よく利用するセントラルのホテル。朝食をルームサービスで頼む兄。
その運ばれてきたメニューを見て、思わずうわあ、と声を上げる。
サンドイッチにソーセージの添えられたプレーンオムレツ。コーンスープとサラダとフルーツの盛り合わせ。
朝食としては素晴らしくバランスが取れた申し分ない内容だ。
…ただ量が軽く2人前あるのと、一緒のプレートにコーヒーと共に乗った牛乳の存在がなければ。
他の人が頼んだ品なら、牛乳があっても疑問は持たない。だけどこれを頼んだのは他ならぬ兄なのだ。
届けられたご飯に挑むようにかぶりつく兄を見ながら、アルフォンスはここ数日の疑問を投げかけた。
牛乳と隠し事
「ねえ。どうして最近、そんなに食べるようになったの?」
いや、単に食べるだけなら分からないでもない。兄は今成長期なんだから。
でもあれだけ嫌いだった牛乳を涙目になりながら飲んでいるのは、どう考えても不思議だ。
その表情から言って、兄が牛乳を好きになったという可能性はゼロに等しいだろう。
「…腹が減るからに決まってるだろ。」
「それにしたってちょっと食べ過ぎじゃない?お腹壊しそう。」
以前なんか熱中タイプの兄は食事が不規則になりがちだった。
いつもボクが小言を言っても全然聞き入れてくれなかったのに。
「大体それなら、嫌いな牛乳まで飲んでるのはなんでなの。」
ボクの言葉に兄は一瞬ウッと詰まった顔をしたが、微妙に引きつった笑顔を見せた。
「最近牛乳のうまさに目覚めたんだ。いやあ、牛乳ってこんなにうまかったんだなぁ!」
笑いながら牛乳瓶を持った手は不自然にプルプルと震えている。
こんなにうまい飲み物を今まで飲まなかったなんて!と大袈裟に首を振る兄の台詞は白々しいにも程がある。
「…兄さん、そんなに力込めたら牛乳瓶割れちゃうから。それと目、涙目になってるよ。」
溜息をつきたい気分だった。今のボクには無理だけど。
「そんな簡単に兄さんの牛乳嫌いが直るだなんて、ボク信じないからね。」
今まで散々手こずってきたんだから。兄さんがどれだけ牛乳が嫌いかだなんて、誰よりもボクが知っている。
嘘で誤魔化されると思うなよ、と無言で圧力をかけてみると、兄が不自然に顔を逸らす。
「いいじゃねーか。お前だって牛乳飲めって煩かったくせに。」
「それはそうだけど、今は無茶な食生活の方が気になるんだもん。」
毎日とはいかないが以前よりもきちんと食べるようになった兄。
だけど量が問題だ。前は食べない事が多かったから食い溜めするみたいに大食いだったけど。
今はほぼ三食食べているのに量も多いだなんて。絶対その内胃を壊すと思う。
じーーっと見続けていると、兄が諦めたようにこちらを向いた。
ちょっと拗ねたような表情は、兄を随分と子供らしく見せる。
「ちょっとやそっとじゃ腹壊したりしねーって。お前心配しすぎ。」
兄は睨みながら言うけれど。そんな上目遣いに睨まれたってちっとも恐くないよ兄さん。
「心配するような事してるのは誰さ。ビールの飲み過ぎで胃が破裂して死んじゃった人の話知ってる?」
「そりゃ極端すぎだ。オレを飲み比べで意地になってビール飲み続けたようなやつと一緒にするな。」
「何事にも限界はあるって話をしてるの。」
だってきっと死んじゃった人だって、ビールで胃が破裂するなんて考えもしなかったはずだ。
人の体は良くできているけど、そんな都合良く伸び縮みしない。許容量を超えれば壊れるしかない。
そして壊れてしまったら元には戻らない。ーボクの体とは違うのだから。
「兄さんが無茶をするのなんて慣れっこだったけど。今度ばかりは反対だからね、理由を話して。」
そうじゃなきゃ手足を縛ってでも食べさせないよ。いっそ鎧の中に閉じこめちゃおうか。
半ば本気で言ったら兄が青くなって焦りだした。
「やめろ。アルは有言実行タイプだから恐い。」
「それは兄さんもだろ?兄さんの場合それプラス猪突猛進タイプだけど。」
お前それは褒めてんのか貶してんのかどっちだと言う兄に、どっちでしょうねーと答えながら。
アルフォンスはずずいと兄との距離を一歩縮めた。
「さ、話してくれるよね?」
焦るって事は何か隠してる事があるんだ。単にお腹が空くから大食いしてるって訳じゃない。
いきなり身長を伸ばしたくなったとか?まあ何か理由があるはずなんだ。そこまで考えてふと引っかかるものがあった。
身長、兄さんの身長。二人分の食事。
兄さんの仮説では、ボクの成長分も兄さんが背負っていて、だから背が小さめなんだと言っていた。
そしてあの時、グラトニーに飲み込まれた兄さんが還ってきたあと。兄さんは何て言っていた?
