手を伸ばしたのは、どちらが先だったのか
それはわからないままだったけどー
伸ばす手、繋ぐ手
目が覚めると、そこは僕のベッドの上だった
最初に触れ合った居間でも、その後移動した兄の部屋でもなく
意識を失う前に傍にあった温もりもない
体は綺麗に清められ、パジャマまで着ている
兄さんがやってくれたんだろうな
ロイ将軍から差し入れられたシェリー酒
極上の品だというその酒は、確かにとても美味しかった
上品な甘さと軽い口当たりで、普段そんなに飲まない僕もつい進んでしまって
気が付くと、兄さんと二人ですっかり酔っぱらっていた
でも兄さんと酒を酌み交わす事も酔っぱらう事も、平穏に暮らすようになってからよくあったのに
どうして昨夜だけがいつもと違ってしまったのか、わからないのだ
ふとした弾みで視線が絡み合って
吸い寄せられるように顔が近づく
最初、軽く触れ合った唇の感触が心地よくて
2度目は自然と深くなる口付け
甘い、と感じた
兄の唇も、絡んできた舌もとろけそうに甘くて
離れたくなくて、自分から追い掛けた
その後の行為も、恐れなど感じずに
ただただ翻弄されながらも、兄の全てを受け入れた
どうしてこんな事になったのか、自分でもわからない
ただわかるのは、自分が兄とこうなった事を少しも後悔していない事だ
それは、ただの兄弟の情だけではありえない
家族としては異常な行為。受け入れられるはずもない事
その事に嫌悪など微塵も感じずにいる自分
アルフォンスは、こうなって初めて理解していた
自分が兄へ向けていた想いの全てを
兄が自分にとって特別なのは当然の事だった
誰よりも大事で掛け替えのない存在で、それは全て自然な事だった
その中で更に自然に育った感情も、他の想いと一緒になって融けていたから気付かなかったけど
でも、もう気付いてしまった
目が覚めた時、傍にいなかった兄の事を考える
兄さんと話さなければ
少しだけ気怠く重い体を叱咤して、アルフォンスは部屋を後にした
ドアを開けると、多分いるだろうと思っていた通り、居間のソファに兄の姿はあった
一瞬ギクリとした様子で顔を上げる。その姿に少し悲しくなる
「アル…、起きて大丈夫なのか?」
躊躇いがちにかけられる声に、振り絞った勇気が萎みそうになった
だけど話さなくては
「…大丈夫だよ。それよりも兄さん、話があるんだけど」
そう言うと、兄は僕をソファに促し、自分はキッチンへと向かう
戻ってきた兄の手から渡されたのは、温かいホットミルク
僕が一口二口それを口にした後、兄がゆっくりと話を切り出してきた
「話って昨夜の事だよな」
「…うん」
頷きながら兄の顔を見てみると、目が真っ赤に充血して目元にはくまが出来ている
どれくらいの間、ソファでジッとしていたんだろう
もしかして一睡もしてないのではないのだろうか
そんな事を考えていた僕は、次に兄の話した言葉に衝撃を受けた
「昨夜の事は、なかった事にした方が良いと思う」
「なかった事…?」
「…お互い随分と酔っていた。正気じゃなかったんだ、だから」
「…後悔、しているの」
兄はそれに答えなかった。肯定しているも一緒だ
僕は一度だけ固く目を瞑った。覚悟の為に
「兄さんには悪いけど、僕はなかった事には出来ない。忘れる事も」
真っ直ぐに見ながら言うと、兄は少しだけ苦しそうに眉を寄せた
「…それが当然だな。アルが俺を許せなくても仕方ない」
兄のその言葉にビックリする。僕はなかった事には出来ないと言ったのに
「許せなくてもってどういう事。僕は兄さんを恨んでも憎んでもないのに」
今度は僕の言葉に兄がビックリしたようだ。目を大きく見開いている
「俺を許せないから、昨夜の事を怒っているから、なかった事には出来ないんじゃないのか?」
「違うよ。許せないなんて思ってないし、怒ってもいない。
ただ、忘れたくないし、なかった事にはしたくないんだ」
兄は僕の言葉に呆然としていた
「…僕はあの時、とても幸せだった。今までで一番幸福な時間だと思えたんだ。
どうしてそう思えたのかも、考えて考えて…解った」
「アル…?」
「だから僕は忘れない。兄さんが忘れる事も駄目だ、その方が許せない。
だってそうだろ。人が気付いてなかった感情気付かせといて、今さら忘れろってそんなの無理だ」
