※この話は「−We'll Be Together Again−」「Sweet time」の続編的な未来話です








守りたい幸せ 前編





ドアに付いているカウベルの音がカランと響く。

「いらっしゃいま、うげっ」

テーブルを片付けながら振り向いた良守は、店内に入って来た人物を見て思わず顰めっ面をする。そんな良守の様子を見てその客ー正守は苦笑した。

「おいおい良守。お客様に向かって『うげっ』は無いんじゃないか?」
「誰がお客様だ、誰が」
「俺に決まってるだろう。俺、ここの常連さんだよ」

ニヤニヤと言う正守に、良守は一層不機嫌を露わにする。だが憎たらしくても確かに相手は常連客。怒鳴りたいのを何とか堪えた。

「…いらっしゃいませお客様お席は窓側がよろしいでしょうか」
「うわ、見事な一気読み。マスター、この新しいウェイターさん、愛想がなさすぎじゃないですか?」
「うーん。普段はもう少し愛想もあるんですよ。きっと相手が墨村さんだから照れてるんでしょう」
「ちょっとマスター、変な事言わないでくれよっ!」
「良守。敬語忘れてるぞ」

思わず出た泣き言に、正守がビシリと指摘する。尤もな意見に良守がウッと詰まり動きを止めた。
接客業に携わる以上敬語は必須だ。もちろん客だけじゃなく雇い主のマスターに対しても。しかし慣れない良守はすぐに普段の言葉遣いが出てしまう。

「〜〜っ、とにかくさっさと座れ!ほらメニュー!」

顔を赤くして良守は正守の体を押し、彼がいつも座る席へと押しやる。その様子に正守は苦笑しながら席へと着いた。









いくつもの血で血を洗うような凄惨な事件と艱難辛苦の末に、烏森が封印されて早一年。烏森を出た良守は、正守と暮らしていた。夜行も組織として裏会の中で揺るぎない地位を確固たるものにし、またメンバーも成長して正守一人にかかる負担も減っていた時期だった。
正守は夜行を自分のワンマン組織にするつもりはない。だからこそ少し距離を置く事も必要だと感じ、外に家を持つ事にした。
その頃ちょうど良守も高校卒業を前にし、進路を決める時期だった。製菓の専門学校への進学を希望していた良守に、一緒に暮らす事を提案したのは正守だ。
烏森の周辺には良い専門学校はなく、どの道家を出る事になる。
一人暮らしを心配していた父は諸手を上げて賛成し、跡継ぎが家を出る事を渋っていた祖父も結局は折れた。

烏森はもう無い。あるのはあれほど妖を引き寄せていたとは思えないほど、当たり前の極普通の土地になった嘗ての烏森だ。
烏森を守護する正統継承者は最早必要無く、墨村も雪村もただの異能者の家系になった。
家を守る為には跡継ぎは必要だが、墨村には利守もいる。名を残す為に良守が縛られる理由は薄い。何より歴代で一番烏森に愛されたが故に良守が味わった辛酸を考えれば、繁守も強くは反対出来なかったのだろう。
祖父は結界師としての自分と墨村の家に誇りと愛着を持ってはいたが、それ以上に孫達に愛情も持っていた。
最終的には良守が製菓学校へ進む事も認め、こうして家を出た良守は、正守と同居する事になった。(まあ正守と利守は同棲と捉えていたが)



新居は夜行の本拠地からそう遠くない、そして良守が通う事になった学校から1駅の場所にあった。学生の良守と、夜行の頭領であり、夜間外出する事の多い正守。寝起きする時間から何から違う為、部屋は2LDKで最低限のプライバシーは保たれている。
忙しい時には干渉しない。だがお互い時間が合えば一緒に過ごすそんな日々。殆ど烏森を出たことがなかった弟の為に、正守は良守を色々な所へと連れて行った。
それは海や山だったり、観光地に泊まりがけで出掛けた事もある。そんな中、この喫茶店に連れてきたのは当然の事だった。
正守が今の家を決めた理由のひとつに、この店が近いというのもあった。歩いて15分、気晴らしに店に行くには良い距離だ。
まだ烏森が烏森として有った頃、正守はこの喫茶店のケーキをよく土産に持ち帰っていて、良守はそれをとても気に入っていたから引っ越しと就学祝いにこの店に連れてきた。
マスターに頼んでお祝いのケーキと冷菓の盛り合わせを用意してもらい、それを食べた良守は感動してマスターの弟子になりたいと言い出したくらいだ。

そして夏休み。この店のウェイターの父親が病気の為手術するので休暇が欲しいという事になり、人出の無くなるこの店の手伝いを良守が申し出た。
アルバイトなんてやった事のない良守が接客業をやれるのかという不安はあったが、ここならば正守も安心して弟を任せられる。
こうして良守は生まれて初めてのアルバイトをする事になった。



「ちょっとは慣れた?」

水を持ってきた良守に、正守が声をかける。

「まーな。鈴原さんみたいに珈琲とかも煎れられたら、マスターにもう少し楽してもらえるんだけど」

鈴原というのはこの店の休暇中のウェイターだ。マスターが以前務めていた喫茶店での同僚で、この店を開く時引き抜いたらしい。
基本的に珈琲はマスターが煎れていたが、鈴原はバリエーション珈琲を煎れるのが上手かった。
今はその全てをマスター一人がやっていた。住宅街の中にあって知る人ぞ知る名店という感のある店だが、密かに名も知れ始めている。
時間帯によってはかなり客も多い店だから、マスターの忙しさは倍増だろう。