「そう言えば。ボクに会ったって言ってたよね…。」
ポツリと言った台詞に、それまで不機嫌そうだった兄の顔が一瞬強張った気がした。
「扉の前でボクの体に会ったって。ちょっと痩せてたけど五体満足だったから安心しろって兄さん言ってた。」
そうだ、あの後からだ。兄さんが無理矢理食べるようになったのは。この事が意味するのはー。
「もしかして、ボクの体に栄養をあげようと思って。それで無茶してたんだ?」
それはふとした思いつきだったが、ほぼ間違いなく当たってる予感があった。
だって兄さん一人のことなら。例えば身長を伸ばしたくてご飯を食べるようにしたんだったら。
きっと牛乳まで飲んだりはしないんじゃないかな。
兄さん、と声をかけると、兄はボクをちらりと見上げてきた。
眉間には皺が寄ってるけど、眉は下がっている。悲しいそうとも困っているとも取れる表情。
アルは察しが良すぎだ、隠し事もできねー、とやけになったように兄がソファに横たわった。
「…無茶じゃねーよ。二人分なんだから、こんくらい食べて当然だろ。」
ばつが悪そうに苦笑いする兄。一生懸命笑おうとしているらしい。ボクが心配しないように。
ほんと、どうしようもないんだから、兄さんってば。
呆れ半分愛しさ半分の複雑な気持ちでいっぱいだ。
「兄さんがボクの体を心配してくれるのは嬉しいけどさ、それで兄さんが体を壊したらその方がボクは嫌だよ。
それに一度に無理して大量に食べるより、お腹が空くごとに細めに食べる方が効率的なんじゃない?」
ボクの体の成長分も兄さんが負っているなら、栄養分の消化も普通の人より早いはずだから。
ボクの言葉に兄さんは真剣な顔をして考え込んだ。
「そうだな、アルの言う通りだ。一度に大量に掻っ込んだって、消化にも時間かかるだろうし。」
兄の言葉に少し溜息をつきたくなった。納得して欲しいのはそこじゃなくて、体を壊してほしくないってとこなんだけど。
でもまあ良いや。どうやらこれで無茶な食べ方はしないでくれそうだし。兄がご飯をきちんと食べる事自体は嬉しい。
それにしても、とアルは思う。
あれだけ頑固なまでに嫌いだった牛乳を、ボクの体の為なら飲んじゃうなんて。
馬鹿だよなぁとか。どうしてこんなにも自分を省みないんだろうなんて思うけど。
それでもちょっと嬉しいな、なんて思ってしまう。まったくボクもどうしようもないよね。
起き上がって、今度はゆっくりと朝食に手を付けだした兄にコーヒーのお代わりを渡しながら。
喜んでしまう気持ちを抑えきれないアルフォンスだった。