どうしよう、まさか自分がこんな風になるなんて

あの日から、僕の中で何かが変わってしまった

それはきっと、許されないことなのに








それが恋だと気付く時














ハァ、とアルフォンスは溜め息をついた

この所何だかいつも溜め息をついている気がする



「こんなのって僕らしくないよね…」

そうは思うのだけれど、自分でもどうしていいのか検討もつかない



平和に過ぎていた日常が変化したのはつい先日

アルフォンスが痴漢に遭った事だった

事件自体は犯人をアルフォンス自身が取り押さえていた事もあってすぐに解決

問題はその後だった



あの時、事件を知って血相を変えて駆け付けた兄の言った言葉

その言葉を聞いて以来、アルフォンスは兄に対して今までのように接する事が出来なくなっていた



『俺の大事なアルフォンス』そう言ったのだ、エドワードは

それを聞いた時は、照れくさかったけど単純に嬉しかった

いつも兄が自分を大切にしてくれてるのは分かっていたけど、それでも何だか嬉しくて

本当にただそれだけだったのに



でもそれ以来、兄の顔をまともに見る事が出来ずにいる

兄の姿を見るだけで、その声を聞くだけで、妙に意識してしまうのだ

心臓はバクバクと早く脈打ち、頬は火照ってくる

苦しくって苦しくって、たちの悪い風邪にでもかかったような気分だ



最初の頃は、どうしてそうなるのか自分でも分からなかった

でもその内、あるひとつの考えに行き当たった

それでもそれは違うと、何度も否定して他の原因を考えようとしたけど、結局それは失敗に終わり

僕は辿り着いた結論を認めざるを得なかった



兄さんの事が大事で大好きなのは、自分の中で当然の事だった

生まれた時から傍にいて、喧嘩もしたけどずっと一緒だった大切な存在

命がけで自分の魂を錬成してくれた。そして体を取り戻してくれた

犯した罪の重さも、苦しかったあの旅も、二人一緒だったから乗り越えてゆけた


そんな特別の人

だからなのか、特別すぎて大切すぎて、その存在が自分の中で変わっていってしまったのか



ーこんな事、誰にも相談出来ない。ウィンリィにも言えないよ…

アルフォンスはまたひとつ、大きな溜め息をついた






そんな憂鬱な日々を過ごしていたある日、それは起こった











研究室での仕事の合間に頼まれて指導している、軍部の下士官への武術指南

僕と兄さんはいつものように、大勢の兵士達と訓練をしていた

兄さんと一緒に出来る研究も大好きだけど、この時間も僕は大好きだった

体を動かす事はとても気持ちが良い。何も考えずに熱中していられる

最近は、研究室で兄と一緒にいるだけでも動悸がしたりしているから…



その時「止め!」という兄の声が大きく響いた

兄が僕の方を振り向く。真っ直ぐな視線に僕の胸がドキンと鳴った



「アル、組み手をして見せるぞ」

お前らは休憩しながらよく見とけ、そう言う兄の後ろに僕は着いていく

今指導しているグループは、まだ入隊したばかりの人達が多く、格闘にも慣れていない

だから僕と兄とで組み手をして見せて、動きに目を慣らす事も大切な事だった



兄との組み手は、昔から僕達の中で当たり前の日常の生活の一部

師匠の元で修行した時から始まって、リゼンブールに戻った時も、二人で旅をしていた時も

だから僕には兄さんが次にどう動くのかが考えるまでもなく分かる。それは兄さんも一緒だ

呼吸をするよりも自然に。お互いの思考が読める。こんな感覚は他の人とは味わえない

だけど今の僕は、以前とは少し違っていた



攻撃を仕掛ける時の兄の真剣な金色の目。翻る艶やかな金髪

こめかみから首筋へと流れ落ちていく汗が光る



姿の綺麗な人だと思う。背も伸びた兄はスラッとしていて、とても人目を惹く

そんな所も弟として、妹として、ただ誇らしかったのに

