かたわら















ベッドの中から聞こえる静かな寝息

兄さんが遅い眠りについた頃、僕は一人外に出る

寒い冬の一番冷え込むこんな時間、外を歩く者は誰もいない





兄さんが眠っている時間

僕は本を読んだり、研究を僕なりに進めたり、ただ静かに黙想したり

そんな風に兄さんの傍らで過ごす事が多い

でも時々、時間を持て余した時、こんな風にぶらりと外に出てみる事もある



眠りを必要としない僕には、ただ過ぎるのを待つだけの夜の時間は長すぎるのだ

だから夜の散歩は唯一と言っても良いかも知れない僕の趣味だった





昼間見かけた小さな広場

いくつかの木製の遊び道具と、冬の寒さに立ち枯れた木々があるだけの寂しい空間

それでも昼間は子供達の声で賑やかだった

今はとても静かだ。そこに生き物の気配は無い


・・・僕の気配すら、ない


こんな時僕は、本当はもうとっくに

こちら側の人間ではなくなっているのではないかと考えてしまう





声を出さず、じっと動かずにいれば

脈打つ鼓動を持たず、息を吐く事もない、人の気配など微塵もない僕なら

この静かな闇の中に、溶け込んで同化してしまうだろう





夜明けにもまだ遠いこんな時間

周りに明かりの一つもない広場は、ひっそりと静まりかえっている



辺りを照らすのは、暗闇の中に光る星とオレンジ色に怪しく輝く月



生き物の匂いのしない世界、所々に見える、月光すら届かない閉ざされたような闇

それらを何故だか心地よく感じてしまうような僕は

もうすでにこの世界の住人ではなくなってしまっているのではないだろうか





そもそもあの時、体の全てを失ったあの時

確かに一度、僕はこの世界から引き離されたはずなのだから





こんな時僕はふと考えてしまうのだ

僕はこの世界にいても良いのだろうか、と







その時物凄い音と共に、何かに鎧の兜を吹っ飛ばされた



「うわあ、何!?」

転がっていく兜を慌てて拾って後ろを振り返る

そこにいたのは寝ていたはずの、息を切らせ右の拳を震わせながら、仁王立ちする兄の姿





「…兄さん?」

自分の考えに没頭していたのだろう。兄の気配に全く気付かないなんて

それより今のは…、もしかしなくても兄に殴られたのだろうか?

しかも右でなら容赦なしだ。左だと怪我をしちゃうけど





「兄さん、いきなり殴るなんて酷いよ!」

兜がへこんじゃうでしょ!と文句を言う僕を、兄はキッと睨んだ





…うわ、何でだろう。すっごくすっごく怒ってるよ、この人

殴られたのは僕なのに





「お前、今何考えてた」

「え?何ってどういう事?」

兄の質問の意味が分からず、思わず聞き返す



「一人でボケーっとしながら、変な事考えてやがっただろう!!」

「…ボケーっとは酷いんじゃないかな」

「うるせー!そんな事よりも、何考えてたのか聞いてるんだ!」





…どうしてばれたんだろう。僕に表情なんて無いのに

こういう所凄いなって思うんだけど、今は感心してる場合じゃない





「何も考えてなんかないよ。ただボンヤリと夜空を眺めてただけ」

誤魔化せるとは思えないけど、本当の事を言う訳にはいかなかった


僕の返答を聞いた兄の眉が、これまで以上に吊り上がる

ハッキリ言って、かなり凶悪な顔だ

大抵の人なら恐がって逃げ出しちゃうだろうな





「…俺に嘘が通じると思うなよ」

ボソリと吐き捨てるように呟かれた台詞





「この頃、お前が何か考えてたのは知ってるんだ。だから今日は追っかけて来た」

その台詞に僕は驚いて、兄の顔を凝視する

そんな事まで気付かれていたなんて思わなかった





「余計な事は考えるな、アル。俺達には他に考えなくちゃいけない事がたくさんあるんだから」

「…余計な事じゃないかも知れないよ」





だって本当は僕がこの世界にいるべきじゃない存在だとしたら


そうだとしたらこの魂を返してしまえば、きっと兄の右手は元に戻る

左足までは取り戻せないのは残念だけど、僕の存在が無ければ、兄さんは無理な旅をする必要もなくなる

そうだ、こうして旅をしているのは僕の為なんだから

だって兄さん一人なら、きっと旅はしていない

鋼の足のままその罪の証を背負って、それでも構わないさと兄さんらしく生きていくだろう

僕さえ、僕の存在さえ無ければー





「アルッ!!」





考えに没頭してしまった僕は、兄さんの悲鳴のような怒鳴り声で思考を取り戻した

兄は相変わらず僕を睨み付けている。ただその顔は先程よりも少し不安そうな表情が混じっていた

そうして兄さんは僕の右手をその生身の左手で掴む

掴んだその手が縋り付いているようにも見えた





「許さないからな、アル。お前がいなくなるなんて許さないから」

「兄さん」

「お前の居場所はこの世界にあるんだ」



声にならない兄さんの声が聞こえた気がした

俺の隣にいろと、それがお前の居場所だと

そう言っているような気がした

そう言って泣いているような気がした





それで良いの、兄さん。本当に貴方はそれで良いの

僕は兄さんの傍にいても良いの

僕のせいで辛い目にばかり合わせているのに。これからも苦しめるかもしれないのに

それでも、僕を望んでくれるの?





「…大丈夫だよ。ごめんね、兄さん。変な事で心配掛けちゃったね」


きっとずっと前から、僕の悩みに気付いていたのだろう

兄に不安な思いをさせてしまっていたのか


ごめん、ごめんね。謝っても謝っても足りないけど。だけど


兄さんがそれを望んでくれるなら

隣にいるのが僕で良いのなら

もう僕は迷ったりしないから。僕の存在理由は貴方の傍に居る事だと思えるから

その為に還ってきたのだと思えるから





僕の言葉を聞いた兄さんは、ホッとしたような顔になって

分かったんなら良いんだ、とニヤリと笑って見せた





もう、どうして兄さんはこうなんだろうね

辛い事を背負い込んで、それがまるで当然だと言うように何でもない顔をして

本当なら、もっと楽に生きられたはずなのに



強くて弱い兄さん。賢くて、でも馬鹿な兄さん

本当は誰よりも寂しがり屋な兄さん



貴方が望むなら、僕は此処にいるよ。貴方の傍に、隣にいるよ

例えそれが本来なら、世の理から外れている事だとしても

僕の存在が間違いなんだとしても





本当は誰よりも脆い兄さん

貴方がこの世界に繋ぎ止めた、僕が持っているただひとつの魂全てを捧げて

一番大切な貴方を、きっと守るから





僕らの未来にあるのが輝かしいものなのか、それとも新たな絶望なのかは分からないけど

その最後の瞬間まで、僕は貴方の為に生きよう



それが僕の、存在の理由























Back