お前が幸せになるためだったら何だってできる。

それは贖罪でも何でもない。俺にとってお前が大切だからだ。


できれば俺の手で幸せにしてやりたかった。でも兄だからこそできない事もある。

ならば俺はお前の兄として、たった一人の家族として。お前をこの手から送り出してやろう。



だけどー、だからこそ。それ以上は許してくれ。

お前の幸せを見続けていられない俺を、見守ってやれない俺を。



どうか、許して欲しい。







慟哭U





















10日後、俺はアルフォンスの婚約者となるジェイクに会った。


「二人っきりの兄妹だと聞いていたので、まずお義兄さんにお会いしてから彼女をボクの両親に会わせたかったんです。」

そう言って見せた人懐こい笑顔。アルが言っていた通り、「良い人」というのは間違いなさそうだ。

アルフォンスと二人並んでいる姿は、お似合いとしか言いようのないものだったけど。

だからと言って簡単に受け入れられるはずもない。



…嫉妬と羨望で頭がおかしくなりそうだ。





ちょっと前まで、アルの横にいるのは俺だった。俺だけだったんだ。

その位置に当たり前のように立ち、嬉しそうに笑っている男。

心の中にどす黒いものが生まれては溜まっていく。

視線で人を焼き殺す事が出来たなら、俺は今こいつを殺していたかもしれない。

そんな眼差しを向けるわけにはいかなかった。でも自分の感情を抑えられていられるか自信はなかった。





そして話はトントン拍子に進んでいく。次に会わされたのはジェイクの両親。

「ずっと娘が欲しかったの。馬鹿がつくくらい生真面目なジェイクにしては、素敵な娘さんを見つけたものだわ。」

アルフォンスの肩を抱きながら、ジェイクの母は嬉しそうに話した。

ああ、そうか。俺達にはもう親なんていないけど、結婚したらこうして母と呼べる人ができるんだな。

この人なら、アルを本当の娘のように可愛がってくれそうだ。



アルが幸せになれる。それは確かに嬉しい事だったけど、同時に。

俺がいなくても幸せになれるんだな。そんな憎しみに似た感情が湧き上がる。



愛と憎しみなんて、ほんの紙一重の感情だったという事を、その時初めて知った。





恐くなった。このままでいくと俺はジェイクだけではなく、アルにまで憎しみを抱いてしまうかもしれない。

そんな事、自分自身にも許せるはずがない。



だからー、やっと決意出来た。

アルフォンスの結婚式が終わったら、俺はセントラルを離れよう。

本当はどこか誰も知らない土地に行きたいけど、それだとアルが心配するだろうから取りあえずはリゼンブールに戻って。

それから暫くしてから、また別の土地にでも行けばいい。



本当は傍にいたかった。だけどこれから先、アルフォンスの傍にいるのは俺じゃない。

俺じゃない男の隣で笑うアルフォンスを、ずっと見守っていられる自信はなかった。

幸せになるアルフォンス。それを心から祝ってやれない兄貴なら、いっそ離れた方がいい。

二人の姿が見えなければ、その幸せを願えるだろうから。それで終わるはずの話だった。













4日降り続く雨が窓の外でザアァと音を立てている。

雨のせいで空気が重く、体にのし掛かるようだ。こんな日は機械鎧をつけた付け根がジクジクと痛む。

いつもならその事を気遣って、色々と世話を焼いてくるアルフォンスは今いない。

ジェイクと結婚式の打ち合わせに出掛けているからだ。それを考えるだけで、体の奥に鉛のような重みを感じる。



この所アルフォンスの帰りは遅い。式まで時間もそうないし、やる事も沢山あるんだろう。

アルフォンスと顔を合わせる時間が減った事は、寂しい事ではあったが同時にホッとしていたのも事実だ。

どんな顔をしていればいいのか分からなかったから。



アルの結婚式の後、取りあえずはリゼンブールに戻るとして。その後は何処に行こう。

ダブリスや馴染みの場所はダメだ。アルとの思い出が薄い所じゃないと。

出来るだけ、思い出さない場所がいい。

でもずっと一緒に旅をしてきたから、そんな場所も少ないよな…。

そんな事を考えながら地図を見ていたら、玄関先で物音が聞こえた。

他の者と間違えようのないその気配は、何かに躓いたかのような物音をたてている。

いつもなら遅くなった時は、俺を起こさないようにって静かに帰ってくるのに。どうしたんだろう。

不思議に思って階段を下り、玄関先で見つけた妹の姿にエドワードは慌てて駆け寄った。



「アル!お前どうしたんだ!!」

そこに立っていたのはずぶ濡れのアルフォンス。髪から雨水がぽたりと伝い落ちている。

アルフォンスは焦点の定まらない目で、ぼんやりと兄を見た。



「兄…さん、起きてたの…?」