今は何だか直視出来ない眩しさがあった。こんな風に兄を見てしまう自分が嫌らしい存在に思えた



つい、兄の姿に見惚れてしまった僕は、一瞬今が組み手の最中だという事を忘れていた

ハッと気付いた時には、兄の蹴りが目の前まで迫っていた

兄も僕の様子に気付いて止めようとしたようだったけど、勢いは完全には消しようがなくて

何とか蹴り自体は両手で防ぐ事は出来たけど、体勢を大きく崩した僕は受け身を取る事も出来ずに床に叩き付けられる

少しずつ遠くなる意識の向こうで、兄が必死に僕を呼ぶ声が聞こえた気がした












どうしちゃったんだろう、僕。息をするのが辛い

ゆるゆると覚醒していく意識と共に、体を襲う妙な息苦しさと圧迫感

そしてとても近くから聞こえてきた兄の声



「アル…?」

それは聞いた事のないような兄の声だった。まるで迷子の子供のよう

兄さん、どうしたの。なんでそんなに辛そうな寂しい声で僕を呼ぶの…?

自分を呼ぶ兄に答えたくて、重い瞼を必死に開けると、僕を覗き込む兄の姿

それは声と同じく、辛そうで、とても悲しそうだった



「兄さん…?どうしたの、そんな顔をして…」

ボンヤリと霞み掛かった思考を叱咤しながら兄に問いかけると、兄が長く深い溜め息を吐いた



「お前、覚えてないのか?組み手の時に、俺がお前を蹴り倒したんだよ」

兄がそっと僕の手を握り締めた



「床に叩き付けられて意識を失って、…俺、心臓が止まるかと思った」

目覚めてくれて良かった。そう言いながら僕の手を握る兄の手が、小刻みに震えている

その姿は涙を見せているわけではないのに、何故か泣いているように見えた



「ごめん、兄さん」

僕はそう言う事しか出来なかった。繰り返し繰り返し何度も謝る

「謝らなくていい。蹴ったのは俺の方なんだし、止められなくて悪かった。
 それよりアルフォンス。お前あの時何を考えてたんだ?」

「え?」

「あれくらいの蹴り、いつもなら難なく避けられたはずだ。だけどあの時何か別の事を考えていただろう。
 そうじゃなきゃ、アルがあんなまともに倒れるはずがない」

…兄がそう思うのは当然の事だったけど、当の本人に聞かれたって何と答えればいいのか

まさか兄さんに見惚れていて油断してしまいました、なんて言えるはずがない



「…何も考えてなかったよ。ちょっとボンヤリして、組み手の最中だって事忘れちゃったんだ」

何とか誤魔化そうと言ってみても、兄は納得しなかった



「他の事ならともかく、アルが組み手の最中にボンヤリしてたなんて、信じられると思うか?」

「少し疲れてたんだ。何だか風邪気味っぽくてさ」

僕の言葉に、兄は少し眉を顰めた



「…俺にも言えない事か?」

真っ直ぐに僕を見る金色の眼差しに、ドキンと鼓動が跳ね上がった

握り締められた手もそのままで、少しだけ力を込められて

繋いだ手の温もりは嬉しいのに、このままだと…

全身が心臓になってしまったかのように脈打つ


僕は内心の動揺を悟られないように、そっと兄の手を取り離す



「何も考えてなかったし、兄さんに言えない事なんてないよ。…僕、少し眠るから」

そのまま視線を逸らした僕の肩を、兄さんが自分に向かせようと掴んだ



「触らないで…!」

「アル…?」

兄が目を見開いて僕を見た



「そんなに、俺に触れられたくないくらいに、お前は…」

呆然としながら呟く兄の顔色は真っ青で、どれだけ衝撃を受けたのかが分かった



僕は今、何て事を…

こんな風に言ったら、兄さんが傷つくのは分かっているのに


でもこれ以上兄さんに触れられたら、僕は本当にどうなるか分からない

言ってはいけない事を口走ってしまいそうになる


だけど、兄さんを傷つけたまま真実を隠すのと、本当の事を言って嫌われるのと

どちらも辛いなら…。兄さんを傷つけたままだなんて、そんなの嫌だ!


