右手が首の後ろへと回り後ろ髪ごと項を掴まれる。導かれるままに口づけを交わしながら、互いの手が相手の衣服の全てを脱がせてゆく。
露わにされてゆく諸肌に、冷たいはずの外気がやけに心地よい。それだけ身体が熱を溜めているという事だろう。先ほどまでの激しい動悸は収束し、今はただ熱さのみが全身を支配していた。 着衣を取り去る過程で辿るしなやかな肢体と滑らかな皮膚の感触を、良守は大切に記憶に焼き付けてゆく。いま兄が、どんな理由で自分に身を任せようとしているのかは分からない。想像していた最悪の事態は避けられそうだったが、この行為のその先に、一体何が生まれるのか。それともこんな事でさえ、兄にとっては瑣末な事なのかもしれない。昔からいつも余裕の仮面を張り付けて本心を悟らせない人間だった。 それでも今は。今だけは兄自身が望んでいるのだと思いたい。 互いの手が下肢まで延びて、そこに欲望の兆しを捉える。にわかに芯を持っているそれに手を添えながら、良守はほっと息を吐いた。 少しは、感じてくれてる。 そんな良守の様子に正守が気配で笑うのを感じた。視線を上げれば、白い面に朱を佩いた艶かしい表情。 「そりゃ、感じるなって方が無理だろ」 「え?……ッく…っ!」 良守に添えられていた兄の手が、明確な意思を持って熱く滾っているものを扱き始める。初めて他人の手に呼び起こされる快感は、強烈な刺激となって良守の制御を振り切ろうとしていた。唇を噛み締めて快感をやり過ごそうとしている良守の耳に、そういえば、と兄のどこか暢気な問いが届いた。 「お前、やり方知ってるの?」 「……知識、だけなら」 「まぁそうだろうな」 呟きと同時に握りこまれたものに更に強い刺激が与えられる。同じ男の身体だ。どこをどうすれば強い刺激が引き起こされるのか分かりきっている。それとも、考えたくはないが経験の差、なのかもしれない。 兄の指や手のひらが的確に良い所を刺激してくる。 良守にとってはひとたまりもなかった。強い射精感に強制的に意識が支配される。 「良守、ちゃんと自分の手で受けろよ」 どこか切羽詰ったような兄の声に、良守は言われるがまま自分の手のひらを欲望にかざした。 「っ……!!」 導かれるまま吐き出された熱い精を左手で受ける。 開放の余韻もないまま、受けた精で汚れている左手を掴まれた。そのまま導かれた先に、良守ははっとして兄を見やる。 「さすがに、濡れてないと入らないよ。お前の手でちゃんと解して」 その言葉に、ごくりと、自分の喉が鳴る音を聞いた。 自分の吐き出した精を足がかりに、兄の体内へと指を伸ばす。その行為の背徳に、しかし沸いて溢れるのは強い期待と歓喜だけ。 粘液を狭い入り口に塗りこめるには出来るだけ入り口を開かなければならない。押し広げながら指を進める度に、下になった兄が息を詰めて耐えているのがわかった。こんなところに異物を挿入されていて辛くないはずがない。それでも身体の力を抜いて協力してくれる兄に愛しさが募る。 一度吐き出して多少余裕が出来たが、良守の若い性器は既に再び力を取り戻していた。兄から零れる熱い吐息と、抑えられた呻き声が色をなして良守を刺激するのだ。けれど反対に力をなくしている兄自身が目に入って、良守は空いている右手で兄のそれを握って刺激を加えてみる。 「く…ぁっ……」 堪えきれなかったらしい吐息が音になって零れてきた。今までの苦痛の吐息とは違う色を持った響きに、先ほど兄にされたように手を動かしてみる。 それは多少兄の苦痛を軽減させる効果があったようで、中で指を締め付けている力が緩むのを感じた。 その隙に更に指を進めるが精液は空気に晒された先から乾いてゆく、このままでは兄が辛いばかりだと、良守は特に躊躇もなく唇を兄の下肢に近づけた。 あらぬ所で感じる弟の吐息に、驚いたのは兄の方で。 「良守…!」 行為自体が初めてのはずの弟の大胆な行動に、思わず静止の口調で名前を呼んでいた。しかしその声にも良守は止まらない。 