幸せな時間









「アル、お〜いアル?」

軽く体を揺すられてうっすら目を開ける。ぼんやりと見えてきた目に鮮やかな金色の髪。



「ん…、兄さ…ん…?」

まだ完全には目が覚めない。だって凄く気持ちよく寝てたのに。

暖房が程良く効いた居間。ふかふかのクッションが引き詰められたソファ。

このふたつを前にして眠くならない人がいたら、それは不感症だと思う。


「兄さんじゃねーって。こら、馬鹿アル。こんな所で寝てたら風邪ひくだろ。」

馬鹿なんて言いながら、本当にボクの体を心配してくれてるのが分かる。

取り戻したボクの体は当初とても痩せていて均衡が脆く、感染症にも罹りやすかったから。

でももう落ち着いていて、こうして兄さんと人並みに暮らしているのに。

いつまでも心配しすぎだよ兄さん。


「大丈夫だよー。これだけ暖房も効いてるしさ…。」

「言いながらまた寝ようとするなって。寝るならベッドに行けよ。」

ベッド。それもまた非常に魅力的な言葉だった。

朝一番に日に干した羽毛布団は、取り込んだ時ふんわりと良い匂いがしていたし。

きっと気持ちがいいだろうなぁ。

でもこのソファも充分心地良くて離れがたい。


「う〜…、だったら兄さんがベッドまで運んでくれる?」

「・・・・・・・・・・・・・・・。」

呆れてしまったのか、兄さんが一瞬沈黙した後マジかよ、とか何とかブツブツ言っている。

子供みたいな事言ったから当然かもしれないけど、でも自力じゃここから離れられないんだもん。



本当は兄が沈黙したのには別の理由があったのだが、アルフォンスは気付かなかった。

無邪気なのも時として罪深い。



運んでくれないならいいや、このまま寝ちゃおう。

そんなことを考えてたら急に体が宙に浮く。

目を開けると兄の顔が間近にあった。顔というか顎とか頬だけど。心なしかうっすらと赤い。

ボクそんなに力入れないといけないくらい重いのかなぁ。確かにこの所筋肉ついてきたけど。

見当違いの事を考えながら、アルフォンスは再び目を閉じた。



ふわり、ふわり。

抱えられたまま運ばれる。こんな風にされるのは、本当に小さかった頃以来だ。


あの時は母さんが運んでくれた。覚えてはいないけど、もっと昔には父さんも運んでくれたかもしれない。

でも今こうして兄に抱えられているこの時が、一番気持ちがいい。

頬に当たるのは兄さんの肩かな。背中に回ってる左腕も温かい。

出来るだけ当たらないようにしているらしい右腕の、その固い感触。冷たかったそれに移るボクの体温。

その全ての感覚が愛おしい。どんなに心地よい寝具よりソファより、もしかしたらこの腕の中が一番なのかも。



二階の寝室にたどり着いて、ベッドに降ろされた時には何だか複雑な気分になった。

予想していた通りに日に干した布団はふんわりしていて心地良いのに、離れていく体温が名残惜しい。

だから離れようとした服の裾を掴んで、目を開けて兄を見た。


「ねえ、兄さんも一緒に寝ない?」

そう言った瞬間、兄の顔が盛大に引きつる。何もそんな顔しなくても良いじゃないか。

ベッドだって大きめだから二人で寝ても問題ないし。昔はよく一緒に寝てたんだしさ。


「アルフォンスさん、いったいいくつになったんでしたっけ?」

まだ口の端を引きつらせながら、意地悪そうな顔で聞いてくる兄。


「年なんて関係ないよ。ボクだって人肌恋しくなる時があってもおかしくないでしょ。」

同じ部屋で寝るのも同じベッドに寝るのも、そう代わりないと思うんだけど。

ボクの言葉に兄さんがもげそうな勢いで首を振る。ポニーテールがビタンビタンと顔に当たっている。

なんか痛そうなんだけど、平気なのかな兄さん。


「違うだろ、同じ部屋と同じベッドじゃ意味がまるで違う!」

何故か焦ったように言う兄。そうかなぁ、そうかもしれないけど別にボクら兄弟なんだから良いじゃない。

昔はよく一緒に寝てたんだし。


「兄さんが人肌恋しくなった時はボクが付き合うからさ、ね?兄さんイイでしょ?」

どうしても嫌なら仕方ないけど、と言ったら兄さんがベッドに顔を埋めて頭を抱え込んでしまった。


「嫌じゃねーから困ってるんだろ…。」

「…?意味が分らない。嫌じゃないのにどうして困るんだよ。」

「あー、もう。お前は分かんなくていいの!ほら、もうちょっとそっちに詰めろよな。」

兄はガバッと顔を上げると、ごそごそとベッドに入ってきた。

何だかんだ言って兄さんはボクに甘い。それを分かっていて甘えてるんだから、ボクも結構質が悪い。


「へへっ、暖かいや。」

ちょっと不機嫌そうに、でも一緒にいてくれる兄さんが嬉しくて、ボクはその腕にしがみついた。


「お前、いつからそんな甘えん坊になったんだ。」

兄が苦笑しながら聞いてくる。いつから?う〜んどうだろ。

「そんなの分かんないけど、ボクが甘えるのは兄さんだけだから良いんだよ。」

他人に迷惑かけてる訳じゃないしね。


「…殺し文句。」

「え、なにか言った?小さくて聞こえなかった。」

「聞こえなくて良い。お前はもう寝ろ。」

そう言ってしがみついていたのとは反対の機械鎧の手で、布団を肩までかけて頭を撫でてくれる。

その乱暴なようで優しい動きに、またトロトロと眠りに誘われてボクは目を閉じた。



甘えたくなるのも温もりが欲しくなるのも、それは相手が兄さんだからなんだと思う。

だって違うんだよ、他の人の手と兄さんの手は。

それが例え冷たい機械鎧の手であっても。触れられて心底安心出来るのは兄さんだけなんだ。

だからごめんね。子供染みた我が侭だって分かってるけど、もう暫くは許して欲しい。

長い間触れられずにいたのだから。ずっと触れたいと願っていたのだから。










ぐっすりと眠ってしまったアルフォンスの寝顔を見ながら、エドワードは大きな溜息をついた。

アルが甘えてくれるのは嬉しい。他のやつには甘えないというのも嬉しい。

だがこの状態は…。はっきりいって蛇の生殺しだ。

安心しきった寝顔は凶悪なくらいに可愛いのに、手を出さずに横で大人しく寝ていろと?


「眠れるわけないっつーの…。」

持ってくれよ、俺の理性と忍耐。

ぐっと込み上げてくるものを堪えながら、エドワードの長い夜が始まった。
























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