暫く姉から離れようー。そう、決意した







結実













決意した次の日に、僕はマスタング少将の元を訪れた

セントラルの大学院生を中心に、見識を深める為の使節団が結成される話を聞いていたので

その一員に推薦して欲しいと頼む僕を、少将は一瞬真顔で見返してー

その後「そうか」と何でもない事のような顔で頷いた



「鋼のは了承ずみなのか」と尋ねる彼に、これから話すと答える

彼は少し思案した後、「君の学力なら問題ない。早速手続きしておこう」と請け負ってくれた



どこまで気付いているのだろう。きっと僕の心の中の葛藤など見抜いているに違いない

その事には触れずに、頼みをきいてくれた事が有り難かった



男として、人間として、まだ僕は彼に敵わない

生きてきた年月、踏んできた場数が違う

それは当然の事で、いつか彼に認められる人間になれば良い

そんな事を悔しがっている時ではないのだ、今は



そう、今はとにかく姉から離れなくてはいけない

そうして一人になって、冷静にならなくてはいけない



このままではきっと僕は

誰よりも大切な存在を、この手で傷つけてしまう







姉への気持ちに気付いて以来、想いは募るばかりで

時々襲ってくる衝動を抑えきれなくなりそうになる時がある







この想いが間違っているとは思わない

無理に諦めるつもりも、だからと言って姉に打ち明けるつもりもない

だけど毎日好きな人と一緒に暮らしていて、何も感じない程僕は聖人君子じゃない





無防備な笑顔、心からの信頼

それを根底から覆すような行動を取ってしまいそうな自分が恐かった

この手で姉を傷つけてしまうかもしれない自分が恐かった





だから暫く距離を置こうと思ったのだ

一人になって、自分を見つめ直す時間が欲しかった

姉の姿を見ると、姉の事しか考えられなくなってしまうから





無理にこの想いを押し殺そうとは思わない

だけどせめて、向けられる信頼を裏切る事だけは無いように、自分を律するつもりだった










友好国を尋ねながらの使節団の旅は、一ヶ月程になる

正式に選考メンバーに選ばれた日、僕は姉にこの事を打ち明けた

姉は当初とても驚いて、僕が一人で旅立つ事が不満そうだったが

「アルは前から余所の国に興味を持ってたもんな」と納得してくれた







色んな事に葛藤しながら迎えた出発の日、僕は旅立った

見送ってくれた姉の顔が、とても寂しそうだった事を密かに喜ぶ自分に自己嫌悪しながらー






それは姉と僕が、生まれて初めて離れ離れで過ごす一月だった






















「うーん。どっちも美味そうだな…」

市場には所狭しと美味しそうな果物が並ぶ

艶やかに光るリンゴを手に取り、エドワードは悩んでいた


この種類のリンゴは甘いけどちょっと柔らかいんだよな。これは酸味が強いけどシャキシャキして美味いし…


「なあアル、お前どっちがー」

勢いよく振り向いてから、呼んだ相手の姿がここには居るはずがない事に気付く



「あ…」

そうか、そうだった。アルフォンスは今この国にはいない

俺の傍には…いないんだ



「お嬢さん、どうしたね?」

年老いた店主が、不思議そうに声をかけてくる

「いや…、何でもないんだ。おじさん、このリンゴ3個くれよ」

急に突き上げてきた寂しさに気付かない振りをして、エドワードは無理矢理に思考を切り替えた





そんな日々をやり過ごしてー























アルフォンスが使節団の一員として旅立ってから1ヶ月。明日はようやく帰ってくる

最初話を聞いた時は、何故一人でなんかと弟を責めそうになったけど

生身の体を取り戻して、やりたい事を出来るようになった弟の、初めての願いだったから

たった一月だしと思って、快く見送ったのだ


今まで、鎧に魂を閉じこめて、自分に縛り付けてしまっていたのだから








多少は寂しいだろうというのは覚悟していた

何しろ生まれた時からずっと傍にいるのが当然だった存在だ

特に母が死んでから、そして禁忌を犯してからは、二人で支え合って生きてきた

それが一月も離れるなんて。そんな事は今まで一度だってなかったのだから

でもそれに耐える事なんて、当たり前の事だと思った

もしかしたら近い将来、アルだって一人立ちしたいと考えるかもしれない

そんな思いがあるからこそ、今回の使節団への参加も希望したのかもしれない