呟くように言った後、アルフォンスがハッと目を見開き、そのまま踵を返すと外に飛び出した。

「アルっ!?」

呆然としながら、それでもエドワードは妹の姿を追って走り出す。

アルフォンスの様子は尋常ではなかった。そうでなくともこの雨の中、外へ飛び出した妹を放っておく事などできない。



「アルッ、アルフォンス!!」

追い掛けながら何度も名を呼んだ。アルフォンスは一度も振り返らず、一心不乱に走っている。

誰も歩いていない深夜の道に、雨の音と二人の水を蹴散らす音が響く。



こんなアルフォンスは初めてだった。訳がわからぬまま追い掛ける。

今のアルフォンスの体は女だ。いくら身体能力が優れているといっても、体力も何もかも男のそれとは違う。

二人が辿り着いたのは、よく散歩に出掛けていた近くの公園だった。木が多く緑豊かな所がアルフォンスのお気に入りだった。

自然と足が向いたのか、たまたまがむしゃらに走った先がそこだったのかは分からないけど。



「アルフォンス!」

追いついたエドワードが、一度も振り返らない妹の腕を掴んだ。

「いやだ、触らないでっ!!」

アルフォンスはそう叫ぶと、エドワードの手を弾いた。思い掛けない言葉と態度に、エドワードが一瞬固まる。

だが次にアルフォンスが泣きそうな声で言った言葉に、エドワードは驚いた。



「ボクは汚いから、だからお願い。兄さんまで汚れてしまう。」

両手で自分自身を俺から引き離すように抱えている。その表情は苦しげに歪んでいた。

まさか本気なのか。本気で自分が汚れていると思っているのか?

何があったんだ。急にそんな事言い出すなんて、まさか。最悪の事態が脳裏を掠める。



「お前、まさかあいつに酷い事でもされたのか!?」

恋人同士だからそんな事があってもおかしくはない。俺にとっては考えたくもないことだが。

だけど無理矢理というなら話は別だ。もしそうなら…。


俺の言葉にアルフォンスは小さく首を振った。



「ちが…う、違うよ。酷いことしたのはボクの方だ。」

アルフォンスの言っている意味が分からなくて眉を顰めた。どう見たってアルはこんなに辛そうなのに。

「アル、どういうことだ?いったい何があったんだ。」

今度はアルフォンスの両腕をしっかりと掴み問いただす。小さく首を振りながら、アルフォンスが呟いた。

「キス、されただけ…。」

その言葉に一瞬頭に血が上るのを感じた。カッとなりかけた所を慌てて深呼吸して押さえる。

婚約者同士がキスをしたっておかしくないだろう、それを俺が嫌だと思う資格などない。

それに、どうしてアルがこんなに傷ついてるのか。恋人にキスされて嬉しく思わないなんて。



「アル。ジェイクにキスされて、どうしてそんなに辛そうなんだ。他にも何かあったのか?」

「違う。本当にキスだけだった。…なのにボク、それを拒んだんだ。」

拒んだ…って、アルが?ジェイクにキスされるのを嫌がったって事か?もうすぐ結婚しようって相手なのに。

訳がわからなくなって呆然としていると、アルフォンスがギュッと俺の服の袖を掴んできた。



「いつもみたいな触れ合うみたいなキスじゃなくて。恋人なんだから、結婚するんだから耐えなくちゃって思って。

 でも、気付いたら思いっきり彼を突き飛ばしてた。酷い話だよ。「耐えなきゃ」だなんて、その時点で彼を馬鹿にしてる。」

話ながら小刻みに震えるアルフォンスの体。それをどこかぼんやりと見ていた。思考に霧がかかったようだった。


「凄く傷つけたんだよ!あんなに優しい人を!ボクが彼を逃げ場にしたばっかりに!!」

どういう事なんだ、これは。アルはあいつの事好きだったんじゃないのか。


「なんて酷い、こと…。こんな事考えついてやってのけた自分自身に吐き気がする…。」

自分に心底嫌悪しているかのようなアルフォンスの表情。そこに嘘などあるはずもなくて。


「どうして彼を好きになれなかったんだろう…。」

これがアルフォンスの本音なのか。何故、好きでもない相手を無理に好きになろうとしていたんだー。


混乱する意識の中、アルフォンスの言葉が飛び込んできた。今までそんな素振りなど見せた事のなかったアルの真実。



「罰が当たったんだ。彼といてもいつも兄さんの事考えてた。隣にいるのが、こうして手を繋いで歩くのが兄さんだったらって。」

「彼を好きになったら、きっと全てうまくいったはずなんだ。それなのに!」

「どうしてこんなに兄さんが好きなの。どうして諦められないんだよ…!」





血を吐くようなアルフォンスの叫びに、エドワードの中の何かが音を立てて崩れた。





















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