「せめてと思って紅茶の煎れ方は勉強したんだけど、まだ客に出せるレベルじゃないしさ」

はあ、と小さな溜息をつく良守に、正守が頬杖をついた。

「だったら、試しに俺に紅茶煎れてみてよ」
「は?お前俺の話聞いてたのか?まだ客に出せるレベルじゃないっての」
「客には駄目でも俺なら良いだろ。お兄ちゃん、良守が煎れた紅茶が飲みたいなー」
「そのお兄ちゃんってのやめろ!」

赤くなって怒鳴る弟の様子に正守は楽しげに笑うと、カウンターのマスターに声をかけた。

「ねぇマスター、良いですよね?」

正守の言葉に、マスターはにっこりと微笑む。

「構いませんよ、良守君も随分上達したし。そうだ、せっかくだからあれもお出ししたら?」
「え…。マスター、あれって、あれの事ですか」
「うん、ちょうど良いからね。さあ準備して」

楽しげなマスターと、ちょっと顔が引き攣る良守。あれって何の事だろうと不思議に思いながら、正守は首を傾げた。






カウンターに立ち紅茶を煎れ始めた良守の表情が、一気に真剣なものになった。正守が見ていても気付かない。
昔から良守はこういう所があった。一旦集中すると周りがまったく見えなくなるのだ。
その代わり集中するまでにムラがあって雑念も多いのだが、ハマってしまえば正守も舌を巻く程の集中力を発揮する。
良守はサーバーの茶を蒸らして軽くマドラーで掻き混ぜ、それを茶漉しで漉しながら勢いよくティーポットに注いでいた。
不思議そうに見ていると、良守がトレーにティーコジーを被せたティーポットと、ティーカップを乗せ正守の前に置く。

「直接ティーポットで煎れるんじゃないんだな」

目の前でティーカップに紅茶を注いでくれる弟に、正守が問いかける。

「お代わり用まで煎れるならこの方が良いんだよ。直接茶葉を入れると、残りが苦くなっちまうだろ」

良守の言葉に正守がへぇと感嘆したような声を上げた。そう言えばここの紅茶はポットサービスがつくが、2杯目が苦かった事はない。わざわざ蓋を開けてみた事なんてなかったから気付かなかったが、言われてみると至極納得といえた。
ありがとう、と礼を言ってから、紅茶を一口飲んでみる。渋みのまったくない風味の良い紅茶に正守は感心した。

「美味いよ。これなら充分お客へも出せるんじゃないの?」

紅茶は鈴原が煎れていたが、これはそう劣る味とは思えない。短期間での弟の成長に正守は驚いた。家ではそんな素振り見せなかったが、そうとう努力したんだろう。

「墨村さんもそう思いますか?私も充分店に出せるレベルだと思うんですけど、良守君、遠慮してるんですよ」
「遠慮っていうか、まだ自信がないし…」
「さっきの手際なら大丈夫だと思うぞ。大体、自信がつくのを待ってたら、夏休み終わっちゃうんじゃないのか?」

ニヤリと笑いながら言う正守に、良守は顔を顰めた。

「他人事だと思って簡単に言うなよ。お客に出すのって凄くプレッシャーかかるんだからな」

言いながら良守はキッチンへと消える。再び戻った弟の手には、何やら円い物体があった。

「…桃?」

目の前に置かれたのは、皮の剥かれた丸ごとの桃だった。瑞々しくて如何にも食欲をそそるが、一個丸ごと出されたそれに正守が目を瞠る。

「墨村さん、食べてみて下さい。それ、新作の試作品なんですよ」

…桃が?と思ったが、マスターの言葉に正守はその丸ごとの桃にフォークを刺した。
真ん中に切れ目を入れて割ってみると、中にはクリームみたいなものがギッシリと詰まっていて、単なる桃じゃなくちゃんとしたデザートだったことに正守は驚いた。
一口切り分けて食べてみると、果汁たっぷりの桃の甘みと、さっぱりしたクリームの甘みが口に広がる。

「中のこれ、桃のムース?凄く美味い」

素直な感嘆の言葉に、黙って正守を見ていた良守の口からホッと息が漏れた。それを見て正守が気付く。

「もしかしてこのケーキ、良守が作ったの?」

正守の問いに、良守が頷いた。

「夏限定のデザートを出そうかって話になって。まだ完成じゃないんだけど」

生クリーム、もうちょっと濃厚なのにした方が良いかな、と悩む良守に、正守はもう一口ムースを食べてみる。

「夏なんだし、これくらいが良いんじゃないか。これ以上濃厚だと、桃の風味が負けそうな気がするけど」
「良守君、今日のクリームは何%を使ったの?」
「今日のは37%の無脂肪です。40%とどっちが良いかで迷ってるんですけど…」
「じゃあ次は40%で作ってみて、墨村さんに食べ比べてもらったらどうかな。お兄さんの舌なら信用出来るし」

それで決まったら、来週から限定メニューとして出そう、と言うマスターに、良守がパッと顔を綻ばせた。

「良いんですか?」
「うん。墨村さんが美味いって言うなら間違い無しだからね」
「ええ?俺の言葉で本決まりになっちゃったんですか?責任重大だな」

笑いながら正守はまたケーキに手を出した。この時期の桃はそれだけでも美味しいけど、このケーキは欲目抜きに本当に美味いと思う。

「見た目にも涼しげで美味しそうだし、これって女性ウケしそうですね。夏限定ってのが勿体ないくらいだ」
「夏限定というより、水蜜桃が美味しい時期限定って感じですけどね。大体一ヶ月くらいかな」

ちょうど良守君がバイトしてる期間くらいになるね、とのマスターの言葉に笑った弟の顔がほんの少し複雑気味だったのを、正守は気付いていた。














後編






2007.8.1


Novel