立ち上がり、出て行こうとする兄を必死に呼び止めた



「違うんだよ兄さん!ごめん、酷い事言って…!」

背を向けた兄に手を伸ばそうと、無理矢理に起きたせいだろうか

後頭部にズシリと重さを感じたのと同時に、吐き気と目眩が襲ってきた

倒れかけた僕を、慌てたように兄の手が支えた



「ばか!お前、頭も打ってるんだぞ、無茶するんじゃねぇ!!」

怒るっているというより、心底心配してくれているのが分かる兄さんの声

たった今傷つけたばかりの僕を、それでも考えてくれている



やっぱり好きだなぁ、と思った。兄さんのこんな所も僕はずっと好きだったんだ

どうして今まで気付かずにいられたんだろう



「話を聞いて。さっきのは違うんだ」

「違うって何が」

「…あのね、兄さんに触れられると、僕はおかしくなりそうなんだ」

僕の言葉に兄は怪訝な顔をした。躊躇いがちに聞いてくる



「それは俺が嫌だとか、触られたくないって事じゃなくてか?」

「違うよ。兄さんを嫌だなんて思った事は一度だってない」

僕は静かに首を振りながら、兄さんの言葉を否定した

本当にただの一度だって、そんな風に思った事なんてなかったから



「僕が悪いんだよ。僕、この所兄さんを見てると何だかドキドキしたりして。
 以前なら何でもないように出来た事が、妙に意識しちゃって出来なくなって。
 どうしてそんな風になるんだろうって、ずっと考えてやっと分かったんだ。
 僕は…、兄さんに、あの…ね」
  

「…恋してるようだ、って?」

ハッキリと言われて、僕は顔に熱が溜まるのを感じた


「それなら俺も同じだ」

「え・・・?」

大きく目を見開いて自分を見詰めるアルフォンスに、エドワードは嬉しそうに続ける



「俺はずっと前から、アルフォンスに恋をしてるよ」

兄の告白はあまりにサラリとしていて、その意味を理解するのにタイムラグが発生した

ポカンとした僕を見て、兄が楽しそうに笑う



「本当の本気で言ってるの?」

「本当の本気だよ。今のが冗談だったら質悪すぎだろ。俺の片想い歴は長いんだからな」

信じろ、という兄の表情は嬉しそうで。浮かれているといってもイイかも知れない

冗談ではない事は明らかだった

嫌がられたり嫌われると思っていただけに、唐突に訪れた意外な結幕に思考が着いてこなくて

両想いだった事を喜ぶよりも、他の事が気になってしまう



「だけど僕達兄妹だよ?」

「兄妹だけど、俺はアルが好きなだけだから。アルが弟だった時から好きなんだし」

「普通、こういう事って禁忌だよね」

「国や時代によっては、それが当たり前の時だってあったんだ。
 人の考えや文化によって変わるような物は、本当の禁忌とは言えないだろう。
 ただ今の時代の中で倫理的に問題視されてるだけで、別に罰則だってない」

「…躊躇いとかないの、兄さん」

「躊躇う理由なんてお前の気持ちだけだ。それ以外に考える事なんてないだろ」



…何だろう、この突き抜け方。兄さんらしいと言えばらしいけど

でも兄さん、前から僕の事を好きだったのに、そんな事言わないで

僕を傷つけたりしないように、気持ちを抑えてくれていたんだ

そう思うと、体の芯から温かいものが沸き出すような気がした



兄さんはいつだって、自分の事は後回しで僕を一番に考えてくれる

それが不満な時だってあるのだけど。もっと自分の事も考えて欲しいとか

でもこんなにも僕の事を思って大切にしてくれる人は、きっと他にはいない

過去も今も、気付かないような所まで、僕を守ってくれている


だから兄さんの気持ちに答えたくて、僕は初めて兄妹としてだけではない意味を込めて告白した


「兄さん、大好きだよ」


嬉し涙を堪えていたし、きっと顔とか真っ赤で変な顔をしていたと思うのだけど

兄さんは鮮やかに全開で笑って、僕を抱き締めてくれた





ずっと一緒にいようね。今までのように、これからもずっと二人で

どんな苦しい事も二人でなら乗り越えて来れたように

きっと僕は、兄さんと一緒ならどんな困難に直面しても大丈夫なんだ

だからこの手を離さないで。貴方の隣を遅れないように着いていくから







大好きだよ、兄さん

この想いに気づけて良かった























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