あなたはボクの光だった
遠き旅路の果てに
「あー、アルフォンスいたー!」
後ろから無邪気な声が聞こえて、アルフォンスは振り向いた。
するとここ数日ですっかり仲良くなった少年二人が駆け寄って来る所だった。
「今日は河原にいたんだな。こんな所、退屈じゃねーの?」
少年の内の一人、ロビンが息を切らせながらアルフォンスに尋ねる。。
「そんな事ないよ。この川は小さいけど水も綺麗だし花も咲いてる。見ていて飽きる事がないよ。」
そんなもん?とロビンは不思議そうな顔をした。
そこへ、ロビンはじっとしてるの苦手だもんなー、と傍らのショーンが笑う。
「アルはこういうの好きなんだろ。この間はミゼットおばさんとガーデニングの話で盛り上がってたし。」
少年の言葉に、あそこの庭は凄く素敵だもの、とアルフォンスは笑って答えた。
二人はアルフォンスが大好きだった。
数日前突然この町に現れたこの鎧姿の少年を、最初町の人達は胡散臭げに見ていたが。
礼儀正しい態度と柔らかい物腰、見た目よりはるかに若い少年だったという事実もあって、すぐに受け入れていった。
堂々と会えるようになると、子供達は彼の元を代わる代わる訪れるようになる。
何しろ各地を廻ったという彼の旅の話を聞くのは、この町を出た事のない子供達にとっては貴重な事だった。
何よりアルフォンスは優しくて物知りで力持ちで。彼らー、この兄弟には憧れの存在になったのだ。
「アルは凄いよな〜。」
ロビンが少しだけ口を尖らせて、悔しそうに言うのをアルフォンスが不思議そうに見た。
「凄いって、ボクのどこが?」
「全部だよ全部!俺達とそう変わらない年なんだろ?なのに色んな所行って色んな事知っててさ。なんか大人って感じ!」
「だよな、それは同感。俺もあちこち旅行してみたい。」
無邪気なロビンとショーンの言葉に、アルフォンスは困ってしまう。
「旅行じゃないよ、目的と捜し物があっての旅だったから。大変な事も辛い事もたくさんあった。」
その綺麗な声が、いつもよりどこか悲しげに聞こえて。二人は顔を見合わせる。
少年達の戸惑った雰囲気に、アルフォンスはゴメンゴメンと努めて明るい声を出した。
「ボクからすれば君達の方が羨ましいよ。学校も楽しそうだし、ご両親も優しそうだ。」
「えー、優しくないぜ。母ちゃんなんか顔見れば勉強しろってうるさくてさ。「宿題すませないとおやつあげないわよ!」って。」
「あれズルいよな。脅迫だよ脅迫。親父は母ちゃんの尻に敷かれてるから助けてくれねーし。」
「アハハ、やっぱり楽しそうだなぁ。」
少年二人の言葉にアルフォンスが楽しそうに笑う。それから静かな口調で話始めた。
「あのね、そういう事って凄く大切な事なんだよ。当たり前過ぎてなかなか気付きにくいと思うけど。
お父さんお母さんがいて兄弟がいて。友達や先生がいて。笑い合いながら暮らせるって、本当はとても貴重な事なんだ。」
誰もが当然の様に受け入れている事が、本当はこの世界で一番大切な事だなんて。
それが当たり前の事だと思っている以上、どれだけ尊い事かなんて気付けるはずもないかも知れないけど。
「君達は知っていてね。今自分たちは幸せなんだってことを。」
二人にはアルフォンスの言葉はあまり理解出来なかった。ただ、彼の言葉には何か重いものが含まれている事を感覚で知った。
ふと気付いたように、ショーンが怖ず怖ずと聞いてくる。
「なあ、だったらアルは?今アルは幸せじゃないのか?」
心配そうな少年の言葉に、アルフォンスはう〜んと困ったような声を上げた。
「世界で一番幸せになって欲しい人が、今は多分幸せじゃないから。そういう意味では幸せじゃないかもね。」
たっぷり話して満足した二人が、競争しながら帰っていく後ろ姿を見送りながら、アルフォンスは小さく呟いた。
「やっぱり君達が羨ましいな。…兄弟一緒にいられる君達が。」
仲の良い二人の姿は、嘗てのボクらの姿を彷彿とさせて。アルフォンスはここにはいない人に思いを馳せた。
当たり前が崩れる瞬間があるという事をボクは知っていたはずだった。
それでも兄さんから離れる日が来るなんて、考えた事もなかった自分に苦笑する。
こうすることを選んだのは自分自身だったのに。
