こんな風に貴方を傷つけたいわけじゃなかった。

でもそれも、これが最初で最後だ。






別れ道












無駄に広いこの部屋には、大きな窓があって室内を充分な日光が照らしている。

部屋にいる人影は3つ。その内二人は同じ金色の髪に金色の目。

その窓を背に重厚な作りの机に肘を乗せ、何も言わずに二人を見守る黒髪の男。



「…意味が解んねぇ。」

金色の片方が不機嫌さを隠そうともせずに言った。



「何故お前が軍に入るんだ。俺の身代わりになるつもりか。」

「…身代わりなんてならないよ。『鋼の錬金術師』は国家資格を辞した、それは軍も認めている。
 単にボクがその直後に資格を取ったから、そのまま受け継いだだけだ。
 何しろ初代の弟だし、鋼の手足は持たないけど嘗ての鎧姿は鋼の名に相応しいでしょう?」

兄さんのふたつ名をもらえて嬉しいよ。そう言うと兄がギリっと歯を食いしばった。



「だからどうしてお前が国家資格なんて取るんだ。最初の質問に答えろ!」

兄の怒りは途轍もなく大きい。ここまで怒る姿は見たことがなかった。

さあ、ここからが正念場だ。覚悟ならとっくに出来ていたはず。

この茶番劇は成功させないといけないのだから。例えそれで兄がボクを見る目が変わったとしても。



「それがボクの望みだからだよ、兄さん。」

「そんな、そんなはずがない!優しいお前が自ら軍に入る事を望むなんて思えない!」

「ボクは優しくなんてないよ。ねえ兄さん、ボクはもう選んだんだ。」

ボクの言葉に、兄の顔が歪む。辛そうに悔しそうに。



「選んだ?…俺よりも、あいつを選んだって事か。」

一瞬ボクの背後の人物を一瞥し、睨むように真っ直ぐ見返してくる金色の目。だからボクも目を逸らさずに告げる。



「いつまでも兄弟は一緒ではいられないよ。ボクらは子供の時に犯した罪を背負ったまま生きてきた。
 お互いの体を取り戻した時、子供の時代は終わったんだ。これからはそれぞれの道を生かなきゃいけない。」

