たいした事じゃないと思っていた。ほんの少し体調を崩しただけだって。
本当にただそれだけだったのだけど。
ずっと・・・
数日前から咽が痛かった。いつも帰宅時の手洗いうがいは欠かさなかったのだけど。
取り戻してそう経ってない体は不調に弱い、拗らせたら厄介だ。そう思ってすぐに風邪薬を飲んだ。
薬を飲んでいたら咽の調子は良くなって、ボクは治ったものだと思っていたのだ。
それが油断だったのか、今朝起きた時には眩暈がする程の熱が出ていた。
まずった。こんなにいきなり熱が出るなんて思わなかった。
測ってはいないけど、体はふわふわしてるし眩暈はするし、これは結構高熱の気がする。
とにかく兄さんが起きる前に、何か軽く食べてさっさと薬を飲まなくちゃ。
ああでもその後はどうしよう、ひとつ屋根の下で暮らしてるんだから、どうしたって不調はばれる。
それでも出来るだけ気付かれたくなかった。
だって、体を取り戻してから兄さんはずっとボクの事ばかりで。いつもいつも、ボクを気遣ってくれていた。
ボクが体調を崩したなんて分かったら、きっと自分そっちのけで看病しようとするに違いない。
そしていらない心配をさせてしまうんだ。
どうしたら良いのかな。考えようとすればするほど、体の浮遊感が強くなっていく。
上手く考えの纏まらない頭を押さえていると、階段を下りてくる兄の気配を感じた。
うそ、よりによってどうして今日はこんなに早起きなんだよ!
「アル、おはよう。今日も早起きなんだな。」
「お、おはよう兄さん。こんな時間に珍しいね。」
「ああ、きのう読みかけたままで寝た本が気になって目が覚めちまった。…アル?」
言葉と共に素早い仕草で額に手を当てられた。真剣にこちらを覗き込むその表情に、そんな場合ではないのにドキリとする。
でも、本当にそんな場合じゃなかった。兄さんの目が見る見る険しくなる。
「何か赤い顔してると思ったら、お前熱があるじゃないか!」
「え、やだな兄さん、熱なんかないよ。顔が赤いのは…、兄さんが急に触ったからだよ。」
「白々しい嘘を言うな、触る前から赤かったぞ。」
うわー、これは駄目だ。誤魔化せそうにない。
「…言っとくけど、ボクだって気付いたのついさっきだよ。だから薬飲もうと思ってたとこ。」
ボクは早々に観念して、言い訳がましい事実を話した。この手の事でついた嘘は何故かすぐにばれてしまう。
「だったら飯の支度なんかしようとしないで、さっさと寝ろよ。俺がなんか作るから。」
「大丈夫だって、ご飯くらい作れる… 」
ちゃんと返事をしようとしたのに、そこで目の前が真っ暗になった。
立ち眩み? そう思ったのを最後に、ボクの意識は急速に闇の中に沈んでいった。
額に冷たい感触が当たるのを感じる。とても冷たくて気持ちが良い。
その時、馴染みのある手が頬を撫でてきた。その体温がいつもよりも冷たくてなんだか心細い。
違う人の手のように感じてしまう。
「兄さん…?」
「アル、目が覚めたのか。」
ぼんやりしながら声をかけると、どこかホッとしたような兄の声が返ってきた。
霞んで焦点の合わなかった目が、徐々に周りの景色を鮮明に映し出す。
ぼやけた思考には眩しいくらいの金色の海。ボクとは少し色合いの違う兄の髪の色。
そして髪と同じ色の目が、心配そうにボクを見詰めていた。
「首のとこ、頸動脈も冷やすから。ちょっと冷たいぞ。」
そう断ってから首筋に冷たいタオルが当てられる。額と同じ感触のそれが火照った体に心地良い。
「ありがとう兄さん、ずっとついていてくれたんでしょ?」
結局兄に面倒をかけてしまった。よりによって倒れるなんて最悪。
