ボクにとってのただ一人 後編











「で、どうしてこんな事になってるんですか。」

普段軍の医局に勤めるアルフォンスは滅多に足を踏み入れない憲兵場、その周囲を取り囲む人の群れ・群れ・群れ。

その熱気渦巻く様子は異様なムードを醸し出していて、アルフォンスは思わず踏み出しかけていた足を一歩退いた。

医局の研究室にいたのに急に大総統がお呼びだと連れ出され。

訳の分からないままTシャツと迷彩柄の軍仕様のズボンに着替えさせられた。

まるで今から訓練を受ける兵士のようだと思っていた所へ連れて来られたのは憲兵場。

歓声をあげ続ける兵士達の声が広い空間に響いている。


「ごめんね、アルフォンス君。これもそれも大総統命令なんだ。」

案内役のフュリーがすまなさそうに言うのに、アルフォンスは振り返った。


「だからその命令って何なんです。ボクに何をさせようとしてるんですか。」

「たいしたことではないよ、アルフォンス。」

カツリ、と靴底を鳴らしながら現れた人影に、アルフォンスは不審気な目を向けた。


「ロ…大総統。いったいこれはどういう事です。」

名を言い直したアルフォンスに、ロイが笑ってみせる。


「ロイさん、で構わないよ。プライベートと同じように呼んでくれても。」

その言葉にここは軍ですから、と首を振るアルフォンス。


「それよりもボクがここに呼ばれた理由、こんな格好をさせられた理由を教えて下さい。」

「格好は何でも良いんだがね。今手元にあるのではそれが一番動きやすいだろうと思ったんだが、気に入らないか?」

「気に入る気に入らないの問題じゃありません。何故動きやすい格好をしなくちゃいけないんです。」

「それは君にある人物と戦ってもらうためだ。」

大総統のその言葉に、ここに来た瞬間からしていた嫌な予感が膨れ上がるのをアルフォンスは感じた。


「…それはもしかしなくても、あそこにいる人の事でしょうか。」

「もしかしなくてもそうだな。察しが良くて助かるよ。」

憲兵場のど真ん中で凛々しく仁王立ちしている人物、紛れもなくそれはアルフォンスのただ一人の姉。


「なんでボクが姉さんと戦わなくちゃいけないんですっ!!」

アルフォンスの尤もな叫びに、大総統はスッと手を挙げた。

途端アルフォンスの両脇をハボックとブレダが抱え、そのまま後ろ向きにズルズルと引っ張る。


「え、ちょっと!放して下さいよ二人ともっ!」

「悪いなアルフォンス。大総統には逆らえないんだ。」

慌てて大総統を見ると、彼はにっこり嬉しそうにこちらを見ていた。


「君と鋼ので腕比べだ。思う存分やってくれ。」

「・・・・・・!!」

呆れて言葉も出ないアルフォンス。彼がポイと憲兵場に放り出されると、周囲から一際大きな歓声が上がった。


「よお、その格好似合ってるじゃん。」

背後から声を掛けられて、アルフォンスが振り返る。腰に手をあてる表情は何だか楽しそうだ。

何故だか分からないが、この勝負姉はやる気らしい。


「姉さん、どういう事だよ!何でこんな馬鹿げた話に乗ってるの!?」

「あー、確かにオレも最初はそう思ったけどよ。よく考えたら良い機会だと思って。」

「良い機会ってどういう事?」

「オレが女になって以来、お前組み手の時もずっと手加減してただろ。分かってたんだからな。」

「そ、れは…。」

言い淀むアルフォンスを、エドワードがビシリと指差した。


「だから今日は本気でやれ。いくぞ!」

「ちょっと姉さんっ!!」

開始の合図代わりの空砲が鳴り響く。途端にエドワードは地を蹴り、一気にアルフォンスとの間合いを詰めた。

反応して身を引くと、目の前を右ストレートが掠っていく。姉は本気だ。

昔からエドワードはウェイトが軽い分身軽で、それが大きな武器になっていた。

男から女の身になった事で体力や物理的な力は落ちただろうが、姉の強さはアルフォンスが一番知っている。

今まで確かに姉に本気で相手をする事はなかった。手加減というのは少し違うが、それだってそうとう大変な事だったのだ。

いつもの組み手とは勝手が違う。この状況で今の姉相手に、本気を出さずに相手することなんて難しい。