そして俺がそれを止める権利も資格もないんだ

寂しいからって、弟を自分に縛り付ける事なんて、出来ないのだから






だけどこうして実際離れてみると、それは考えていたよりももっと辛い事だった

目が覚めた時に交わす笑顔、優しく自分を呼ぶ声

支えてくれた大きな手、抱き締めてくれた時の心地よい温もり

それら全てをまったく感じられずに一人過ごす事が、こんなにも辛い事だったなんて









「今…お前、何やってんだ…?」

ぽつりと口から出た呟きに答える者はいない

そんな気候でもないのに、急に寒気に襲われた気がして、エドワードは我が身を抱き締めた






アルフォンスが鎧の体を持っていた頃。その時だって温もりを感じる事は出来なかった

それでも抱き締められれば心は温かくなって安らげた

どんな姿だって良かったのだ。ただアルフォンスが居てくれさえすれば



今その姿が傍にいないという、ただそれだけの事で

足元から崩れていくような錯覚に襲われる

アルフォンスがいない家は、ただ広くて寒くて無機質で

どれだけいたって、少しも安らげない






この家はこんなだっただろうか

あんなにも温もりに溢れていると感じていたのは錯覚だったのか

そうだ、全ては錯覚だったのだ



温かいと感じていたのはアルフォンスがいたから

ただそれだけの違い。それが大きな違い









「寒いよ、アル…」

寒い、震えそうな程に寒い。いくら毛布を身に纏っても、この寒さは凌げない



寒い。早くここに帰って来て温めて欲しい

あの優しい温もりを分け与えて欲しい

アルフォンスの温もりが欲しい。笑顔が、姉さんと呼ぶ声が、その全てが





アルフォンスが、欲しい











「お…れは、今、何を…」

今、自分が考えた事に愕然とする

温もりを求めた時、思いは自然とアルフォンスそのものを求めた

その温もりだけではなく、アルフォンス自身を、その全てを求めていた

それは決して家族に、弟に向ける感情ではなくー




呆然としながら、それでもエドワードは少しずつ理解していた






確かにたった一人の家族だ。この世でただ一人の弟だ

だけどそれだけじゃない。それだけの言葉では自分の中のアルフォンスは収まらない








あんなに失えないと思ったのは

愛しくて愛しくて、誰よりも何よりも大切で

自分の全てを捧げても良い。そう思えたのは







「アルフォンスが特別だったからだ…」








家族としてだけではなく、弟としてだけではなく

この世界でたった一人だけの、愛しい存在として



自分の中でアルフォンスだけが、とっくの昔に只一人の男だったのか








どうして、どうして気付いてしまったんだろう

アルフォンスは実の弟なのに。許されるはずもないのに

気付いてしまったなら止まりそうにない。いつかきっと打ち明けて、アルを困らせてしまう

誰よりも優しいあいつを、苦しめてしまうだろう

そうなる前に、いっそ離れるべきなのだろうか?

そこまで考えて、全身に震えが走った







俺が、アルフォンスから、離れる?

アルフォンスのいない場所で、生きる?

そんな事が出来るのか、俺に




そんな…、そんな事

い…やだ、嫌だ嫌だ!離れたくない!離れたくなんかない・・・っ!!

離れてなんか生きていけない!…恐い!!





涙が溢れた。嗚咽が洩れる

気付いた気持ちが苦しくて、離れる事が恐ろしくて

ポロポロと流れ落ちる涙を拭う気にもなれずに、ただ力無く、自分の想いを呟いた






「・・・俺は、アルフォンスを愛してる・・・」

















「・・・・・・・本当に?」

その時後ろから聞こえた声に、エドワードは反射的に振り向いた

開けっ放しだったドアの所に立っていたのは、紛れもなく自分の弟の姿



「ア…ル?ど…して…?」

切れ切れに聞いてくる姉の元に、アルフォンスは静かに近寄ると、持っていた旅行バッグを足元に落とした

そうして涙でくしゃくしゃになった姉の目元を優しく拭う



「最後の国で先方に急な不幸があってね。予定が少し繰り上げになったんだ。だから一日早く帰ってきたんだよ。
 もう姉さんも眠っているだろうと思ってたから…」

だから静かに帰宅したのだ、そう言いたげな弟の表情を呆然と見た



気付かない内に、帰ってきていた?アルフォンスが?

