宝物








「にーた!」

「違うよソフィア。この人はパパ。パーパだよ、言ってごらん。」

「たーあ?」

不思議そうに小首を傾げる幼い赤ん坊。

その子に真剣な顔で言葉を教えているのは、まだ少女と言った方がいいような女性。

先程から似たような会話を繰り返す二人を見ながら、男は飲んでいた紅茶をテーブルに置く。

そして絨毯に座り込んでいた赤ん坊ー、愛娘であるソフィアを横から抱え上げた。


「アル。ソフィアにはまだそんな区別は無理だよ。別にいいだろ、「にーた」でも。」

そのうち覚えるさ、と夫であるエドワードに笑いながら言われて、その妻アルフィーネは小さく溜息をつく。


「それはそうなんだけどね。あ〜あ、ソフィアが覚えちゃう前に、ちゃんと呼び方変えとくんだった。」

考えてみれば当たり前の事だったんだけど、両親がお互いを呼ぶのを子供が覚えちゃうなんて。



二人の娘であるソフィアが初めて話した言葉、それは「にーた」だった。次に覚えたのが「アル」。

前世でエドワードの弟だったアルフィーネは、再会してからも当時のまま彼を「兄さん」と呼んでいた。

そしてエドワードもアルフィーネとしてもだが、アルフィーネが弟だった頃の愛称のままに彼女を「アル」と呼ぶ。

それをソフィアは覚えてしまったのだ。舌足らずに「兄さん」を「にーた」、「アル」はそのままで。


「そう言うけどさ、お前オレを「パパ」とか呼ぶ気か?それとも名前で?」

少し落ち込んだ様子のアルフィーネに、エドワードが問いかける。

オレはどっちでも良いけど、と少々意地悪げな笑みを浮かべるエドワードの言葉に、アルフィーネが言葉を詰まらせた。


「・・・・・どっちも呼べない・・・。」

だって兄の弟として生まれてからと、記憶を全て取り戻してからこっち、ずっと「兄さん」と呼んできたのだ。

今更別の呼び名だなんて、その、気恥ずかしくって。

その様子を想像したのだろうか。うわあ、と小さく声を上げて絨毯に座り込んだままソファに突っ伏すアルフィーネ。

それの頭をポンポンと叩きながらエドワードは笑って言った。


「ちゃんとオレだって分かって「にーた」って呼んでるんだし構わないさ。なぁ?」

「きゃーあ!」

抱えたソフィアの顔を覗き込む。おでこをくっつけると、可愛らしい歓声が上がる。

その声にアルフィーネが顔を上げた。頬が少し赤く染まっている。エドワードはアルフィーネの髪を梳いてやった。

固い感触とは裏腹の優しい動きに、自然と体から力が抜けていく。

この人の手は、容易くこの体を溶かしてしまう。

自分やソフィアに触れる時、兄は出来るだけ左手で触れる。今ソフィアを支えているのも左手だ。

何気ないような自然な仕草の中に、兄の優しさは溢れている。



冷たくて硬質な、でも大切なこの人をずっと支えてくれた大事な鋼の手足。

その膝に座り楽しそうにはしゃいでいる愛しい我が子。

こんな幸せがやってくるなんて思わなかった。

日々の些細な、当たり前の幸せがこんなにも愛おしい。

ソフィアは健やかに成長している。

何度か突発的な熱を出したり、子供特有の痙攣を起こして慌てた事もあったけど、幸いうちには頼もしい主治医もいた。

みんなに見守られて愛されて。この子はきっと誰よりも幸せになれる。


ー幸せにしてみせる。



手を伸ばし、頭を撫でてくれている手を掴まえた。その手にそっと唇を寄せる。

固くても冷たくても良いんだ。それが兄さんであるならば。

こうして触れていてくれるだけでどれだけ安らげるのか。きっと貴方にだって分からない。

時々泣きたくなるくらいに幸せなんだって、どれだけ伝えようとしたって伝えきれない。

今あるこの幸福全て、貴方がくれた大切な宝物。


「ありがとうね、大好き。」

突然の感謝の言葉に不思議そうにしながら、大好きと言われて少し照れるエドワード。

子供も生まれたのに時々ウブなその人に微笑みながら、アルフィーネはもう一度固い右手にキスをした。



















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