僕と兄さんが長い旅の末、ようやく体を取り戻して半年が過ぎた
最初の頃は生身の体に慣れなくて、動くのもやっとだった僕だけど
体の機能的にはどこにも問題はなかったので、時間と共に普通に動けるようになってきた
もちろんリハビリは結構大変だったのだけれど
でも痛みとか苦しみとか、そういったものを感じられる事自体が幸せだって、僕は知っているから
(兄さんは「痛いとかが幸せなんて、アルフォンス君ったらマゾちっく〜」なんて僕をからかった。殴っといたけど)
そしてようやくリハビリのプログラムも無事終了した事を祝って、軍部のみんながパーティーを開いてくれたのだけどー
底心
パーティーはとても盛り上がっていた。というか乱痴気騒ぎと言った方が良いかも知れない
最初から怪しかったんだ。だって料理の数に対して用意されたアルコールの数が合わなかった
テーブルの上にも床の上にも、あちらこちらに空き瓶が転がっている
軍の人がお酒に強いとは聞いていたけど、ここまでとは正直思わなかったよ
救いは料理がとても美味しい事だろうか。飲まない身でもそれなりに楽しめる
アルフォンスはちらりと視線を泳がせた
目に映るのはウィスキーのグラスを片手に、ロイ将軍と何やら話している兄の姿
その表情はいつものように不機嫌そうだった
兄さんったら、どうしてロイさんと話す時はいつもあんな顔なんだろう
けっして嫌いじゃないんだと思うんだけど。からかわれるのは嫌だろうけどさ
似たもの同士すぎて反発するんだろうな。同類嫌悪ってやつだろうか
そんな事を考えていると、横からグラスが差し出された
「おい、アルフォンス。お前も可愛らしくジュースなんか飲んでないで、こっちを飲め」
ニヤニヤしながらハボック大尉が差しだしたグラス。琥珀色の液体が揺らめいている
どう見ても中身はお酒だろう
「駄目なんです。僕、兄さんから止められてて」
「体はもう何ともないんだろ?だったら少しくらい大丈夫だろう。まったく飲んだ事ないのか」
「いえ、それが一度兄さんと飲んだ事あるんですよ。その時随分と兄さんに迷惑かけちゃったみたいで」
それは体を取り戻して1ヶ月ほど経ったある日、兄さんと家で飲んだ時の事
以前から軍のみんなと飲む機会の多かった兄さんは、年の割には酒に強い
それなのに、初めて飲むというのに、僕は兄さんと同じようなペースで飲んでしまった
その時の事は途中から覚えていない
凄く陽気になって楽しかった事だけは覚えているのだけれど
翌朝、兄さんは不機嫌だった。いや、不機嫌というのとはちょっと違うかも知れないけど
何だか余所余所しいというか、視線が合うと慌てたように逸らすし
挙げ句に飲酒禁止令が発令された。きっと色々と迷惑をかけちゃったんだろう
それを聞いてもハボック大尉はグラスを突き出してきた
「兄貴と一緒のペースで飲んだのが拙かったんだろうよ。少しだけなら問題無いって!」
「そうそう、こんな席で一人だけ素面ってのも寂しいだろう。大体主役が飲まんでどうする」
横から出てきて同意するブレダ大尉。相変わらず良いコンビだなぁ
でも確かに、みんなが酔っている中一人だけ素面というのはちょっと寂しかったし
僕の為に開いてくれたパーティなのは本当だったし
僕は数瞬躊躇ったのち、そのグラスを受け取った
あー、くそ。相変わらず嫌なヤツだぜ
ムシャクシャとした気分でたった今まで話していた相手に背を向ける
ロイ・マスタングに会うといつもいつもからかわれる。話題は決まってアルの事だ
『弟はずいぶんと男前だったんだな』
『背も高いし、あれでは女性達も放っておかないだろう』
『良いのか、鋼の。ボヤボヤしてると横から攫われるぞ』
余計なお世話だぜ本当に。そんな事言われなくたって分かってるさ
だからって俺にどうしろって言うんだ。あいつは俺の弟なんだぞ!