「この方が乾かねえだろ」 「だからって…っあ…」 なお止めさせようとする兄の声を遮るために、握った右手を動かす。 「黙れよ。解せって言ったのは兄貴なんだから大人しくやらせろ」 精液より唾液の方が乾かないし、制限がない。それに途端に硬度を増した兄自身が、これが快楽を生む行為なのだと良守に教えていた。 こんな事を兄が自分に許すのは、最初で最後のことかもしれないのだ。それならば余す所なく兄を堪能したい。 その思いが良守を更に突き動かす。十分に後ろに潤いを与えて、その矛先を右手の兄自身に変える。 「よし…も……っ」 伸びてきた兄の腕に髪を掴まれた。それでも引き剥がそうとはしない手に、そのまま反り返る性器に唇を寄せる。 舌で感じるのは、熱い程の体温と、滑らかな表皮。舌で感じる脈動が自分の鼓動に重なって、良守は夢中でその滾りを貪った。兄の先端から溢れる、唾液とは違う粘液を絡めては何度も唇で扱き降ろす。 一方、流れ落ちる体液が後ろへ達するその潤いで、体内を蹂躙する指は確実に増えていた。卑猥な音を伴って出入りする指に、中の抵抗はそれ程感じなくなっている。けれどどの程度解せばいいのか、そんな事までは分かるはずもなく、もう一本指を入れてみようかと思った時だった。 「もう…いい…」 髪を掴んだままだった兄の手が、そこから良守を引き剥がす。 上がった目線が、目元を赤く染めた兄の視線と交わった。眦に涙が浮いている。その潤いが漆黒の瞳に輝きを波及させ、艶やかに瞬かせていた。 なんて綺麗なんだ。 呆然と見蕩れる弟に、正守が更に言葉を続ける。 「指、抜いて」 紅い口唇が紡ぐ言葉に、逆らう気は起きなかった。柔らかな体内からそっと指を後退させる。 異物の排出される感覚を目を閉じてやり過ごす兄のその表情に、痛いほどに反り返って主張している自分の欲を思い出した。 指に残る兄の体内の柔らかさが、良守を焦燥に駆り立てる。 自分の滾りに手を添えてさっきまで指が入っていた後肛に押し当てるが、さすがに指とは質量が違うせいでなかなか先へ進まない。 先端を押し包まれる感覚に、強引に中へ入りたい欲求が生まれるが必死にそれを自制する。より辛いのは受け入れている兄の方のはずなのだ。 ゆっくりと飲み込んでゆく自身を押し包む内壁に、ゾクゾクと背筋を快感が這い上がる。 突き入れる性器で感じる兄の体内の熱に、良守は痛いほどの幸福を感じた。 経験のない快楽に半ば思考の全てを支配されていた良守の身体が、最早反射と言ってもいい感覚に緊張を漲らせた。 快楽の波にのまれていても、長年の守人としての感が守護すべき土地に侵入した異物を察知する。それはごく微細な妖気で、烏森にいてさえも曖昧微弱で特定が難しい。 動きの止まった良守の首に、正守の腕が絡みつく。 「よそ見、するなよ」 掠れた声音が行為を促すように良守の鼓膜を震わす。 自分だって妖気を捕捉しただろうに、この平然とした態度はなんなのか。 「妖が…」 いつもなら妖気を感じた時点で戦闘モードに切り替わる意識が、今は快楽に引き摺られて巧くコントロールできない。身体は絶頂寸前なうえ、身を一つにしている相手は長年焦れてやまなかった人なのだ。 思ってもいない時間帯の、思ってもいなかった侵入に戸惑いを拭えない。 「大丈夫だよ」 身体の下からの声に、良守が怪訝な顔をして組み敷いた兄を見やる。 「兄貴?」 「大丈夫だから、良守。今は俺だけを見てろよ」 微かに苛立つ口調と、埋めた熱を煽る体内の動きに、いまだ熱を持つ自身を刺激されて感覚が一気に引き戻される。 良守は大丈夫だという兄の言葉に今は全てを委ねることにして、行為に集中する事にした。何よりも、いま止められたら気が狂う。 憂いは去らないが、兄が大丈夫だというのならその根拠を把握しているはずで、それならば諸々含めて後で吐いてもらおうと、誘う動きに収縮する肉を思い切り貫く。 「ぅ…あぁ…っ!」 どんな理由があったとしても、今のこの状況を逃すことは本意ではない。何と引き換えにしてもいい、それだけの覚悟で、手に入れようと望んだのだ。 