暁月夜の祈り 前編







「ここが…裏会?」

ポカンと門を見上げて口を開ける良守に、正守は思わず苦笑した。



時は夏休み。良守は正守に連れられて夜行の本拠地に来ていた。
本来正統継承者として烏森を離れる事が出来ない良守がこうして夜行に来る事ができたのは、ひとえに正守が繁守を説得したおかげだ。

暫く前、夜行と烏森が異能者の襲撃をうけた事があった。裏で操っていた者の存在があったとはいえ、今後もこのような事が起こらないとも限らない。
夏休みに入る少し前、正守は繁守に提案した。烏森しか知らない良守に、色々なタイプの異能者の能力を知ってもらう必要があるのでは、と。

幸い夜行には様々な異能者がいる。修行も兼ねて数日預かりたいと言う正守に繁守は最初渋った。夜行は裏会に属する組織だ。例え正守が統括しているとはいえ、裏会自体に良い感情を抱いていない繁守としては当然の反応だろう。
しかし妖を相手にするのと人を相手にするのでは、戦法はかなり違ってくる。結界術しか知らない良守が異能者を知る事は必要だ。結局夜行以外には決して立ち入らない、という条件を出し、繁守は良守が夜行に行く事を了承した。
こうして良守は、修学旅行以外では初めての外泊を夜行での修行という形でする事になった。



「夜行の本拠地は裏会の中にある。あの上にある門が裏会総本部の入り口だ。」
「へー。すげえデカいな。この山全部が裏会って感じか?」
「まあな。偉そうにしてるヤツ程、ハッタリをかましたがるものさ。何でもデカけりゃ良いと思ってるんだ。」

キョロキョロと辺りを見回す良守の仕草を可愛らしいと思いつつ、正守は注意を促した。

「良守。お爺さんも言ってたが、決して総本部の方には立ち入るなよ。謎解きの奥久尼には会っただろう。あそこにはあれより質の悪いのがたくさんいるんだから。」

正守の言葉で当時の事を思い出したのか、良守は多少うんざりした顔になってからコクリと頷く。
そのいつもよりも素直な様子に、正守の顔に自然と笑みが浮かんだ。

「じゃあ行こうか。みんな待ってる。」



門番をしている白道と黄道に挨拶をし中に進むと、すぐに刃鳥が二人を出迎えた。頭領である正守にお帰りなさいと軽く頭を下げ、良守に向かい合う。

「お久しぶり良守君。」
「刃鳥さん、久しぶり。あ、今回はお世話になります!」

慌てたようにお辞儀する良守に、刃鳥は微笑んだ。

「気にしないでゆっくりしてね、と言いたい所だけど…。騒がしくてゆっくりは出来ないかもね。」

何しろこの大所帯だからと苦笑する刃鳥の背中越しに、大きな声が響いてきた。

「とーりょー、お帰りなさいー!」

見覚えのある子供達が数人駆け寄って来る。そしてそのまま正守の足にしがみついた。

「ハハ、お前達は暑くても元気だなぁ。ちゃんと修行してたか?」
「してたよ!今日は一度に3個のボールを見えなくできたんだ!」

嬉しそうに話す子供の頭を、正守がへぇ、頑張ったなと笑いながら撫でる。

「?」

その様子を隣で見ていた良守は、胸に一瞬小さな波紋が広がったような感覚を覚えて小首を傾げた。予感のような予兆のような今の感じは何だったんだろう。不思議に思いつつ顔を上げると、正守がこちらを見ていた。それからすぐに子供達に向き直す。

「今日はこのお兄ちゃんがお土産用作ってくれたんだ。みんな、お礼を言いなさい。」

正守の言葉に良守はハッとして、手にしていた紙袋を差し出した。これな〜に?と見上げてくる子供の期待で輝く目に、良守もつい笑う。

「中身はドーナツとクッキーだ。料理番長さんに渡して、みんなでちゃんと分けて食べるんだぞ?」

その言葉に子供達から歓声が上がった。
ありがとうと袋を抱えながら駆けていく子供達の後ろ姿を見送って、正守が良守を促した。

「まず部屋に荷物を置くか。こっちだ。」

正守の後をついて歩いていると、次々と夜行のメンバーが迎えてくれた。烏森に配属されている影宮と秀には会っているが、他の構成員と会うのは黒芒楼以来の事だ。そう昔の事でもないのに妙に懐かしい。良守はふと今はいない人の事を思い出した。

