討がついてたら、こんなに慌ててないだろ。」
「ふむ、それもそうだな。じゃあ考えてみたまえ。君はここ1週間仕事で家を留守にしていた。
その前に君がしでかした事で不満があったとしたら、とっくにアルフォンスは家を出ていただろう。
つまりは昨夜帰宅してからの、君の行動が問題だったという事になる。」
ロイの言葉にエドワードは昨夜の己の行動を反芻した。
昨夜は久方振りに帰れるので浮かれてて、軽く食事をしたら帰るつもりだったのに結構酒も飲んでしまった。
それでも日付が変わる前には家に辿り着いたはずだ。
家に帰ると当たり前の様にアルフォンスがいて、飲み過ぎだと小言を言っていた。
体の事を心配して言ってくれてるのは分かっていたし、ちょっと頬を膨らませた姿が可愛くてー。
その後はそのまんま、その、何というか煩悩の命ずるままに暴走しちまったというか。酒も入ってたし。
そういえばあの時は考えなかったけど、アルフォンスの様子がいつもと違っていた。
拒んで…いなかっただろうか。結構本気で。でも俺、そんなアルも可愛いなーなんて思ってた。
自分の昨夜の行動とアルフォンスの態度を思い出し、サーッと青くなるエドワード。
「どうやら心当たりがあったようだな。」
溜息をつく大人二人。アルフォンスは全てを話したわけじゃなかったが、大体の察しはついていた。
この兄の様子ではどうやらほぼ間違ってはいなかったようだ。
「いいかね、鋼の。女性というのは精神的にも肉体的にも不安定な時期というのがある。
若い君にそれを察しろというのは酷かもしれんが、相手は女性になりたてのアルフォンスだ。
ただでさえ本人も戸惑う事が多いだろう。その辺は配慮しなくてはな。それがパートナーの務めだよ。」
のろのろと顔を上げたエドワード。普段だったら説教など怒鳴り散らして席を立つ所だろうがそうはしなかった。
顔色を無くし、眉を下げ。いつにない情けない顔にリザはまた小さく溜息をついた。
「エドワード君。アルフォンス君も本気で怒っている訳ではないと思うの。」
「…リザさん、俺、アルフォンスに謝りたい。だけど今は会わない方が良い?」
「少しの間、そっとしてあげましょう。ね、エドワード君、私に任せてくれないかしら。」
リザの言葉にエドワードはまた俯いた。そして暫く考えたあと、小さく頷くと頭を下げた。
「ーわかった。ごめん、…アルフォンスを頼みます。」
その言葉にロイとリザは顔を見合わせて安堵の息をついた。
「ただいま。」
「あ、リザさん、お帰りなさい。」
リザが家に帰ると、いつものように出迎える愛犬の鳴き声とは別に、愛らしい声が聞こえる。
「ただいま、アルフォンス君。」
キッチンからエプロン姿で出てくる姿に、リザは思わず微笑んだ。
「…?どうしたんですか、リザさん。」
「ふふ、たいした事ではないの。」
一人の家だから、誰かが出迎えてくれる事などなかった。家に帰ったら誰かがいるというのは不思議にくすぐったい。
これが当たり前だったのなら、エドワードは今日から寂しい思いをするだろう。
だがたまにはこういう風に離れる事も、この二人には必要なのかもしれない。今まであまりに一緒にいすぎたから。
ちょっとの間の辛抱よ、エドワード君。リザは心の中で語りかけた。
「結局今日は大学には行かなかったの?一人で退屈だったでしょう。」
しゃがみこみ、足下にじゃれついてくるブラックハヤテの頭を撫でながら、リザはアルフォンスを見上げた。
「ブラックハヤテと遊んでましたから平気でした。…ちょっと頭も冷えたみたいだし。」
苦笑しながらアルフォンスは言う。それに「そう。」とだけ返してリザは立ち上がった。
「エドワード君、半狂乱だったわ。私が預かるって話したら落ち着いてくれたけど。」
「……。」
「反省、してたみたいよ?」
「…そうですか。」
アルフォンスはくるりと身を翻して部屋の奥へと向かった。リザも後を追う。
ソファに小さく座る少女は少し寂しげな目をしていた。
「一日ぼんやり考えて、何にショックを受けていたのか分かった気がするんです。」
取り戻した体は女性体になっていた。あれから一年が過ぎ、その事はもう納得したと自分でも思っていた。
半年前から大学にも行き始め、兄も軍に正式に入隊して。想いを打ち明けあって結ばれて。
身も心も女性として生きていく事に不満なんて無かったはずなのに。
「体調に波があったり、それに精神的に左右されたり。自分がとても不安定な人間に思える時があって。
そんな自分はとても弱い存在に思えて、ボクはそんな姿を兄さんに見られるのが嫌だったんです。」
抱き合えば全てが晒されてしまう。弱い自分を暴かれてしまいそうで、それが嫌だった。
兄さんが自分を暴こうとしてるみたいに思えて、初めて恐い、と感じた。
兄さんをそんな風に思った自分が信じられなかった。
ぽつりと話す少女の横に座り、リザはその肩をそっと抱いた。
それは女性なら誰でも通る道。体が大人になれば、個人差はあれど大抵の女性は一月の中で好不調を繰り返す。
普通であれば、少女時代から完全に大人になるまでに自分の体調を掴む事が出来るけど。
いきなり女性になってしまったアルフォンスには、慣れる暇さえなかったのだ。戸惑い、恐怖を感じるのも無理はない。
数々の試練を乗り越え、兄よりも冷静で理知的だと言われるアルフォンスにも、それは未知の領域だったのだから。
