蜂蜜風味の甘い誘惑 前編






「結、滅!!」

一際大きな声と共に結界が弾け、中にいた妖が消滅する。その残骸を天穴で吸い込むと良守はよっしゃー!と拳を握りしめた。

「何だか今日のよっしーは張り切ってんなぁ。」
「そうね。何か良いことでもあったのかしら。」

今夜烏森に出現した妖を殆ど一人で滅してしまった良守に、白尾が半ば感心、半ば呆れたような様子で言った。それに時音も同意する。
そんな二人に斑尾はハン!と顔をしかめた。

「あれは色惚けってもんさね。まったく浮かれちゃって見ちゃいられないよ。」
「「色惚け?」」

不思議そうに聞き返す二人に構わず、斑尾はふよふよと上空へと浮かび上がっていった。





「兄貴!」

妖の活動時間も過ぎ、時音と別れ斑尾も先に帰した良守は、校舎の屋上へとかけあがった。そこに佇む後ろ姿にホッと息をつく。

「お疲れさん。今日は絶好調だったな。」

笑いながら言う正守に良守が頬を染める。確かに自分でも張り切りすぎだとは思ったが、高揚する気分は止めようがなかった。
何しろ今日、というかもう昨日になるが、目の前の兄に積年の想いが通じたばかりなのだ。はしゃぐなという方が無理だろう。

バツの悪い思いで良守は屋上に置いていたディバッグに手を伸ばし、中を漁り始めた。入れていたのは昼に作ったマフィン。ちゃんとあの蕎麦の蜂蜜で作ったものだ。

「いいからこれ食おうぜ。結構良いできなんだぞ。」
「お前の作るものはいつだって良いできだと思うけど。」

今までまずかったことってないし、とごく当たり前のように言われて良守は驚いた。兄は見かけによらず甘いものが大好きで、良守が作るものはいつもおいしいと言って食べてくれたけど、そんな風に思っててくれたのかと思うと嬉しい。

へへ、と嬉しそうに満面の笑顔を浮かべる良守に、正守も微笑んだ。手渡されたマフィンは少し濃い茶褐色をしている。蕎麦の蜂蜜がそういう色だったせいだろう。
いただきます、と一言断り大きく一口食べてみると、昼に食べたあの蜂蜜の香りが口の中に広がった。ホットケーキとはまた違う表面の香ばしさと、中のしっとりとした食感が何とも言えない。

「うまいよこれ。マフィンにしたのは正解だったな。」

良守はマフィンとスポンジケーキにするつもりだと言っていたが、確かにこの蜂蜜はその手の焼き菓子に合うらしい。正守の言葉に良守も頷いた。

「この蜂蜜、思ってた以上に使えそうだ。シフォンケーキにも入れてみたいな〜。でもそこまで蜂蜜残ってないし、いくつもは作れないから絞り込まないと。」

悩み始めた良守の横顔を見ながら正守は微笑んだ。蜂蜜は1瓶だったから、確かにそういくつも種類は作れないだろう。

「これってそんなに手に入れにくいの?」
「え?ああ、入手困難ってほどじゃないけど、蜂蜜の専門店なんかにしか無いって聞いた。でもきっとそれくらいのが良いんだよな。こういう味って、たまに食べるからうまいんだし。」
「それはそうかもな。」

どんなにおいしくても、頻繁に食べたのではありがたみも薄れるだろう。物足りないくらいが丁度良いのかもしれない。
とりあえず二人は目の前のマフィンをよく味わうことに専念した。少しだけ冷たい風の吹く屋上でも、二人でいると気にもならない。
他愛もない会話をしながらの束の間のティータイムを二人は楽しんだ。





帰りついた家はいつものように静まり返っていた。そっと玄関を開ける。

「ただいまっと。あ〜今日も無事終わった〜。」

上がり口で伸びをする良守。その後ろから家に入ってきた正守に、良守は声をかけた。

「兄貴、風呂入るなら先に使えよ。」
「風呂?俺はいいよ。さっきお前が仮眠してる時に入ったし、今夜は何もしてないから汗もかいてないしな。」
「そっか。じゃ、俺これ片付けてから風呂入るから。」

ディバッグから取り出したタッパー片手におやすみと笑顔で言う良守に、一瞬同じように返そうとした正守だったが、ふと思いついて顎をさすると口の端をあげた。

「ー先に寝ちゃってても良いの?」

え、と振り向いた良守の目に映ったのは、にやりと笑う兄の姿。それがいつもよりも妖しげで良守の心臓が跳ね上がる。
目を見開いたまま固まった弟の姿に、正守はクスっと笑うと自室の襖を開けた。

「まあ、良守次第だけどね。」

それだけ言うと、正守はさっさと部屋へと入ってしまう。その姿を呆然と見送った良守は、きっちり1分間その場に固まった後、のろのろと台所へと歩きだした。



2009.2.11


Novel 後編