首に回ったままの兄の腕を更に引き寄せて唇を触れ合わせる。重なり合った瞬間で開かれた口唇を、喘ぎごと塞いで舌を絡ませ合う。 身を穿つ角度が変って、強く抱き締める身体が明らかに反応を変えた一点を集中して責めながら、甘い舌を吸い上げた。混ざり合う体液の甘さはどれほど搾取しようがその濃度を増すばかりで、終りのない快楽に気が触れそうになる。 このまま時が止まればいい。自分と兄を繋いだまま、世界が終ればいい。 そんな狂気の想いと共に、良守は正守の体内へ欲望を迸らせた。 けれど、ほぼ同時に兄の吐き出した精が腹を熱く覆う感触に、幸福の時間が終った事を悟る。 体内に穿ったままの性器は、欲を吐き出してもまだ硬度を保ったままで、それが良守に苦笑を零させた。それでも、このままでいることは出来ないし、何よりさっき感じた妖気が見逃すことが出来ないほど育ってしまっていた。 荒い息を吐きながら身を引こうとした時だった。 「動くなよ」 同じように荒い息をしている正守が下腹に力を込めて良守を引き止めた。敏感になっている体内に自ら再び快楽を灯す行為に、思わずといった態で閉じられた瞼が震えている。その色香に、埋め込んだままの自身がさらに膨張するのを良守は止められなかった。 吐き出した体液で、いまやぐずぐずに解れた内壁が良守の理性を再び侵食し始める。けれどそれを何とか制して良守は兄に口を開いた。 「言えよ。何か隠してるだろ」 返答如何によっては行動を考える。そう言いたそうな良守の言葉に、正守は観念して口を開いた。 「そろそろ、いいかな」 どこか遠くを見据えるような視線で呟かれた言葉に、意味の分からない良守は苛立って乱暴に正守の中を突く。 「うあぁ…っ、ちょ…、待てって!」 「意味分かるように言えよ」 そう言いながらも、良守にも烏森から妖気が消えたことが分かった。 力を欲して烏森へやってくる妖は、大抵そのまま増大する力に溺れて暴走する事になる。低位の妖ほどそれを制御する力も知力もない為、自滅するか良守達守護者に狩られるかの一途をたどるが、中位から高位の妖になると妖力を補填する為だけに烏森へ訪れる妖もいた。そういった妖は用がすめば自分から烏森を出て行くのだが、先程の微弱な妖気からその可能性は低いと捕える。 答えを求めて再び兄を見下ろすと、どこか感慨深げな様子で良守を見ていた瞳とぶつかった。 「…何だよ」 弟のぶっきらぼうな言葉に、正守は一つ苦笑を零すと、真面目な眼差しで口を開いた。 「よしの、だよ」 兄の口から出た、思ってもいなかった人物の名前に、良守は一瞬呆ける。 「彼女の胎には、妖の子が宿っている。臨月はとうに過ぎているのに、胎の子は外へ出る気配も見せない。このままでは母体が持たないんだ。だから、連れてきたんだよ」 「な、んだよ。それ」 動揺のあまりまともな言葉が出ない。 「身体を構成する為の栄養は母親からもらえても、妖力が満たなければ成熟する事が出来ない。さすがに人間の母親からは妖力はもらえないだろ」 「まさか…」 「お前本当に気付かなかったのか?家に連れてきた時は胎も目立ってなかったはずだ。それが一月のうちにどれだけ大きくなったと思う?」 そう言われてみれば、と思う。 彼女の胎はどんどん大きくなってきていて、けれど兄の子を宿してると思っていた良守にはその事が辛いばかりだったのだ。深く考える事もせずになるべく顔も合わさず、考える事もしなかった。そもそも、母が弟を身籠っていた頃のことだって記憶にも曖昧で、それが不自然な事だということにさえ気付けなかったのだ。 「本来は、半妖を身籠っている人間を発見したら連行しなきゃいけないんだけどね」 「はあ?…裏会にってことか?何でだ?」 「危険だからだよ。半妖は生まれがらに純粋な人型だ。その能力も半端ないのに、大抵の場合は妖と人間の間で狂気に狂う。まあその前に、滅多に生まれる事はないんだけどね」 半妖は、まず生まれてくることが稀。