切れかかった所にホークアイ女史の助け船が来た
酒が入ってタガが弛んだ無能の相手を彼女に任し、弟の元へと戻る
以前から無能(と恐らくホークアイ)には気付かれていたアルフォンスへの想い
腹が立つ事に、無能の言う事は的を得ている
今までならアルフォンスが傍にいるのは当たり前で。二人が離れる事なんて考えなくて良かった
だけどアルが生身の体を取り戻し、当たり前の生活を暮らせるようになった今
急にそんな恐れが現実味を帯びてくる
体を取り戻したアルは、贔屓目を抜いても格好いいと思う
背はスラリと高いし、甘めなのに精悍な顔立ちは人目を惹く
街を歩いていても、痛い程の視線を感じる事があるのだ
現にラブレターだって貰っている。今はそれどころじゃないからと、申し訳なさそうに断っていた
その姿にこっそりと安堵して
でも落ち着いたらどうなるんだろう。リハビリだって終了して、これからは何だって出来る
アルは元々可愛い彼女が欲しいって言っていたんだし
どんどん暗い考えになりそうな頭をブルブルと振って、思考をそこで押し留めた
今日はアルフォンスの快気祝いなんだから、余計な事を考えてちゃ駄目だ
「アル、ごめんな。無能に捕まっててさー・・・」
声を掛けた途端こちらを向いてにこりと笑った弟を見て、俺は言葉を失った
ほんのりと薄く紅色に染まった頬。濃密に辺りに漂うアルコールの香り
「アル!お前飲んだのか!?」
「えー?飲んだのかって何をー?」
「馬鹿、酒に決まってるだろ!あれだけ飲むなって言ったのに!!」
「大丈夫、ほんの少しだよ。やだなぁ、そんなに血相変えなくてもいいじゃない」
こちらの焦りを無視して、弟は上機嫌だった
楽しそうな笑顔満開のアルフォンスの姿に、少しだけ気が弛む
いやいや、そんな場合じゃない。楽しそうだろうが何だろうが、あの時のような事になったらー
家に連れ帰ろうかと考えていたエドワードに、アルフォンスが兄さん、と呼びかけた
その表情を見て、エドワードの背筋にゾクリとしたものが流れる
同じだ、あの時と同じだ!だから飲ませたくなかったのにっ!!
思わず固まる兄の様子には気付かずに、アルフォンスは相変わらず上機嫌で
とんでもない事を口走り始めた
「兄さんって可愛いよね」
『ハァ!?』
アルフォンスの言葉に、隣にいたハボックとブレダは思わず声を上げた
言葉の形のまま口が開いている
そんな二人の様子には頓着せずに、アルフォンスは固まった兄を嬉しそうに見ていた
「怒った顔とか焦った顔とか、喜怒哀楽が激しいって言うかさ。生き生きしてるのって良いよね。
僕、昔から兄さんのそういう所大好き」
罪のない笑顔で真っ正面から大好きと言われ、顔に血が逆流していくのを感じるエドワード
こ、こいつの言ってる好きは家族の好きで兄弟の好きなんだから!
赤くなったりしたら変だろう、しっかりしろ俺!
そんな内心で葛藤する兄の心中を知らず、アルフォンスはニコニコ笑顔を絶やさない
「お前らか、アルに酒を飲ませたのは」
じとーっと睨む兄に苦笑いするハボック
「だってよー、大将が弟には飲ますなってあれだけ言うから、一体どんな事になるんだろうって。なぁ?」
ハボックが隣のブレダを見る
「まあ、あんな必死に言われちゃな。却って興味が湧くというか」
「兄さんお二人を責めないでよ。飲んだのは僕なんだし、まだそんなに酔ってないでしょ」
「いや、充分酔ってるからお前。自分で気付いてないだけだ」
「なあ大将。今のがアルフォンスに飲ますなって言ってた理由か?」
「…そうだよ、前もだったんだ。こいつ酔うと口説き魔になるんだよ」
それだけじゃなく抱き付いてきたりベタベタしてくるんだ、と兄が溜め息をつく
「別にそれくらいなら良いんじゃないのか?」
そりゃ無理矢理押し倒してどうこうとかなら問題有りだが、大好きなんて言ってる辺り見てる分には微笑ましい
そう思ったブレダが疑問を口にすると、兄は猛反発した
「冗談じゃねー!今はこれくらいだけどな、前はもっと凄かったんだ。
面と向かって好き好き言われ続けて見ろ、こっちはどんどん素面になって我に返って恥ずかしいったらないぞ!」
言われてみるとそうかも知れない。ましてや男同士の兄弟なんだから