考えてる余裕などない。こうしている間にもエドワードは攻撃の手を休めなかった。

次々と繰り出される連続技に、見ている者も沸き立っている。

それでも防戦一方のアルフォンスに、エドワードが焦れ始めた。


「アル!お前男だろうが!こんだけの人間に見られてるんだぞ、思いっきりやり返せっ!!」

「冗談…!」

流石に軍で訓練をしている身だ。その身のこなしの早さ、鋭さは超一流といえる。

避け続けるのも限界があるだろう。何としても姉の身を封じなくては。

その時エドワードが素早く回し蹴りをいれてくる。アルフォンスは身を引いて避けようとして、敢えて留まった。

脇腹目がけて振りかざされたその蹴りを体で受け止める。


「くっ…!」

「アル!?」

いつもなら容易く避けられる蹴りが見事に入り、苦痛の声を漏らすアルフォンスにエドワードが一瞬動揺する。

その隙を見逃さず、アルフォンスは同時にエドワードの足を脇で掴まえ固定した。


「う、わっ。」

片足で立つ事になったエドワードが僅かにバランスを崩す。アルフォンスは素早く腕を伸ばし、エドワードの手を取った。

そのまま思いっきりその体を引き寄せ、強引に腕の中に閉じ込める。


「離せよアル!こんなの卑怯だぞ!」

「卑怯じゃないよ。相手の動きを封じるのだって戦略のひとつだからね。」

痛みに顔を僅かに顰めながらアルフォンスは姉を抱き上げた。暴れる姉をそのまま抱え、軽く頭を下げて周囲に挨拶する。


「見せ物は終わりです。皆さん持ち場に戻って下さい。…いいですよね、大総統閣下。」

アルフォンスがにっこりと微笑んで見せた先には、マスタング大総統の姿が。

穏やかな調った顔なのにそういう風に微笑むと、今ここにはいない彼の副官を思い出させる。

この手の笑顔に逆らってはいけない。それは彼に刷り込まれた防衛本能のようなものだった。


「あ、ああ。ではこの勝負はアルフォンスの勝ちということかな。」

ハハハと白々しく笑う大総統。しかしその笑いも引きつり気味だ。


「ドローです。ボクは戦うのを放棄したのも同然ですから。」

そう言うとアルフォンスは腕の中で文句を言いながら尚も暴れ続ける姉を抱えて、憲兵場を立ち去って行った。







アルフォンスが姉を連れてきたのは使われていない会議室だった。

手近な椅子にエドワードを座らせて、自分も向かいに腰掛ける。

「少しは落ち着いた?」

声をかけてもエドワードは不機嫌に口を尖らせたままだ。それを見てアルフォンスが苦笑した。


「…姉さんが怒る気持ちは分かるけど、ボクは手加減していたわけじゃないから。」

弟の言葉に、エドワードが思わず顔を上げアルフォンスを見た。


「嘘だっ!いくらなんでも手加減されてる事くらい分かるぞ!昔はそうじゃなかったのに!」

怒鳴ってから悔しそうに唇を引き結び、エドワードは俯いてしまう。


「オレは男だろうが女だろうが変わらない。なのにアルが変わったのが寂しかった。」

「そうだよ、変わるよ。もう昔のボクじゃない。」

この際だからと、アルフォンスは今まで伝えてなかった気持ちを正直に話すことにした。

気持ちは通じ合っていた。想いは伝えた。だけどどこかで遠慮して、言えずにいた気持ち。

「体を取り戻して自分の本当の気持ちに気付いた。それは兄さんだろうが姉さんだろうが同じことだ。」

俯いた姉の髪を優しく撫でると、怖ず怖ずとエドワードが顔を上げる。

見上げてくるその目が堪らなく愛おしいなとアルフォンスは思った。


「性別が変わったからって、兄さんは兄さんのままだと思う。それは何も変わらないよ。

 だけどボクにとって世界でただ一人の女性だから、ほんの少しでも傷つけるかもしれない事はもう出来ない。

 ボクはね、本気を出さなかったわけじゃない。出せなかったんだ。」

それだけは分かって欲しい、と真剣な表情で言われて、エドワードの頬が知らず赤らんだ。


「逆に考えてみてよ。もしボクが妹になってたとしたら、兄さんはボクに本気で打ち込んだりできる?」

アルが妹だったら?意外な事を言われて、エドワードは目をぱちくりさせた。言われた通りに考えてみる。

きっと可愛いだろうなぁ。元々こいつ優しい顔立ちしてるし、色白でふわふわで柔らかくって…。


