世界に崩壊があるとすれば、その始まりはきっと、平穏な日常の何気ない場面をきっかけに始まるのだ。 その最初の綻びは深層の暗闇を食い破り、じわりじわりとその侵食を広げ、腐食し、終には表層にまでその食指を伸ばす。 けれどその最後の最後、理性という名の薄い皮膜に邪魔をされて表に出る事が出来ない状態にいたのだろう。 皮膜に傷ができる僅かな機会を虎視眈々と狙っていたに違いなく、今にして思えば、弟のその言葉を待っていたのだと、はっきり分かる。 きっかけは、その日、久方ぶりに帰省した長兄が連れて帰って来た、着物姿も儚げな美女。 「正兄、結婚するのかな?」 はたして、世界の崩壊はそんな弟の何気ない一言で完成を得た。 兄が帰ってくるからと早くから夕飯の支度を始めた父が、お客様も一緒みたいだよ、と嬉しげな様子で言ってきた時には、客の性別をおしはかるなど考えもつかなかった。 程なくして玄関が開いて、外から姿を現したのは数ヶ月ぶりに顔を見る兄と、見事な大島に身を包んだ、透けるように白い肌と澄んだ黒曜の瞳を持つ、うつくしい女。 二人で玄関に立つ姿を視界に入れた途端全身を走り抜けた戦慄は、衝撃が去った今も変わらず身体の至る所に潜んでいる。 正兄お帰りなさい!弾んだ声で弟が長兄を迎える後ろで、目を見開いている自分に視線を合わせる事もせず、長兄はさっさと履物を脱いで框に昇ると背後の女を振り返った。家に上がるのを手を添えて助け、そのまま連れだって祖父の部屋へ消えて行く。 その背中からは、いつもの事ながら何も伺えなかった。 それでも自分と兄の仲は、一時期よりもだいぶ改善されたと思う。疎まれ、あるいは憎まれてるとさえ思っていた時期は過ぎ、今ではそれが自分の一方的な被害妄想だったことを理解している。確執が全くなかったわけではないのだろう。それでも、ある過去の一件を境に自分達は急速に近づいた。その時に自覚した想いは、それ以降徐々に蓄積し、確固たる答えをこの胸に落とした。 あれから四年。胸に兄への恋慕を抱き続けている。 奥底で眠っていた綻びは、四年を経てまどろみから覚醒まで至った。 兄の声を聞く度、姿を見る度、視線を交わす度に、揺れる理性と攻防を繰り返し、既に表皮のギリギリまで及んでいた綻びは、弟の何気ない一言でついに薄皮を食い破ったのだ |