「…どうしてこんな所で寝てるかな。」
信じられない、とズキズキ痛むこめかみを抑えながらアルフォンスは呟いた。
誰にも見せない
今二人がいるのは中央司令部の中庭。庭と言ってもそれなりに手入れされた芝生と、いくつかのベンチがあるだけだが。
それでも昼休みに休憩するには充分の場所だった。特にこんな穏やかな日差しの気持ちいい日には。
「それは分かるんだけどね…。」
スヤスヤと眠る兄を見ながら、溜息をつくアルフォンス。
昼休みはとっくに終わったのに戻らないという兄を捜しに来たら。
人目もあるこんな所で、無防備に眠ってるなんて。
中央司令部の中心。セキュリティはバッチリ。ある意味この国の中で一番安全な場所なのかもしれない。
だがそれはあくまで警備面での安全だ。別の意味では…、危険なことこの上ない。
「大佐、エルリック大佐。起きて下さい。昼休みは終わりましたよ。」
軽く揺さぶりながら最初は優しく声をかけてみる。ここは一応二人の職場の軍部内。
自分は中佐で大佐である兄より階級は下だ。普段は公私混同しないよう心がけていた。
でも今日この時ばかりはそうもいかない。さっさと起きてもらわないと。
「兄さーん、にーいーさーん!起きろってば!」
軍部内では使わない言葉使い。ガクガクと乱暴に揺らすと、ようやく兄が薄目を開けた。
だが相当眠かったのか、口の中で何やら意味不明な事を呟いて、そのまま目を閉じそうになる。
「起きろって言ってるだろ!」
目を閉じさせてなるものかと、アルフォンスは強引にエドワードの両目を指で開いた。
「…それってあんまりじゃねえ?」
瞼を開かされたまま、ようやく目覚めたエドワードが不機嫌も露わに言う。
「おはよう兄さん。ボクから言わせてもらうと、あんまりなのは兄さんの方だけどね。」
兄の瞼から手を離すと、エドワードは身を起こして頭をガリガリと掻いた。
「人が気持ちよく眠ってるのを強引に起こしといて、なんで俺があんまりなんだよ。」
口を尖らせながら言い返すエドワード。だけど心なしかその声はいつもの強気な感じが薄い。
エドワードは気付いていた。先程のアルフォンスの声に妙に抑揚がない事を。
これは結構怒っている時のアルフォンスの癖だ。何に対して怒っているかは分からないが。
長い付き合いゆえに、弟が本気で怒った時どれほど恐ろしいかは身を持って知っていた。
理不尽な事をされたのはこっちだとは思うのだけど。下手に刺激するのは得策ではない。
そんな事を考えていたら、アルフォンスがフッと遠くを見るような目線になって、溜息のような息をついた。
「言われる前に気付いてよ。寝ていた場所が問題なんだろ。」
こちらを見ないで明後日の方向を見ながら言う言葉にも刺がある。
大きめな目が細められていて、それが妙に鋭くて迫力があった。
この目で、顔で、真っ正面から見られてたら恐いかもな。
弟の不機嫌の原因が分からないエドワードは、内心少々怯えつつ反論してみる。だってこの場所に何の問題が。
「ここは日当たりも風通しも良いし、絶好の休憩スポットだろ。よくみんな昼寝してるぞ。」
問題があるとは思えん。はっきりと言い切ると、アルフォンスの眉が上がって口元が引きつったのが分かった。
ゆっくりとエドワードを振り返るその顔にはまるで、何言ってるのこの人、と大きく書かれているようだ。
「兄さん、ここは屋外なんだよ。」
「そりゃ当たり前だ、中庭なんだし。」
「…その中庭は、執務室なんかとは違って、軍関係者だけとはいえ人がしょっちゅう通るんだよ。」
「そうだな、通り道でもあるし。ここ突っ切って行った方が、建物通って移動するより近道だもんな。」
「そんな所で寝てたら、襲われたって文句は言えないよね。」
「はぁ!?」
いきなり話が飛んだような気がして、エドワードは思わず大声を上げた。
「襲うって誰が誰をだよ、変な事言うなって。」
ここまで言ってもこの反応。アルフォンスの周りの空気が急激に冷えていく。
「ついこの間、東別館の三階で告白されて花束渡されたの誰だっけ。」
弟の台詞を聞いて、兄がブッと噴き出した。何でそれをお前が知ってるんだ!!