妖力が足りずに母体もろとも死ぬ事が多い。その前に、妖の子供を身籠って正気を保てる人間が少ないこともある。望んで妖の子供を身籠る人間はそうそういないのだという。 「それなら、よしのさんは…」 望まぬ子供を身籠って、それでも産もうと思っているのだろうか。それとも 「なあ、良守。愛する事に禁忌があると、お前は思うか?彼女が妖を愛したのは間違いだと、そう言い切れるものが俺の中にはないんだ」 見上げて来る正守の視線が、自嘲を含んで問いかけてくる。 人を愛するという行為に、果たして禁忌を付けられるのか。愛した者が人外だったとして、それだけで全てを否定出来るのか。否定しても、いいのか 難しい事など分からない。けれど、それが例え周囲に受け入れられない関係なのだとしても…。 「それを俺に聞くか?貫けばいいじゃねえか。禁忌だろうが何だろうが、好きなものはしょうがねえだろ。俺は、諦めるつもりは毛頭ないからな」 その言葉に、正守が心底楽しそうな笑みを浮かべる。クスクス笑うその微動が、中に埋め込んだままの良守を快楽の入り口へと誘い込む。今度は欲望を抑える事をせずに、良守は再び溶け合う為に身体を動かし始めた。突き上げて、揺さぶって、抉り、穿つ。それでもけして一つにはなれないのが悔しい。 「言った…だろ、禁忌は、ない。だけど…、っあぁ!」 艶に濡れた声音が言葉を紡ぐ。言葉の端に滲む切ない吐息と喘ぎが、かつてない興奮を身体に呼び起こさせた。 「お前まで…、この狂気につき合わせる気は、なかったんだ」 一度目より柔らかくなった内壁が、穿たれる楔に快楽を引き出されて痙攣するように奥へと良守を咥えこむ。その強烈な快感に達するのを我慢して、良守は兄の黒瞳と目を合わせた。 快楽と熱に潤む眼差しは、組み敷かれ身を穿たれていてもなお強さと輝きを失わない。涼やかな目元をくしゃりと歪ませて、泣き笑いの様相で兄が口にした言葉を、良守は生涯忘れないだろう。 「愛してるよ、良守。ずっと、お前だけが俺の全てだったんだ」 心に染み入るように、その言葉に全身が支配された。 痺れたように思考が止まった脳が正守のその言葉を胸に刻む前に、良守の双眸から涙が溢れる。 「ほんと、に?」 「愛してない相手に身体を開く趣味は、さすがにないよ」 優しく涙を拭う手に、左手を重ねる。口元に引き寄せて掌に口づけを落としながら、良守は狂気で崩壊していた世界が急速に癒されていくのを感じていた 後日談。 その後、烏森で増幅した妖力のお蔭で無事に出産できるまで成長した胎児を抱え、よしのは妖の元へ帰っていった。 事が露見してみれば知らなかったのは良守だけで、自分以外の家族は日に日に膨れる彼女の胎に大体の事情を察していたのだという。 ようするに。 「結局、俺はお前にハメられたって事だろ」 自分だけ暴走して、俺ってバカみたいじゃねぇかと、良守は大層不満声で携帯越しの正守に文句をぶつける。 『そう怒るなよ。お前から触れてこない以上、俺にはどうすることも出来なかったんだ』 今回の一件がなければこんな関係になる事はなかったと、暗に示唆するその言葉に良守は唇を噛み締めた。 兄のその余裕が憎らしい。 電話越しとはいえ弟の考えが読める正守が、声音を和らげて囁く。 『それでも、お前から手を伸ばした限り、俺はもうお前を手放す気はないからな』 鼓膜を震わす甘さを含んだ低い囁きに、良守は数日前の情事を思い出して一人赤面した。それを見られているわけでもないのに、慌てた思考が勝手に大きな声を出して宣言を放っていた。 「お前こそ、覚悟しろよな。俺から逃げられると思うなよ!」 瞬間、携帯越しに弾けた笑い声に良守はますます憮然な顔をしたが、それも一瞬で笑顔に転じた。 身を焦がすどころか、焼き尽くすような恋情はきっと、永続的に身の内に抱えるべきものなのだと、そう思っていた。 世界を壊すもの創造するのも、全てはあなた次第。 今、ひび割れた深層から溢れ出すのは、世界を砕く狂気ではなく、世界を狂わす、尽きる事ないあなたへの想い。 |