少しずつ、少しずつ。記憶の辻褄が合わなくなってきた事に気付いたのはいつだったか。
鎧の体を動かすという、ボクにとって当たり前になった筈の動作に、今まで以上に意識を集中しなくてはいけなくなったのは。
あんなにも長いと感じていた一人きりの夜が、苦痛に感じなくなってきたのは。
今のボクなら、きっと。鎧が朽ち果てるまで動かずにいる事ができる。
あんなにも取り戻したいと願っていたボクの体。それすらどうでもいい事のように思ってしまう。
それがはっきりとした時、ボクは何も言わず何も残さず、兄さんの前から姿を消した。
どちらが良かったんだろう。
追い掛けて来るのは承知の上で、置き去りにしたことと。
あのまま傍にいて、少しずつ無感動に壊れていくボクを見守らせることと。
どちらが兄にとって、より残酷だったのかな。
「…だからね、ボクは大人なんかじゃないよ。」
本当に大人だったら、もっと別の方法を考えついたはずだ。
兄を苦しめると分かっていて、こんな道しか選べなかったボクは。とても大人だとは言えない。
追い掛けて探して、いつか諦めて欲しい。疲れ切ってヘトヘトになって、あの故郷に帰って欲しい。
見つからなかったけど、きっとどこかでボクは生きてると。お願いだからそう信じていて。
今ボクに起こっている現象が「時限爆弾」なのかどうかは分からない。
血印の効力が薄れたりしているわけではないと思う。
ただ何となく、色々と無理なことがたくさんあって。仕方ない事なんじゃないかな、とボクは思っていた。
魂も磨耗するのだろうか。元々限界なんて突破してたんだ。体を失い、魂だけになったあの時から。
消えていくかもしれない恐怖も、無いと言ったら嘘になるけれど。
もう今では時々だけど、兄さんの顔さえ曖昧になる時がある。
そんな時は怖くて怖くて、必死になって兄さんの記憶を思い出す。
他の何を忘れても、兄さんの事だけは覚えていたいのだけど。
全ての記憶が千切れて消えてしまっても、せめてあの人の事だけは。
一緒に過ごした日々の中、たくさん見てきた笑顔や怒った顔、困った顔悲しそうな顔。
それだけでも覚えていられたら、もう充分なんだと思えるのに。
恐らくそれすら消えた瞬間、ボクの存在も消えるのだろう。
「少しこの町にもいすぎたかもしれないな。」
この風貌は目立つから。どこから兄の耳に入るとも分からない。
だから同じ町に長く居続けることは出来なかった。
せっかく親しくなった人と別れることは寂しいような気もしたけど、それもどうでもいい。
ー兄さんと離れていることに比べたら、そんなのはたいしたことじゃないんだろう。
今、どこにいるの?
そろそろ寒くなってきたみたいだけど、機械鎧の付け根は痛んでないだろうか。
一人でもちゃんと手入れしてるかな。ご飯は食べてるのかな。無理かもしれないと思うけど。
自分のことなんて全然気にかけずに、ボクの事を探していると思う。
ごめんね、兄さん。ごめんなさい。
謝って許される事じゃない。解っていてあえてこの道を選んでしまったボクを、許してとは言えない。
だけど本当にボクはあなたには幸せになって欲しいと、そう願っているんだ。
ボクがボクでなくなる日まで、それだけを願っているんだ。
壊れていくボクを、あなたにだけは見せたくなかった。見られたくなかった。
だから傍を離れたのは、あなたの為ではなく、結局はボク自身の為だったのかもしれない。
そんな浅ましいボクだけど。あなたを苦しめるだけのボクだったけど。
それでもこの世界で一番、兄さんの事が大好きだよ。
この魂が消えるその最後の瞬間まで。あなたの事を思っているよ。
カシャリと小さな音を立てて、鎧は立ち上がるとそのまま歩き出した。
彼は最愛の人から逃げるために、ただ一人歩き続ける。
その姿はそれから暫くしてプッツリと消息を絶ち、やがて彼を見たという者は現れなくなっていった。
あなたは光でした あなたは力でした
ともすれば闇に引きずり込まれそうになるボクを 明るく照らす力強い光でした
あまりにも強すぎて あまりにも違いすぎて だからこそ惹かれずにはいられなかった あなたはまぎれもなく
ボクにとって ただ一人 ゆいいつの神でした