ー志々尾もこの中にいたんだな。

彼が夜行に引き取られたのは10歳の時だったと聞いた。
色々と複雑な事情があったらしい事は知っている。詳しく聞いたわけではない。もしかしたら聞けば兄は話してくれたのかも知れないけど、知る必要がないと思ってた。
葬式の時、怒りを露わにしながら胸元を見せた女性の傷は見覚えのある形の爪痕だった。実の姉を半殺しにしたと言っていた翡葉の言葉と、姉ちゃんを手にかけたと言った志々尾。
謝りたかったとあいつは最後に言っていた。きっと彼にとってあの姉は、一番大切な家族だったんだろう。その人を傷つけて夜行に来た志々尾は、それからの4年間を、ここでどんな思いで過ごしたんだろう。そして兄はどんな風にあいつに接していたんだろうか。
ふと、そんな話もしてみたいと思った。だけどここで、この夜行で志々尾の話をするには、まだ少し自分の心の整理がついていない。
もっと時が経ってもっと自分が大人になれた時、何気ない会話の中で兄とあいつの話をしてみたい。そう思った。

「良守、どうした?」

考え込んでいた良守を振り向いて、正守が声をかける。何でもないと答えると、正守が少し微笑んで良守の頭をポンと叩いた。きっと何を考えてたかだなんて、この兄にはお見通しなんだろう。それでも何も聞かずにいてくれる。
以前はこの余裕を嫌みだと思っていた。だけど今は違うと感じている。包容力というか、たくさんのものを受け入れられるだけの懐の広さが正守にはある。だからこそ、この大所帯の夜行の頭領も務められるのだろう。
頭を撫でる正守の手の温もりが心の奥に染み込んでくる。この手があいつの救いになってたのなら良いなと、良守は思った。



長い廊下を進んだ奥に正守の部屋はあった。奥というか短い渡り廊下で隔ててあり、作り的には離れの様な構造だ。
10畳ほどの和室には中央に大きなテーブルがひとつ。周りに書類の束が置いてある。

「ここは仕事にも使ってる部屋なんだ。俺の私室はこっち。」

奥の襖を開けるとまた10畳ほどの部屋があった。左手に箪笥と本棚、そして文机があるだけの簡潔な部屋は、元々あまり荷物を持たない質なのだろう。どこか実家の、殆ど使われていない正守の部屋を思い出させた。

「荷物は適当に置いといて。服は着替えるか?」
「あー、そうだな。修行するなら稽古着になっとこうかな。」
「そんなに慌てなくてもまず一休みしろよ。稽古は午後からで充分だろ。」

笑いながら言う正守にそうだなと返しながら、良守はひとまず必要になりそうな物だけをバッグから取り出した。後から使う稽古着の袴とタオル。下着なんかはまだ良いかと思いながらバッグを隅に置くと、視線を感じて振り向いた。

「…なに見てんの?」

ただ見てるだけではなく、何やら嬉しそうに自分を見ている正守に良守は胡乱気な視線を送る。それに正守が苦笑した。

「ごめんごめん。なんかさ、この部屋に人がいるのが珍しくって、つい見ちゃったよ。」
「珍しい?ってどういう意味?」
「そのまんまの意味だよ。隣はともかく、この部屋には俺以外の人間が入った事ないんだ。」
「って、他の誰も?掃除とかくらい、誰か入る事もあるんじゃねーの。」
「身の回りの事くらいは自分でしてるさ。この部屋は完全に俺のプライベート空間だからね。入ったのは良守が初めてだよ。」
「へぇ…、そっか。」

何でもない事のように頷きながら、良守は自分が喜んでいる事に気付いていた。
夜行に行く事が決まった時、客間もあるけど俺の部屋に泊まれよと言ったのは正守自身だ。
誰も入れていないプライベートな部屋に自ら招いてくれる。それはそれだけの信頼があり、気を許してくれている証拠だろう。
自然と顔が綻んでいることに良守は気付いていない。そんな弟を見て正守も微笑んだ。彼が何に対して喜んでくれているのかは何となくわかる。
こんなことであんな顔をしてくれる良守が可愛くて仕方ない。
おじいさんに無理を言ってでも連れてきて良かったと、正守は心からそう思った。





昼食を取って一休みして、それから庭で稽古に入る。
正守としては稽古なんてしないで良守とゆっくりしたいというのが本音だったが、建前とは言え修行を名目にして連れ出している以上、多少の稽古はしないといけない。それに今後に供えて、異能者の能力について知っておかなければいけないというのも本心からの気持ちだった。