「うわ、アル!それ無理だごめんっ!」

どう考えたってそんなのは無理な話だった。いくらアルフォンス自身が望んでも、組み手だって出来ないかも。

逆の立場になって考えてみて、初めて自分がどれだけ無理な事をアルフォンスに望んでいたのか知る。

慌てて謝るエドワード。両手を合わせて頭を下げるその姿に、アルフォンスが苦笑する。


「姉さん、謝らなくていいんだ。姉さんは望んで女性になったわけじゃないんだから、以前と同じようにと思うのは当然だよ。」

本当は元に戻してあげたいとずっと思っていた。医療の道に進んだのも、錬金術以外の方法も考えた方が良いと思ったからだ。

少し落ち込んだ様子のアルフォンスに、エドワードは弟の頬をぺちりと軽く叩いた。


「アールー?それはもう散々話し合って決着がついた事だろう?」

お互い五体満足の体を取り戻す事が出来た。性別は変わったが、それで充分だと。

そう言ってから、ふと気付いた。気付かなかった自分の奥底の気持ち。気付いてしまえばそうだったのかと腑に落ちる。


「…いや、どこかで拘ってたのはきっとオレの方なんだな。だからお前、今までこういう事言えずにいたんだろ。ごめん。」

頬に当てた手で今度は優しく撫でてくれる姉にアルフォンスは微笑んだ。


「謝らないでってば。お互い戸惑いがあったのは仕方ないと思うんだ。」

姉の手に自分の手を重ね、愛おしそうに握り締める。


「ほんとはね、姉さんが軍に入った事だって、納得できてはいないよ。でも姉さんの意思も尊重したい。

 やりたい事、願う事は悔いのないようにやって欲しい。でも男所帯で危険な軍にいて欲しくない。…ボクも独占欲が強いよね。」

こと、姉さんに関しては矛盾だらけで自分でも呆れるよ。

そう言って苦笑いするアルフォンス。たまらずエドワードが立ち上がると、弟の体をガバッと抱き締めた。


「あーもうっ!なんて可愛いんだお前ってヤツは!」

「ね、姉さん。可愛いって男に対する褒め言葉じゃないから。」

「いいんだよ、オレにとって可愛い弟なんだから!」

エドワードの言葉にアルフォンスは一瞬考えて、姉の腕から顔を上げるとにっこりと微笑んだ。


「弟だから?恋人としては可愛いと思ってくれないの?」

アルフォンスの言葉に、エドワードがウッと詰まる。


「か、可愛くないっ!そんなにやけた顔するヤツが可愛いもんか!」

「えー、酷いな。ボクは姉さんを可愛いと思うよ。姉としても、恋人としてもね。」

姉としてなら過剰な程自分からベタベタしてくるのに、恋人としてだと途端に照れて何も出来なくなってしまう。

そんなエドワードの初さが、本当に可愛いと思う。

こんなに大切に愛しく想う人を、万が一にでも自分自身が傷つけてしまったらと思うとゾッとする。

クスクスと笑うアルフォンスをエドワードは一瞬睨み付けた。頬を膨らませ、僅かに頬を薄く桃色に染める。


「恋人のお前は、可愛いじゃなくて格好いい、だ。」

照れながら耳元で囁いた恋人を驚いたような目で見上げて、アルフォンスは嬉しそうに笑うと姉の体をギュッと抱き締めた。




その翌日。留守にしていた間に起こった騒ぎを伝え聞いたホークアイ女史の愛銃の音が、大総統の執務室に鳴り響いたという。






















前回受けたリクがあまりにリク通りにならなかったので、お詫びに受け付けた追加リク。

リク内容は
・「兄弟(姉弟)対決」
1.未来捏造話(マスタング氏が大総統)
2.兄弟(姉弟)共に身体を取り戻し、国家錬金術師として軍に所属
ただし、お互い本気のバトルは出来なさそうなので、ギャグでお願いします。
との事でした。

…姉は軍属ではなく、正式に入隊しちゃって、弟は医局勤務。
バトルさせちゃうし。(アルは本気出してないけど)しかもギャグにならずにシリアスっぽい?
どうしてこの所リクエスト通りに書けないんだろう…。(涙)

茉莉花さん、こんな話になってしまいましたが、どうぞお受け取り下さいませ。
力一杯返品可でございます。(土下座をしつつ)

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