未来構想 前編


ふわあ、と大きな欠伸ひとつ。
本日の授業を終えた良守は、眠気にボーっとする頭をガシガシと掻きながら教室を後にした。いつものように先程までの授業中は殆ど寝ていたのだが、まだいくらでも寝れそうだ。

帰ったらまず昼寝して、それから修行だ。たまには寺の裏山借りようかな。
そんな事を考えながら歩いていると、校門近くがざわめいているのに気付く。
何だろうと不思議に思っていると、ヒョイっと門柱から人影が顔を出した。

「よう。久しぶりだな、良守。」
「…なんでてめーがここにいる。」

にこやかに手を挙げて声を掛けてきた相手に、良守はダッシュで逃げ出したい気持ちになる。そこにいたのは紛れもなく良守の兄、正守だった。通りで周りがざわついていたはずだ。兄は色んな意味で目立つ。整った顔立ち、今時珍しい和服姿だが、渋い柄を難なく着こなしている。似合いすぎて少々胡散臭いくらいだ。

「久しぶりだっていうのに、随分な挨拶だな。」
まあいつもの事だけど、と気にした様子もなく笑う正守に、良守の苛立ちは募る。

「だから学校まで何しに来たんだ!」
「ん?ちょっとね。良守をデートに誘おうと思って。」

遠巻きにこちらを見ていた女生徒達の間から、キャーという何故か嬉しそうな声があがったのは…。多分良守の空耳では無い。
『デート』と言われて慌てた良守に、学校の正門前で爆弾を投下した張本人はニコニコと笑っている。

「お前何言ってるんだ!?」

怒鳴る良守に正守は涼しい笑顔を向ける。周囲が少し遠巻きに、だが興味津々で見ている事も彼には関係ないらしい。その図太い神経が憎らしい。

「んー、良守もきっと行きたいんじゃないかと思うんだけどな。」
「俺がどうして、お前とデートに行きたいと思うんだよ!」
「あれ、興味ない?隣町のデパートに出来たスイーツ庭園だよ?」
「・・・・・・・・・・・。」
「全国の有名デザート店が一挙に集まるって良いよね。次に帰省した時には行こうと思っててさ。休日は凄い人みたいだから、まだ平日の夕方の方が良いかなって。」
「・・・・・・・・・・・。」
「で、どうする?興味がないなら俺一人で行くけどー。」
「・・・・・・・・・行く。」





なんでこんな事になってるんだろ…。
少々途方に暮れながら、良守は三歩程先を歩く正守の背中を見た。
紺絣の着物をさらりと着た大きな背中。7歳という年の差は大きすぎて、埋められるはずもないのが分かるのが悔しい。
手を伸ばしてもきっと届かない。そう諦めたのはいつの頃だったろう。

昔はあの背中に負ぶられるのが好きだった。Tシャツ越しに伝わる体温に心から安堵していた事実は、すでに遠すぎて思い出すのも一苦労だ。単にそんな頃があった事を思い出すのが嫌なだけかもしれない。離れたくなくて、わざと寝たふりをしている内に本当に眠ってしまって。あの頃はもう少し、普通の兄弟だったように思う。
ただ俺が気付いてなかっただけかもしれないけど。

ぼんやりしていると、急に正守が振り返ってドキッとした。聡いこいつに考えていた事を読まれたくなくて慌てて視線を反らす、そんな自分に呆れた。いくら正守でもそこまで分からないだろうに、こんな態度取ってたらかえって怪しいじゃないか。
だが幸いにも、正守は弟の態度を気に留めなかったようだ。視線を外されるのに慣れているというのも何だか寂しいものだが、その事に兄弟は気付いていない。

「良守、途中のフロアで寄りたい所はある?」

正守の質問に、良守は考えた。あまりデパートになんて来ないから、寄りたい所と言われてもピンとこない。

「別にないよ。寄るとしても、まあ精々本屋くらいかな。」

デザート本で良いのがあったらちょっと読みたいかも。そう思いながら言うと、正守が分かったというように頷いた。

「なら後で良いな。俺も本欲しいけど、今買ったら重くなるし。」

そのまま兄弟は本日の目的地に向かった。





そんなこんなで向かったデパートの7階、目指すスイーツ庭園に到着する。
エスカレーターを降りると、そこはメルヘンチックな空間が広がっていた。
オープン以来、休日にはたくさんの人が詰めかけると評判のそのスイーツのテーマパークは、さすがに平日の中途半端な時間故に人は疎らで、良守は素直にその事に安堵した。男二人で来るにはこの場所は可愛らしすぎる。女性客で賑わうここに、この兄と来たら。どうしたって注目の的だったろう。神経がザイルで出来ているのかと疑いたくなるこの男は、頓着しないだろうけど。
その兄は、庭園内の案内図を真剣に眺めていたかと思うと、ヒョイとこちらを向いた。

「良守は何にする?ケーキの店だけでも4店舗あるみたいだけど。」

言われて俺も案内図を見てみる。アイスの店と、何やら変わった餅の店、中華デザートの店と和風デザートの店。あとの4店舗が有名パティシエの店だった。

「うっわ、悩むなー。」

話には聞いていたがどれも美味しそうで迷う。大体ここにはずっと来てみたいと思ってたから尚更だ。でも人の凄さも聞いていたから、もっと少なくなる頃に来ようと考えていた。何しろ休日に来るとエスカレーターに乗る為に、下の階から列が出来るらしい。想像しただけで疲れそうだ。
悩んでいると「一回り店を覗いてみるか」と兄が提案してきたので、従う事にした。
だが見てしまうと、どの店のどの商品も魅惑的に美味しそうで、簡単には決められない。

「悩んでるな。少しは絞れたか?」
「そういう兄貴は決まったのかよ。」
「俺は『麻布茶房』のスイートポテトにするよ。ああ、『モチクリーム』は家への土産にするつもりだから、除外して良いぞ。」

正守が言ったモチクリームは、その店名の通り餅の中に色んなクリームやチョコの入った商品だった。確かに土産に持ち帰りやすそうだ。チーズクリームとショコラが気になっていた良守は、選択肢が減った事を喜んだが、それでもまだひとつには絞れそうにない。唸る良守に、正守が苦笑しながら声をかける。

「どれで悩んでるんだ。」
「・・・「ラ・ピルエット・アン」のあまおうのケーキと、「プロヴァンス」の石畳のチョコケーキ、あと「アトリエ ド リーブ」のグラタン・フリュイも気になってる。」
「ふーん。まあ確かにどれも美味そうだったよね。決められないなら全部食べれば?」
「え!?全部って3つとも!?」

多分ここは兄が奢ってくれるつもりだろうにさすがに悪い、という気持ちと同時に、いくら好きでも3つも食べたら夕飯が入らなくなる、と良守は思った。だが正守はそんな弟の気持ちを察したのか、笑いながら言う。

「実は父さんには夕飯はいらないって言ってある。どうせこの時間にケーキなんて食べたら中途半端だしな。帰るまでに軽く食事すれば良いかと思ってたんだが、お前が腹を壊さない自信があるなら、全部食べたら良いよ。」

偶にはこういうのも許されるだろうからさ、と言いながら、正守は懐から財布を取り出した。その中から千円札を一枚抜くと、そのまま財布ごと良守に手渡す。

「ほら、お前の分買ってこい。俺も買ったらその辺に座っとくから。」

さっさと麻布茶房に向かう兄の後ろ姿を呆然と見ていた良守だったが、ハッと我に返ると手渡された財布をじっと見て、それから気を取り直したかのように目の前にあった目当ての店のひとつへと向かった。






後編





2007.5.24

Novel