目隠しの森 終章







6日後、二人は実家の最寄り駅へと到着していた。駅から家に帰る道の途中、烏森学園が見えてくる。

「…ちょっと寄っても良いか?」
「え。おい待てよ兄貴!」

良守が返事をするのを待たず、正守は結界で足場を作るとさっさと門を越えてしまう。良守もその背中を追いかけた。休校である土曜日の学校。幸い周囲に人影はなく、校舎からも人の気配はない。正守もそれが分かっているから行動したのだろうが。

良守にとっても久しぶりに来た烏森だった。あの事件の後、兄の消息が掴めず生きている可能性は極めて少ないという結論になって以来、此処には一度も来ていない。学校も転校した。兄が消えた学園に通い続けるのは辛すぎたからだ。
4年前と殆ど変わっていない校舎を眺めながら、正守が烏森の中心部に立ち止まり良守もその後に続く。そこは正守が消えた場所でもあった。

泣き叫び、返してくれと地面を叩いた記憶は今も薄れる事はない。思い出すとまだ胸は痛むけどもう悲しくはなかった。だって正守はここにいる。何があっても自分の元に戻ってきてくれると約束してくれたから、今はただその言葉を、正守を信じるだけだ。
良守が目の前の立ち尽くす背中を見守っていると、正守が地面を見ながら話し始めた。

「あの時さー、烏森はお前を道連れに消えたかったんだよ。だけど寸での所で止めてくれた。連れて行きたいくらいに気に入ってたけど、生きてて欲しいくらいにも気に入ってたから。だからね、俺の願いを叶えた代わりに俺をお前から引き離したんだ。」

嫉妬って恐いよね、と正守がヒヒヒと笑う。

「最後に聞こえたんだよね。自分の残りの力全てで封じるから思い出してみろって。それが出来たら認めてやる。お前の側に戻っても良いってさ。随分横暴な話だよ。烏森の許可なんていらないっての。挙げ句にわざわざ余所に飛ばすんだもんな。本当に底意地が悪い。」

正守は平然と話しているが、その内容はとんでもない。良守は呆然と聞くしかなかった。ポカンとする良守に正守は微笑み、その腕を取って自分へと引き寄せる。不意をつかれて簡単に腕の中に収まる体を抱き締めて、正守はその髪に頬ずりした。

「思い出せて良かった。お前の事を忘れた俺なんて何の意味もない。」
「兄貴…。」
「今回の事で思い知ったよ。記憶があってもなくてもお前を好きになるなら、俺にはもうお前以外の人間は愛せないんだって。」

それを受け入れられなくて良守から逃げようとした頃もあった。離れれば忘れられると、弟に対してこんな劣情を抱くのは何かの間違いなのだと誤魔化そうとした頃もあった。でも今なら解る。自分という人間が唯一愛せるのが良守なのだ。

「愛してる。今までも、これから先もずっと。」

耳に直接吹き込まれた言葉はやけどしそうに熱かった。その熱にビクリと体を震わせながら良守はただ何度も頷くしかない。
正守の背中に回された手が、ギュッと服を握り締めた。幼子が縋り付くような仕草に正守は笑みを浮かべる。

「あれ、もしかして良守、また泣いてる?」

宥めるように頭を撫でると良守がパッと顔を上げた。今にも涙が零れ落ちそうな程潤んだ瞳が見上げてくる。そんな顔を見られた事が恥ずかしくなったのか、頬を染め拗ねたようにそっぽを向くと良守が言った。

「んなこと言われたら泣くだろ、普通に。」

お前のせいだ、と詰る姿も可愛らしくて正守はぎゅっと良守を抱き締める。すると良守がくいっと正守の頭に腕を廻し、顔を耳元に近づけた。

「俺も、愛してるぞ。」

とても小さな、正守にも辛うじて聞き取れるくらいの声。だがはっきりと聞こえたその言葉に正守は破顔すると、腕の中で真っ赤になった弟にキスをする。それからもう一度良守を強く抱き締め、その肩越しに烏森の地面を睨め付けると口の端をクッと上げた。

(悪いな烏森。だがこいつは俺が幸せにするから)

今はもう何の変哲もない土地になった烏森へと誓う。弟を生まれた時から所有しようとし、自分の記憶を奪った憎い恋敵も、消滅してしまったとあればそれ以上嫌悪の気持ちも起こらない。最後の最後で良守を連れていく事が出来なかった烏森に、哀れみさえ抱いていた。

(俺だったらどうしただろう)

やはり連れて行けなかっただろうか。それともー。
覗いてはいけない心の深淵が垣間見えた気がして、正守は目を瞑った。それから気持ちを入れ替えるように顔を上げると良守の背中をポンと叩く。足元に置いていた荷物を持ち上げ良守を促した。

「さて帰るか。みんな待ってるだろうし。」

正守の言葉に良守があっと声を上げる。

「そうだ、昼までには到着するって言っといたのに!兄貴早く行こうぜ!」

家に連絡したのはきのうだった。向かえに行くと涙声で言う修史を宥め、ちゃんと二人で帰るから待ってて欲しいと説得したのだから、遅くなってはやきもきさせてしまうだろう。

慌てて走り出した兄弟の、軽やかな足音が誰もいない校庭に響く。その後ろ姿を追うように一陣の風が吹いたが、すぐに旋風となって消えていった。





-終-




2008.10.5


十五 Novel