修行の手始めに、まず体術で体慣らしをする。昔から良守は結界術の稽古は熱心だったが、体術の方は感心がなくあまり上達しなかった。
同じ年代に比べても小柄な方だからそっち方面を極めろとは言えないが、ある程度は使えないと接近戦で不利な事も出てくる。以前限を派遣した時、蹴り飛ばされていたとの報告を受けていたので、その点も気になっていた正守としては良い機会だった。
墨村に伝わっている体術は、一般的なものとは違う実践的なものだ。強いて言えば空手と合気道を混ぜたような形だろう。
道着に着替えて軽く礼をし、お互いに向き合う。最初から闇雲に突っ込んでくる弟の相変わらずの猪突猛進さに、正守は苦笑したくなるのを堪えた。

「お前ねぇ、そんな真っ正面から打ち込んできてどうするの。身のこなしは悪くないけど、体重が軽い分、どうしたって威力は落ちるんだから。もっと連続技で相手の体勢を崩す事も考えろ。」

蹴りも打ち込んだ拳も尽く軽くかわされ、息を切らして地面に寝転んだ良守を見下ろしながら、正守の厳しい叱咤が飛ぶ。

「うるせー!ったく、無駄にデカくなりやがって。その体格は反則だろ。」

じろりと睨みながらふて腐れて言う良守に、正守が大きく溜息をつく。

「馬鹿。体格が違うからこそ、もうちょっと考えて攻撃しろって言ってるんだ。結界術も体術も戦略の為に必要だけど、それをどう活かせるかは戦術の組み立て次第なんだぞ。」
「…心なしか、馬鹿って言葉が強調されて聞こえた。」
「お前がそう聞こえたんならそうなんだろう。」

ほら、いつまでもそんなところで寝てるなよ、と正守が手を伸ばす。それに捕まって起きながらも良守は不機嫌さを隠そうとしない。
そんな弟に苦笑しながら体についた砂を払ってやる。その手を良守が叩いた。

「子供扱いすんな。自分でやる。」

パタパタと道着を払う良守だったが、寝転んだ為に背中についた砂までは払えない。ググッと背に手を伸ばす仕草に笑いながら、正守がまたその背についた砂を払ってやった。
その間良守は口を尖らせていたが、これでよしと正守が背を叩くと、小声で「サンキュ」と呟いた。
意地っ張りな所は変わらないが、以前に比べると随分と素直になってくれた弟の態度に正守は笑みを零す。

「じゃあそろそろ、今回の目的に移ろうか。」

正守は周囲に散らばって修行しているメンバーに声をかけて集めた。やはり良守も普段接する機会のない、他の異能者の能力が珍しかったらしく熱心に集中して修行に取り組んだ。
一日目なんだから今日は軽くと思っていた正守だったが、何だかんだであっという間に時間は過ぎ結局夕方までみっちりと修行する事になってしまう。大丈夫かなと内心心配する正守をよそに、良守は終始楽しそうで、彼は苦笑するしかなかった。







良守お泊まり一日目の夜。夜行では歓迎の宴会が催された。
料理番長が腕を振るった料理はいつも食べている修史の料理にも勝るとも劣らぬ味で、修行で腹を空かしていた良守は大いに食べた。
普段厳格な祖父の元、あまり会話の無い食卓に慣れている良守にとって、大人数で食べるというのは珍しい事だったしそれなりに楽しい。
黒芒楼の時に会った時には警戒心も露わだった彼らも、夜行にいるという安心感もあるだろう。あの時よりもお互い打ち解けて話せている。
すっかりはしゃいで楽しそうな良守の姿を、正守は微笑ましく見ていた。

務めがある良守は普段学校の級友との付き合いが少ない。それなりに仲の良い友人もいるようだが、彼らと遊びに行くという事も滅多になかった。学校では寝てばかりだというからそれも当然だろう。正守とて寝てはいなかったが、級友との付き合いが少なかったという点では良守と同じだった。
人には明かせない、話した所で理解されない家業故に、付き合いが深くなり家について詮索されたら厄介だ。自然と人との付き合いは浅いものになる。
それを面倒だと思いこそすれ、寂しいと感じた事はない。幸か不幸か自分には弟たちがいて家はいつも賑やかだったし、修行と勉強に明け暮れる日々は退屈とは縁遠く、友人と遊ぶよりも優先したいものが多すぎた。

