特別な日
いつもの旅。見知らぬ街
知らない町並みを僕は一人で歩いていた
兄さんは例の如く、図書館で見付けた本に熱中している
お昼の時間になったのに、いくら言っても動こうとしない
仕方がないので、僕がお昼ご飯を買いに街に出てきた所だった
どうせお昼を用意しても、兄さんが本を離そうとしないのは解っていたので、
片手でも食べられるサンドイッチか何かを、と思ってパン屋に入る
するとそこでは具材をチョイス出来るサンドイッチがあったので、
僕は小振りのバケットに紅茶で煮たポークとスライストマトとルッコラのサンドを頼んだ
うん、これなら野菜も摂れるし腹持ちも良さそうだ
出来上がったサンドイッチを受け取ると、僕は何だか浮き浮きした気分になって店を出た
今のお店は若い女性客がとても多かった。きっと人気のある美味しいパン屋なんだろう
食事を只の栄養の補給としか考えていない兄さんだけど、僕としては少しでも美味しい物を食べて欲しかった
その帰り道。行きには気付かなかったある店の、窓際にディスプレイされているものに僕の目は釘付けになった
本に熱中する兄さんを、本ごと抱えて図書館から連れだしてお昼を食べさせる事に成功したのは
それから1時間も後のお話
「兄さん、今日何の日だか分かってる?」
唐突に声をかけた僕に、兄さんはキョトンとした表情で振り向いた
お昼過ぎにこの街に着いた僕らは、早々に宿を決め、荷物を置いて一息ついた所だった
すぐにでも外に飛び出しそうな兄さんを引き留める為に、僕は質問を投げかける
「何の日って…。何かあったっけ?」
つーかそもそも今日は何日だ。と本気で聞いてくる兄に、やっぱり、と項垂れる
忘れてるだろうとは思ったけど
「今日はね。兄さんの誕生日だよ」
旅を始めた頃から、兄さんは自分の誕生日を忘れるというか気付かない事が多くなった
それが意図的なのかどうかは分からない。でもきっと自分の誕生日を祝いたくないんだろうとは思っていた
少しずつ成長していく事に、兄さんが罪悪感を感じている事には気付いていたから
でもね、兄さんは僕の誕生日は忘れない。絶対に祝ってくれる
アルが生まれた日だもんな、って言って祝ってくれる
それは僕だって同じ気持ちなんだよ。特に今日は。今日だけは
「誕生日かあ。忘れてた」
少しバツが悪そうに言う兄に、うん、だからね。お願いがあるんだ。と言うと兄さんは不思議そうな顔をした
「アルが?俺にお願い?」
「そうだよ」
「普通、何か逆じゃない?」
「そうだね。でも聞いて欲しいんだ」
僕の真剣な様子に戸惑いながらも、別に良いけど、と兄さんは頷いてくれた
だから僕は鎧の中からある物を取りだし、それを兄さんに渡した
「これを着て欲しいの」
何だこれ、と訝しげに包みを開いた兄は、中身を見た途端表情を変えた
「アル、これ・・・」
「この間見付けてね。似合いそうだな、と思って」
「アル、これは駄目だ。着るわけには・・・」
「姉さん」
僕は久し振りにそう呼んだ。姉が嫌がる事はわかっていたけれど
「アル、違うだろう。どうしたんだ今日は」
姉の声には少々の戸惑いと怒りが混ざっていた
旅を始める時、男として生きると宣言した姉
国家錬金術師という重い十字架を背負いながら、宛のない旅をする為には女でない方が都合が良いと言って
姉の決意の程は痛いほど解っていたから、それから僕もずっと兄さんと呼んでいた
でもごめん。今日だけは許して
だって今日はー
「今日は姉さんの誕生日なんだよ。16歳のね」
「それがどうしたって言うんだよ」
「16歳の誕生日は特別だから」
昔、母さんがまだ生きていた時
母さんの古いアルバムを、姉さんとウィンリィと僕とで見せてもらった時
16歳の母さんの写真を見たウィンリィが、わぁ!と歓声をあげたのだ
裾のふんわりとした、綺麗なワンピースを着た母さん
それは子供の目から見ても、とても綺麗だった
『これはね、16歳の誕生日に、母さんの母さんが特別に作ってくれたの』
どうして特別なの?と聞く子供達に嬉しそうに母は言った
『女の子にとって16の誕生日は特別だから』
この国では女性は16歳になれば、親の許可が無くても結婚が出来る
一人前に成人した女性として扱われる
だから特別なのだと
『エドもウィンリィも、16歳の誕生日は命一杯お洒落をしましょうね。好きな人の所にいつでも行けるように』
そう言って微笑んだ母さんの顔を僕は忘れない
とてもとても綺麗な笑顔だったんだ
「アル…」
恐らくその時の事を姉も思い出したのだろう。困ったような表情で僕を見る
「今日だけで良いんだ。今、僕の前でだけ、姉さんに戻って」
そう言って姉の手から包みを取り、中に入っていた物をふわりと広げて姉の体に当ててみる
それは前いた街で見付けた真っ白なワンピース。フリルなどは殆ど付いていない、ごくシンプルな
「絶対似合うと思うんだ」
姉は複雑そうに苦笑しながら僕を見た
「こんなの、絶対似合わねーよ」
「似合うから。着て見せてよ」
そう言うと、渋々ながら姉の姿がバスルームへ消える。変でも笑うなよ!と捨て台詞を残して
少ししてバスルームから出てきた姉は、思った以上に綺麗だった
僕はとても感動して、凄く綺麗だ、なんて陳腐な台詞しか出てこない
きっと生身の体だったら、感動して泣いているか真っ赤になっているかのどちらかだろう
僕はいつものまま三つ編みにしていた姉の髪をほどいてみた。金色の髪がオフホワイトのワンピースに良く映えた
それを見て満足げに頷く僕を軽く睨んだ姉の目は、でも怒ってなんかいなくって
照れ隠しにか、こんな事を怒鳴ったんだ
「アル!俺、他のヤツの為になんか、こんな格好しないからなっ!!」
その言葉を聞いた時、僕は何だか嬉しくて。どうしてだかわからないけど本当に嬉しくて
ギュッと姉さんの体を抱き締めた