ならば聞かれていたのか?先程の「本当に?」という問いは、その前の自分の言葉に対して!?





「アル…、違う、違うんだ」

「姉さん、本当の事を言って。さっきの言葉は本当なんだね?」

「違う、違うっ!アルフォンス…、ごめん、ごめんな…」

激しく首を振った後また涙を零し、謝罪し始め俯いてしまったエドワード

その姿が堪らなく愛しくて、アルフォンスはエドワードを抱き締めた



アルフォンスの腕の中で、起こった事が理解出来ずにエドワードは戸惑う

アルフォンスはそんな姉を抱き締めたまま、艶やかな髪に頬を擦り寄せ、耳元で小さく囁いた





「謝らないでよ、姉さん。姉さんに謝られると、僕も謝らなくちゃいけなくなる」

「え…?」

「…僕も姉さんが好きな事を、愛している事を謝らなくちゃいけなくなる。
 僕はこの想いが禁忌だとしても、悪い事だとは思っていない。だから謝りたくはないんだ」

だから姉さんも謝ったりしないで、そう言うアルフォンスを腕の中から見上げた

そこにあったのは、強い眼差しで自分を見詰めるアルフォンスの姿

不思議そうに見上げてくるエドワードに少しだけ微笑みを返し、アルフォンスは真実を告げた





「僕は、姉さんが好きだよ。貴女を、エドワード・エルリックを愛してる」



その言葉は、ゆっくりとエドワードの頭に、体に、そして心に入りこんできた





「姉弟としてではなく…?」

「それもあるけどそれだけじゃない。僕は一人の女性として、貴女を愛しているんだ」

嘘や誤魔化しでなんかあるはずがない。その真剣な表情は、緊張の為か少し強張っていた





「姉さん、もう一度言って。さっきの言葉をもう一度、ちゃんと僕に言ってよ」

涙の痕が残る頬を優しく撫でて、アルフォンスは姉を促した

もう一度、どうしてもきちんと自分に対して言って欲しかった





「あ…、アル…」

「うん」

「俺も…、好きだ。アルが、アルだけが大事で…」

そこで一度、言葉が途切れる。腕の中で小さく震える体をもう一度抱き締めなおした

するとエドワードは切なげに目を細め、ほんの先程気付いたばかりの自分の想いを全て込めて声にした





「俺も、アルフォンス・エルリックを愛してる」



その言葉を聞いた瞬間、アルフォンスの中の何かが弾けた



たった今、自分への愛を告白したその小さな唇に、万感の想いを込めて口付ける

一瞬ビクリと震えたが、姉が拒む事はなかった



最初は浅く、少しずつ深くなる口付け

角度を変えてその甘い口内を貪る度、舌を絡めて誘う度に、背中に廻された手に力がこもる





長い口付けから解放した時、エドワードの目にはまたもや涙が浮かび、呼吸は荒くなっていた

そんな姉の姿を愛しく思いながら、アルフォンスはもう一度、大切な人を抱き締める

エドワードも、アルフォンスを強く抱き締め返した









ずっと二人だったから、傍にいる事が当たり前だったから

いつからかその存在が特別になっている事に気づけなくて


きっと二人、遠回りをしていたのだと思うけど


それでも良い。それが二人にとって必要な時間だったのだろう

全てを捨てて、相手だけを望むだけの想いの強さを手にする為の、大切な遠回り


それは決して無駄ではなかったはずだから

だからこそ、これからもずっと二人で生きていく事が出来るのだから









実るはずのなかった恋の結実



その甘い喜びが二人を包んでいた




















Back