だが自分と弟は違う。良守は本来、とても甘えん坊な所のある、人好きな性格だった。それは子供の時の事とは言え、人の本質なんてそう変わるものではない。
そんな良守がろくな人付き合いもせず、家と学校の往復で日々を過ごす事を、正守は口惜しく思う事がある。
それが正統継承者に生まれた者の定めだなんて、容易に納得出来るはずもない。
理不尽だと思う心は、烏森への憎悪と向かう。何故あんなものがあるのだろう。何故間時守は子孫を作らず、弟子に後を任せた?そして墨村・雪村両家から継承者が出るのは何故だ。
…烏森には謎が多すぎた。だがいつか全てを明らかにしてみせる。
考え込んでいた正守の耳に、「良守くーん」という声が届く。見れば先程まで楽しそうに喋っていた良守が壁に凭れて眠っていた。

「頭領。弟さん、寝ちゃったみたいなんですけど。」
「ああ、そのままで良いよ。俺が部屋まで運ぶから。」

そう言うと正守は立ち上がり、眠る良守の横に膝をついて肩と膝裏に腕を廻す。

「昼寝もしないで修行してたからなぁ。ま、よく保った方だろう。」

軽々と弟の体を抱え正守が立ち上がった。するとその振動でか、良守がうっすらと目を開ける。

「…ん、兄貴…?」
「あれ、起こしちゃったか。良守、そのまま寝てて良いぞ。眠いだろう?」
「う、ん…。」

正守の言葉に良守は小さく頷くと、そのままコテッと頭を正守の胸元に預ける。その少し幼い仕草に正守が優しく微笑んだ。

「じゃあ俺も休むから、お前らは好きなだけ続けてくれ。明日仕事があるやつは程々にしておけよ。」

歩きながらそう言って、正守は部屋を後にした。その後ろ姿をメンバーは暫し呆然と見送る。
数分の間を置き、後方にいた一人が少し恐る恐ると言った風に口を開いた。

「…見た?さっきの頭領の顔。」
「確かに見た。頭領のあんな顔初めて見たよ。」
「俺も。っつーか、見ちゃいけないものを見ちゃった気になるのは何でだ?」

彼らの頭領は厳しいが、仲間に対して無愛想なわけではなく、むしろよく笑う人だった。気さくな面もあるし冗談も言う。子供も多い夜行の中で、面倒見が良いのも正守だった。年の離れた弟がいたから子供の世話には慣れていると自身が語った通り、忙しい中よく子供達の相手をしてやっている。
良守はその当の弟なのだから面倒は見慣れているのだろう。だが…、子供達に向けていた笑みとはまた違う、先程の深い慈愛に満ちた微笑みは。

「ひー、どうしよ。俺何だか照れちまう!」
「ばーか。お前が照れてどうすんだよ。」

ぎゃあぎゃあと騒ぐ二人を、少し若い青年が呆れたように見て、それからふうと溜息をついた。それに気付いた二人が騒ぐのを止める。

「何だよその溜息?」
「ん?いやまあ、ちょっとな。安堵の溜息というか。」
「はあ?何、安堵って。」

不思議そうに訪ねられて、青年は顔をポリポリと掻いた。

「この夜行ってさ、結局頭領が頼りだろ。裏会の厄介者だった俺達だけど、頭領に拾われて何とかこうしてやってきた。だからみんな頭領を慕ってるし、尊敬してる。しかも頭領はそういうの、全部受け入れててさ。俺達は頭領を支えにやってきたけど、頭領の支えってあるのかなって気になってた。」

思い掛けない言葉に二人は押し黙った。その様子を見て青年も言い辛そうに続ける。

「俺なんかが心配するような事じゃないって判ってるよ。でもさ、仕事面は副長がいるけど、それ以外での支えだって必要だろ?だってどんなに強くても、頭領だって当たり前の人なんだし。だから頭領が心を癒せる場があったら良いのにって、ずっと思ってたんだけど…。さっきの見て安心したんだ。」

あんな顔できる相手がいるなら大丈夫だよなぁと、正守が消えた方を見ている青年が肩を叩かれて振り返った。するとそこには目を潤ませた二人の姿が。

「うわっ、二人ともどうしたんだよ!」

涙を堪えているのか、奇妙な顔になっている二人の姿に思わず後退ると、ガシッと肩を掴まれた。

「お前、良いヤツだったんだな〜。」
「ちょっと俺、感動した。その年でその純粋さってどうよ!?かわいいじゃねーか畜生!」

頭を撫でられあちこちバシバシと叩かれ、あげくに今夜はとことん飲め!とコップに酒をなみなみ注がれ。変なテンションで盛り上がる二人に、青年は顔を引き攣らせながらも笑うしかなかった。
















後編  







2007.8.19

Novel