「は、花束は突っ返したし、その場で断ったぞ!!」
「当然です。でもそういうの一度や二度じゃないでしょう。兄さんはモテるんだよ。」
そんな貴方がこんな所で無防備に寝ていたら。変な気を起こす輩が出てこないとも限らない。
「そうじゃなくても、ボク以外の誰かが兄さんの寝顔を見たかもって思うだけでも嫌だよ。」
まだ冷気は消えないが、真摯な表情のアルフォンスに正面から見詰められてエドワードは内心慌てた。
こういう顔をされるのは弱い。凛々しく整った顔が、自分一人をじっと見詰めているのだから。
ドキドキと波打つ鼓動をおさめる為、アルフォンスから視線を逸らそうとした、その時。
「兄さんの寝顔を見て良いのはボクだけだ。」
弟が放った言葉に、エドワードの顔が真っ赤に染まる。
「おまえっ!何恥ずかしい事言ってんだよ!!」
一歩後ずさりながら怒鳴る兄は文句なしに可愛い。ここが職場でなかったら、さっさと押し倒してしまうところだ。
それにしても。照れるのは分かるんだけど、恥ずかしい事って何だよ。
「恥ずかしいってどうして?ボクは本心を言ってるだけだけど。」
だって誰にも見せたくないから。
ボクの腕の中で無防備に眠る姿を愛おしく感じる。
その時の表情とは違ったけど。いや、違うからこそ。
ボク以外の誰かが、まだボクが知らない兄さんの表情を先に見るなんて。そんなのは嫌だ。
「好きな人を独占したいなんて思うのは当然だと思うよ。」
喜怒哀楽の全て、貴方の表情ひとつひとつが愛しくて。自分だけが見ていたい。誰にも見せたくない。
そう思うのは、きっと極自然な事。
「兄さんは違うの?ボクを独占したいとは思わない?」
少し寂しそうに言うアルフォンスを見て、エドワードは合点がいった。
確かに自分が知らないアルの顔を、俺より他の誰かが先に知ったとしたら。
嬉しそうな顔とか、怒った顔とか。辛さや悲しさのひとつひとつ全て。
「俺だって、独占したいと思うよ…。」
思わず考えがポツリと口をついてしまい、エドワードは慌ててアルフォンスを見た。
そこには満面の笑みを浮かべる弟の姿が。
「兄さん、ボク嬉しいよ!」
「おい!お前こんな所で何するんだ!」
喜び勇んで抱き付いてきたアルフォンスを、引き剥がそうとするエドワード。
弟の腕にスッポリ収まってしまう我が身が少々切ない。
暫く無駄な努力をしていたエドワードだったが、観念したのか大人しくアルフォンスの腕の中で大人しくなる。
この心地よい腕の中を、独占したいと思わないヤツなんていないだろ。
それを考えると、自分は何て運が良いのだろうと思う。考える前に伸ばされる腕。いつだって抱き締めてくれる温かい腕。
寄せた頬から伝わる鼓動。その自然なリズムに心から安堵して。
お前がいれば、俺はいつだって幸せなんだ。
「これからは誰にも見せない。俺はお前だけのものだからな。だから俺にもお前を独占させろ。」
抱き締められた腕の中から見上げて言うと、アルフォンスが嬉しそうに笑った。
「知ってたと思うけど。ボクはいつだって貴方のものだよ。」
そのまま降りてきた唇を受け止めて、何度もキスをした。
ここが中庭だったという事をエドワードが思いだして暴れるのは、これから数十秒後の話。