「子供の時が終わったからって、すぐに離れなきゃいけないわけじゃないだろう!」

「そうだね、離れなきゃいけないわけじゃない。でもボクはこうしようって、ずっと前から決めてたんだ。」

『ずっと前』その言葉に兄の目が見開いた。唇がボクの名を呼ぼうとして止まり、そのまま微かに震え出す。

ゴクリと大きく唾を飲み込んで、兄が意を決したように口を開いた。



「…アルはずっと前から、体を取り戻したら俺から離れようって思ってたのか?やっぱり俺を恨んでいたのか。」

青ざめていく兄を見ながら、ボクはきっと笑っていたかもしれない。冷たい表情で。



「そこで「やっぱり」、って思うんだ。…結局兄さんは最後の所でボクを信頼してくれてはいなかったんだね。」

「違う、そんな事はない!俺は…」

「違わないんだよ。ボクは何度も恨んでないって言ったよね。その言葉は兄さんに届いてなかった。」

それは仕方のない事だった。鎧に魂を定着させたという兄の最大の負い目は、体を取り戻した後も消えずにいる。

その事自体をとやかく言うつもりなんて、ボクにだって本当はなかったのだけど。



一瞬だけ目を閉じた。傍目には瞬きと変わらないくらいの早さで。





「最後にもう一度だけ言うよ。ボクは貴方を恨んではいない。
 命がけで魂を繋ぎ止めてくれた事も、体を取り戻してくれた事も本当に感謝してる。」

心からの言葉だった。自分の気持ちを押し殺し、誤魔化す為の台詞の数々のなかで2番目に伝えたかった真実の言葉。

一番伝えたい言葉は、想いは。口にするわけにはいかなかったけど。



「だからこそ、もうお互いを解放しよう。これからは好きな事をすれば良い。
 ボクもボクが選んだ、望んだ道をいく。」



解放。それは兄にとって重い言葉だったはず。ボクを縛り付けていたと思いこんでいる兄には。

だから敢えてその言葉を選んだ。傷つける事は承知の上で。



呆然と立ち尽くす兄に、少しだけ微笑む。



「さようなら、兄さん。」

扉は殊更大きな音をたてて閉じた。重く、まるで二度とは開かれないかのように。

















「…いつか真実に気付くぞ。」

何しろ相手はあの鋼の錬金術師。いつまでも誤魔化されていてくれるとは思えない。

今はショックの為考えられなくても、いずれ時間が経てば…。



「その時もしボクが生きていたら、怒鳴られようと殴られようと甘んじて受けますよ。」

微かに笑いながらアルフォンスは言った。



「後悔はないのか。今なら引き返せる。」

「今更ですね。ボクは貴方についていくと決めたんだから。」

「…心はあれの所に置いて?」

「それじゃ不服ですか。」

「いや、充分だ。」

言葉とは裏腹に僅かに苦さを含んだロイの声に、思わずアルフォンスが瞬きしてその顔を凝視する。



「何だか嫉妬されてるみたいですね。」

「実際嫉妬しているんだが。」

「…貴方のそういう変に素直な所、嫌いじゃないですよ。」

「そこで「好きです」と言ってもらえると、もっと嬉しいんだがね。」

「あはは、昼真っから寝ぼけてるんですか将軍。」

サラリとかわされてロイ将軍が苦笑した。

まったく私も手を焼きそうな厄介な人物に興味を持ったものだ。

まあ、それも良いさ。人生には多少の刺激があった方が良い。

殺伐とした所に身を置くのなら、尚更。



立ったままだったアルフォンスを目で促す。歩き出した自分の少しだけ後ろを着いてくるのを背に感じる。

その少年に、振り返らずに言った。



「この国を守る。ついてこい、アルフォンス。」

「はい。」
















真実はいつか暴かれる。あの兄の事だ、きっと気付く。





公然の秘密だったボクと兄さんの事情。成し遂げた事の大きさ。

隣国との戦況が芳しくないこの国が、軍が。

それ程大きな力を持つ『鋼の錬金術師』を簡単に手放すはずがない。



簡単な取引だった。

目的を果たし、軍と綺麗さっぱり縁を切ろうと考えている兄より。

軍に忠誠を誓うと約束した、兄と同等の力を持った弟を選ばせた。ただそれだけの事。



『鋼の錬金術師』が国家資格を返上したいと言ってきたら、多少渋ってみせてもいい。だけど必ず承諾してくれれば。

その後すぐに、元『鋼の錬金術師』の弟が国家資格を取りにいく。軍の力が大きく損なわれる事はない。



それはなんて簡単な等価交換。





人体錬成に挑む事が決まった日の前の晩、兄が寝静まったのを確認してボクは密かにロイ将軍に会っていた。

ボクの言葉に将軍は何度も「それでいいのか」といった言葉を繰り返し。

それでもボクの決意が固いのを知り、手回しはしておこうと約束してくれた。

だからその時強く思ったんだ。同じ戦うなら、今までボク達を見守ってくれていたこの人の元で戦おうと。

そしてそれは結果として兄を守る事にも繋がる。










兄さん、ボクは貴方とは違う道を行く。そうして貴方を守ってみせる。

自己満足だと罵られても、これがボクの望みだから。



ああ、思い返せばあの旅は本当に幸せだったんだね。

二人だけでいられたあの旅は。



もう決して同じ道を歩む事はないけど。嫌われても憎まれても、もう会えなくてもそれでも。





愛しているよ、貴方だけを永遠に。










鋼の錬金術師、その名を兄から引き継いで。アルフォンスは戦場へと向かった。




















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