本当はエドワードにとっては嬉しい事なんだが
それにしたって心臓に悪い事には変わりない
アルフォンスはそんな兄の様子にもニコニコしている
そこにグラス片手にフラリと彼らの上官がやってきた
「さっきから何を騒いでるんだだ」
「それがですねー」
戸惑い気味のハボック大尉から話を聞いたロイ将軍は、ふーむとやや気の無い声を上げながら兄弟を見る
そこにはエドワードの腕を掴んで嬉しそうに大好き攻撃をかます弟と、真っ赤になっている兄の姿
「お前達と飲んでいた時は普通だったのか?」
「別に変わった様子は無かったですよ。楽しそうではあったけど」
なあ、と隣のブレダに同意を求めるハボック。それに頷くブレダ
部下二人の話を聞いて、ロイ将軍は一瞬にやりと笑った。そして兄弟の元へと向かうと、徐に弟から兄を引っぱがす
「アルフォンス。私が解るか」
「…?解るかって、ロイ将軍でしょう。どうしたんです、急に」
あ、お酒飲みます?と言いながらテーブルに向かおうとする弟を引き留め、その目の前にハボックを引っ張ってみた
ブレダ、フリュー、ファルマン、そして紅一点であるリザの順に、将軍の手によってアルフォンスの目前で次々と人が入れ替わる
その様子をアルフォンスはキョトンとしながら見ていた
一通り確認した後、ロイはアルフォンスの前にエドワードを戻した
すると途端にアルフォンスが嬉しそうに、パアっと顔を綻ばせる
「兄さん!」
「うわっ!!」
思いっ切り抱き付かれて蹌踉けるエドワード
「成る程」
その様子をうんうんと頷きながら見ていたロイ将軍。アルフォンスに抱き付かれたままのエドワードにいっそ爽やかな笑顔を送る
「良かったじゃないか、鋼の。喜びたまえ」
「なんだ、どういう事だ!一人で納得してるんじゃねぇ!!」
「今ので解らなかったのか?君の弟は酔ったら口説き魔になるが、誰でも彼でも口説く訳じゃないという事だよ」
ついでに抱き付くのも君だけだ。そう言うとエドワードの顔がボンっと真っ赤になった
「そういう事ですか」
「それでしたら外で飲んでも問題はないですね」
納得しながら少々呆れ顔のブレダと、それ以前の問題を綺麗に無視したリザ
「兄ちゃん限定で口説くって事は、アルフォンスもまだまだ甘えたい年頃なんですかねー」
まったく解ってないハボックの言葉に、呆れたような哀れみのような視線が集中する
「ハボック、それはマジ呆けか。さてはお前天然だな、天然だったんだな」
「お前、そんなだから彼女が出来ないんだぞ」
「そこが彼らしいと言えなくもないかもしれません」
「…なんか俺、ずいぶんな事言われてる気がするんですけど」
上司と同僚の言葉に泣きそうになるハボック大尉
「まあこれで事件は解決した訳だ」
「いつ事件になったんですか」
満足げな将軍と冷静に突っ込みを入れるブレダ大尉
「そうだ鋼の。場面がそれ以上進むなら、家に帰った方が良いかもしれんぞ」
何だったらこの場所を提供しようか、我々は席を外すし
爽やかな笑顔でとんでもない事を言う将軍に、エドワードは顔を真っ赤にして怒鳴った
「それ以上ってなんだよ!そんな訳あるか!!」
そう言ったエドだったが、でも家には帰った方が良いかも知れないと考え直した
これ以上アルに好きだの愛してるだの言われては自分の身が持たないし、ますますからかわれるだけだ
「アル、家に帰るぞ」
「え、嫌だよ。まだ遅くもないし」
「駄目だ、とにかく離せったら」
無遠慮な力で抱き付いてくる弟を無理矢理剥がして、ずるずると引きずるように引っ張っていく兄
弟はというと未だにこやかに、すみません皆さん、なんて手を振っている
消えた兄弟を見送りながらブレダ大尉が呟いく
「あーいう所だけ見てると、酔ってるなんて思えないんですがね」
ましてや兄相手に口説き魔になるなんてとても見えない
「酒に酔って本人も知らない本音が出てるって事か」
普段の様子から考えると、自覚はしてないんだろうな兄と違って、とロイ将軍
「二人が幸せならそれも良いんじゃないでしょうか」
兄弟には甘いリザ少佐はどことなく嬉しそうだった
その日、兄弟の仲がどう進展したのかは誰も知らない