「アルフォンス君、それは女性なら当然の事なの。多少の差はあれ、生理前後は精神的に参ってしまう人は多いわ。」
そんな時には例え愛しい人でも触れられたくないと思う時もある。逆に触れていて欲しいと思う時も。
矛盾しているように見えてそれは矛盾ではなく、ごく当たり前の事なのだから。恐れる必要はないし、弱さでもない。
「女性が男性よりも根本的な所で精神的にタフなのはね、そうやって毎月鍛えてるからよ。」
悪戯っぽくリザは微笑んだ。その笑顔にアルフォンスの表情も弛む。
「じゃあ、ボクも段々鍛えられてタフになるのかな。」
「ええ、その内自分のペースを掴む事が出来るようになるわ。こういう事は焦らないでゆっくりで良いのよ。」
優しく諭すリザの言葉に、アルフォンスは頷いてありがとうと小さく微笑む。
「…明日からは大学に行きます。そして気持ちが落ち着いたら、ちゃんと家に帰ります。」
兄さんのところへ。口にはしなかったが、そう彼女が言ったのがリザには解った。
少し疲れているみたい。そうリザの口から聞いたのは、家を出て5日経った時だった。
誰が、とは聞かなくても分かる。
あの日猛烈に反省した後、エドワードは猛烈な勢いで仕事に熱中していたらしい。
アルフォンスに謝りたい気持ちや迎えに行きたい気持ちを押さえる為、不安を紛らわす為に。
その集中力は凄まじく、この5日間、食事も睡眠も殆ど取っていなかったようだ。
今日はあまりの顔色の悪さに、将軍に無理矢理家に戻るよう命令されたと聞き、アルフォンスは帰る事を決めた。
小さくノックした後、鍵を開けて家に入る。
恐らく兄はもう帰宅してるはずなのに、家は静まりかえっていた。
部屋で寝ているのだろうかと、とりあえずリビングに向かうと、ソファに寝そべる人影が見えた。
そっと近づくとソファの脇に跪いた。覗き込んでも気付かないなんて、相当疲れているようだ。
それが証拠に久しぶりに見る兄の顔は、少し頬が痩けていた。
部屋が暗いから顔色は分からないけど、きっと青白いだろうと思わせる雰囲気だった。
こうして顔を見ると、胸の奥が小さく疼くような気がする。
兄が仕事に就いて以来、暫く会えない事なんて何度もあった。
出張で遠くに行って2週間ほど帰らない時だってあったのに。
同じセントラルにいながら、これほど遠いと、兄との間に距離を感じたのはこれが初めてで。
あの時、一瞬でも兄を恐いと感じた気持ちが、小さくしぼんでいく気がした。あんなに悩んでいたのが嘘のよう。
眠る兄の頬に指先だけで触れてみる。思った以上にヒヤリとした感触に、アルフォンスは驚いた。
このままだと体を冷やしてしまう。せめて毛布くらい掛けてあげないと。
そう思い立ち上がろうとしたアルフォンスの腕がふいに掴まれる。
振り返ると半身を起こした兄の姿があった。
「アル…?」
「あ…。」
半分寝ぼけたような兄の顔。一瞬何て声を掛けて良いのか迷ってアルフォンスは戸惑う。
そんなアルフォンスを見て、エドワードは掴んだ手を離して俯く。
「この間はごめん。」
はっきりとした口調とは裏腹に、項垂れた様子のエドワード。
傷つけてしまった、唐突にそう思った。
それはこの家から、兄から逃げ出した事か。それともたった今、腕を掴んだ兄に咄嗟に返事出来なかった事か。
どちらにしても兄を傷つけた事は間違いないだろう。
ソファに座る兄の頭を胸に抱き込んでみる。自分より細い真っ直ぐな髪。伸びた背と共に、がっしりしてきた肩。
驚いたように腕の中の兄が顔を上げた。その夜目にも鮮やかな金色の目がまっすぐにボクを見る。
ああ、ボクの知ってる兄さんだ。あの夜もそれは変わらなかったはずなのに、どうして恐がったりしたんだろう。
もっと早く帰って来れば良かった。会いさえすればきっと、戸惑いも小さな恐怖も、すぐに吹き飛んだのに。
「ボクこそごめんね、一人にして。」
もう大丈夫だから。離れたりしないから。自分の中の弱さから逃げたりしない。
これからもずっとあなたと一緒にいるために。
もう一度、きゅっと腕に力を込めて抱き締める。
おずおずと背に廻された手が、微かに震えている事に気付いて。
アルフォンスは抱き寄せた頭に頬を寄せた。
最初にお詫び致します。遅くなりました!
しかもリク通りになってません…。
きなさんのリクエスト。
兄妹で兄軍人設定。
1週間残業続きで余裕がない兄さんは家に帰ったとたんアルに襲いかかる。
アルは何を言っても止まらない兄さんに為す術なく泣くばかり。
そんなアルに気付くことなく欲望のままに行為を進める兄さん。
次の日の朝アルは兄さんに1週間お触り禁止令を出す。
そして兄さん仕事中にぶっ倒れてしまう。結局アルが折れて兄さん野獣化!
でした。
このリクですと、ラブコメ系の雰囲気だと思うのですが
なんだかやたらとシリアス話になってしまいました。
筆不調なのもありますが、どんどん暗くなったのも遅筆の原因です。
こんな展開だったので、最後の「兄さん野獣化!」は無理でした。
これで野獣化したら兄最悪になっちゃう…!
ああああ、きなさん、遅くなった上にこんな話でごめんなさいー!
思いっきり返品可でございます!!
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