「…お前は、幸せだったって言うのか。俺に抱かれた事を後悔してないのか?」
「後悔してるのは兄さんだろ?」
「それは酔って判断のつかなくなったアルを抱いた事に対しての後悔だ。
拒む事すら出来なかっただろうから」
「どうしてそう思うんだよ。拒もうなんて思わなかったのに。
僕はお互いに手を伸ばしたと思ってた。望まれて抱かれたんだと思ってたんだよ」
「アルフォンス」
「兄さんが望むなら、僕はこれからも今までと同じに振る舞うよ。兄弟のままで良い。
だけど昨夜の事は忘れないで。例え兄さんの本意じゃなかったにしても」
「違う、違うんだアル!」
否定の言葉と共に抱き締められた。自分を包むその温もりは、確かに昨夜と同じもの
ずるい、と思った。どうして今、抱き締めたりするの
何が違うと言うの
問い詰めたいのに言葉が出てこない。抱き締める腕の強さと裏腹の優しい温もりに泣いてしまいそうで
そんな僕を腕に封じ込めたまま、兄は静かに話し出した
「俺は望んでた。ずっとアルに触れたいって、お前が欲しいって望んでたよ」
思い掛けない兄の言葉に、思わず顔を上げて兄を見上げる
その表情を見てわかった。嘘じゃない、誤魔化しでもない、それくらいは分かる
「だったらどうして…」
なかった事にした方がいいなんて言うんだよ。言葉にならない僕の言いたかった事を察したのだろう
兄は少し眉を顰めて苦笑したようだ
「俺はずっと、アルだけが大切だった。だからこそ触れてはいけないって決めていた。
全てを取り戻して、いつか誰かと恋愛をして結婚して子供を作って。そんな幸せな未来がお前には待ってる。
それを見守っていけたらと、それが俺の役目だって、自分に言い聞かせてたんだ」
それで充分だったはずなのに。アルが幸せなら
「それなのに、いくら酒に酔ったからってお前を抱いてしまった。
アルは優しいから、きっと俺を拒む事も出来なかったんだろうと思って。
だからせめて、これ以上を望んだりしないように、今まで通りに兄として接する事が出来るように、
なによりアルのこれからに、俺の存在が重荷になったりしないようにって思ったんだ」
「だからなかった事にした方が良いと言ったの。僕がこれから誰かと恋愛するのに、自分が邪魔になるって…?」
そんな風に考えてたのか。兄らしいと言えば兄らしいのかも知れない
いつだって自分の事は後回しで、全てを背負い込もうとする人だから
いつだって僕の事ばかり考えてくれる人だから
「僕はそんな未来はいらない」
閉じ込められた兄の腕の中で、僕はきっぱりと言った
「兄さんがいないなら、見もしない誰かとの未来なんていらない。
望んでいるのは兄さんと一緒の未来だ。そうじゃなきゃ意味がない」
「アルフォンス…」
「幸せになるなら、兄さんとがいい」
それが僕の想いで、望み。全ての事は兄さんとじゃなきゃ嫌なんだ
「俺も…」
兄の抱き締める手に少しだけ力が籠もる
「俺もお前と一緒がいい。全ての事はお前がいないと意味がない。
本当はアルが好きで、離したくないって思ってたんだ」
「だったら望んで。自分から手を離そうとしないで。僕を捕まえていてよ」
「それを俺が望んでもいいのか」
「それが僕の望みでもあるんだよ、兄さん」
「…後で後悔したって知らないぞ。もう他の誰かにお前を渡してなんかやれないからな」
「後悔するのは兄さんかも知れないよ?」
「それだけはない。…アルフォンス、愛してる。本当はずっと伝えたかった」
「僕も、愛してる。…大好きだよ、兄さん」
僕は自分から兄の背に腕を伸ばして、精一杯抱き締めた
互いの気持ちを確かめる前に、体を繋げてしまった事から生まれた小さな誤解と擦れ違い
でもそのおかげで、僕は今まで気付かずにいた気持ちに気付く事が出来た
僕の知らない所で、一人色んな想いを抱えていた兄さんを知る事が出来た
こうなって本当に良かったんだ
ねえ兄さん。幸せになろうね
今までだって充分幸せだったけど、もっともっとそれ以上に
望みを押し殺したりしないで、ありのままの二人で
一緒に幸せになろう
手を伸ばしたのが、どちらが先だったのかは分からないままだけど
繋がれた手はもう離れる事はない
僕は、貴方がいない未来なんていらない