これじゃ大人しく寝ていた方が、よっぽど迷惑かけなかったのに。
「そんなの気にすることない。それより、お前本当はもっと前から具合が悪かったんじゃないか?」
「…なんでそう思うの。」
「風邪薬、用意しようと思ったら箱が開いてた。」
兄がサイドボードに置いておいたらしい薬箱を手に取り、カシャカシャと箱を揺らす。
確かに中身はボクが飲んだので減っている。そんな所からばれるなんて。
兄さんは普段薬箱なんて見ないから、そこから気付かれるとは思わなかった。迂闊にも程がある。
気まずそうなボクの表情から全てを察した兄が、盛大に眉間に皺を寄せた。
「…やっぱり具合が悪かったんだな。いつからだ。」
「咽が痛かったのは一昨日。薬を飲んだらすぐ良くなったんだけど。」
「それで良くなったからって油断したってわけか。」
ご明察すぎて返す言葉もない。ボクは掛けられていた布団を口元まで引き寄せた。
「怒ってるんでしょ。」
布団から目だけを出して兄を見る。そんなボクを見て、兄が不機嫌そうに何か言い足そうに口を開きかけた。
でも結局何も言わず、ハァーっと大きな溜息をつく。
「怒ってる。でも黙ってたアルの気持ちも解らないでもないから。」
兄の言葉にビックリした。きっと怒鳴られると思っていたのに。
「俺も逆の立場なら、きっとアルに気付かれないようにしてたと思うからさ。
解ってるんだけど、実際やられると腹が立つんだよな。」
腕組みしながら複雑そうに言う兄。そういう所はお互い様なんだよね。
でも気持ちを分かってくれてるのは嬉しい。
「ごめんね。」
申し訳ない気持ちでいっぱいで、心からその言葉を口にした。
同時に伸ばした手を、兄の大きな手が掴むと両手で握り締めてくれる。
先程まで冷たかった兄の手は、今はいつもの体温に戻っていた。
そうか、冷たいタオルを触っていたから、兄さんの手も冷たくなっていたんだ。
やっと安心出来る体温に触れて安堵の溜息をつくと、兄がそっと頬を撫でてくれた。
「アルは謝らなくて良いよ。同じ家に住んでて、気付いてやれなかった俺も悪い。」
「そんな事ないよ、ボクが気付かれないようにしてたんだから。兄さんは絶対に悪くない。」
「ならもう隠し事はなしな。俺、もう二度とお前の倒れる所なんて見たくないぞ。
二人っきりなんだから、ちゃんとお互いを頼ろう。」
「…そうだね、二人だけだもんね。ずっと…だよね。」
その言葉に兄が意外そうにボクを見て、それから嬉しそうに笑った。
「ああ、ずっとだ。」
兄はボクの言葉を繰り返し、甘い未来を約束してくれる。
こんな兄さんが好きだなと思う。蕩けそうな笑顔が、ボクの前でだけ見せる表情が。
本当に誰よりも大切でどうしようもない。
アルがずっととか言うの珍しいよな、と楽しげに兄に言われて、自分でも珍しいかもと思ったけど。
きっとそれは熱のせいだろうと思ったので黙っていた。
たまには熱が出るのも良いのかも。素直になれる気がするから。
そう思った事は、兄さんには内緒だ。
サイト1周年企画その十一。リクエストはサエコさん。
リク内容は
兄に心配かけたくなくて、風邪を黙っているアル。最後はラブラブEND
(だいぶ略してます)
でした。
色々書いて頂いていたのに、半分も書けていない気がします;
兄さんが何で黙ってたのかと怒るシーンも入ってないですね。
うちの兄さん怒鳴れなかったようです、申し訳ない;
最後はラブラブなのでお許し下さいませ。
という事で、こんなんでよろしければお受け取り下さい、サエコさん。
大変お待たせ致しました〜!