未来
「ねえ、ママ。ママはどうしてパパと結婚したの?」
ナッツクッキーを頬張りながら訊ねるソフィアの、その唐突な言葉にアルフィーネは一瞬言葉を詰まらせた。
「どうしたのソフィア。いきなりそんな事聞くなんて。」
逆に訊ねられて、慌ててソフィアは口の中のクッキーをアップルティーで流す。
「うーんとね。今日学校に行ったらローリーが溜息ついててね。どうしたのって聞いたらローリーのパパとママが喧嘩したんだって。」
「ローリーの…、ああ、ボブとヘレンの喧嘩なんていつもの事だし、あそこは仲が良いから喧嘩するんだよ。」
「うん、ローリーもその点は心配してなかったの。でも喧嘩の時、ローリーのママが言ったんだって。
『私ったらどうしてあんたと結婚しちゃったのかしら。他にも言い寄ってくる男はいたのに!』って。
そしたらボブおじさんがもっと怒っちゃって、それからが大変だったみたい。」
娘の言葉にアルフィーネはがっくりと肩を落とした。ヘレンったら…。子供の前でなんて喧嘩してるんだよ。
脱力する母親に、ソフィアは言葉を続けた。
「それでローリーがね、『ソフィアの両親は喧嘩なんてしないんでしょう。』って言ってね。
パパは格好いいし、ママは若くて可愛いし、いっつも仲が良くて良いねって。」
随分と褒められている。う〜ん、これはローリーにありがとうと言うべきなんだろうか。
「でもうちだって口喧嘩とかは時々やってると思うけど。」
「私もそう言ったんだけど、ローリーの家のはそんなレベルじゃないんだって。家の中をお皿が飛ぶって言ってた。」
「お皿…、それは危ないね…。」
投げてるのは主にヘレンなんだろうな、とアルフィーネは思った。ボブは何だかんだ言って奥さんに弱い。
うちも昔は取っ組み合いの喧嘩をしてたんだけどなぁ。いつも二人して怪我してた。
とはいえそれはまあ、アルフィーネがエドワードの弟だった頃の話だが。
でもそういえば、再会してからはそういう喧嘩はしていない。
弟時代と今の体では、単純に喧嘩にならないというのもある。
記憶が断片的に戻り初めた頃から、多少自分なりに体を鍛えたりもした。でもそれはあくまで自己流のものだ。
あの後軍に正式に入り、鍛錬を続けたエドワードとはレベルが違う。体の作りの違いもあって、もう自分では相手になりようがない。
でも大きな喧嘩をしなかったのは、そういう事だけが理由じゃなくて。
再会してからのエドワードはとても穏やかだったから。それは単に年を重ねただけの穏やかさではなく。
たくさんの苦しみと悲しみを抱え続けた人の、ある種悟りのような穏やかさだった。
ボクが死んだ後の兄さんの事は大体聞いている。その頃の兄さんの事を思うと、いつも胸が苦しくなる。
どれだけ悲しませてしまったんだろう。どれだけの苦しみだったんだろう。
あの時のボクはああするしかなかった。後悔はしていないけど、それが本当に正しかったのかどうかは今も分からない。
今が幸せだからって、それまで兄が苦しみ続けた事実が消えた訳ではないのだから。
「ーママ?」
不思議そうに顔を覗き込んで自分を呼ぶ。その娘の声でハッと我に返る。
「ごめんね、ちょっとボーっとしちゃった。でもその喧嘩の話と、パパとママがどうして結婚したのかって話は繋がってるの?」
「ここからなのよママ。それからパパとママの結婚前の話になったの。二人とも凄くモテてたんでしょ?」
モテてたのにお互いに決めた理由って何だったんだろうねって、ローリーが興味があったみたいで。
ニコニコと罪のない笑顔で聞かれて、アルフィーネは思わず苦笑した。
ソフィアはどうも悪意がないというか、人を和やかにする能力を持っているらしく、つい絆されてしまうような所がある。
天使みたいな子、とウィンリィが言っていた。容姿だけじゃない。雰囲気が柔らかく、人から毒気を抜いてしまう。
こうも無邪気に聞かれると、はぐらかしたくなるような質問にも答えなくちゃいけない気になるのは困りものだ。
「う〜ん。パパはモテてたと思うよ?この村じゃ適齢期の独身の男性って少なかったし、見た目も良かったから。」
でもママは別にモテてなかったけどな、と呟くアルフィーネにソフィアは思いっきり頭を振った。
「だってママがこの村にやって来た時、凄い美少女がやってきたって騒ぎになったんだって聞いた事あるわ。」
一度じゃないの、何度もよと真面目な顔で言われて、アルフィーネは言葉に困った。
凄い美少女…。自分に言われてると思うと違和感が拭えない。
以前からアルフォンスとしての前世を思いだしている自分には、「少女」という言葉はどうにもそぐわないと感じていた。
ましてや「美少女」なんて単語、自分に関わる言葉だなんて思えない。
もちろん生まれてこの方女性として生きてきた事実もあるし意識もある。でもそれとは別の感覚的な次元の話だ。
「モテてたかは分からないけど…、どうして結婚したのか、だったら言える事はひとつだけかな。」
「ひとつだけ?」
「ママにはパパしかいなかったんだ。ずっと前から。」
「ずっと?ママがこの村に来たのは15歳の時だったって聞いてるけど、その頃って事?」
「ううん、それよりももっと前だよ。ママはずーっとパパが好きだったの。だから結婚しようって言われて本当に嬉しかった。」
ちょっと目を伏せて、その頃を想いだしたように微笑んだアルフィーネの笑顔は、娘のソフィアから見ても美しかった。
時々ママはこんな顔をする。私に笑ってくれる時とも、ウィンリィ達に向ける笑顔とも違う顔。ーパパに関する事でだけ見せる顔。
「色々と不思議な話だから、ソフィアが大きくなったらお話してあげる。」
「えー、今聞きたい。」
「駄ー目。そうだね、ソフィアがお嫁さんに行く時にしようかな。大切な人が出来た時にお話するよ。」
「いやよ、そんなのずっと先だもの。」
「先じゃないよ、アッという間だよ。ソフィアはどんな人を好きになるのかな。楽しみだね。」
嬉しそうに頭を撫でられて、ソフィアはそれ以上聞けなくなってしまった。
意外と頑固な所がある母がこういう以上、絶対教えてはくれないだろう。これは今聞かない方が良いという事なんだ。
「…私にも好きな人が出来るのかな。ママがパパを好きになったみたいに。」
呟くソフィアにアルフィーネは微笑みながら言った。
「出会えるよ。ソフィアと強い絆で結ばれた人にきっと出会える。パパとママが再び出会えたように。」
再び?そんな疑問がソフィアの頭を過ぎったけれど、それは口には出さなかった。
いつか話してくれるのだろうから、それを楽しみにしていればいい。
ソフィアの両親は16歳も年が離れている。
だけどエドワードは年よりもいつも若くみられる。鍛えられてて弛んだところがないし、親父体型じゃないとはローリーの言葉だ。
一方のアルフィーネも、とても11歳の娘がいるようには見えない。
若くしてソフィアを生んだから実年齢だって若いが、初対面の人なら20歳と言ったって信じるだろう。
二人とも若く見えるなら、実際に離れている年齢分年の差を感じても当たり前なのに。不思議と二人が並ぶとしっくりとくる。
似ているなとソフィアは思う。
難しい事は分からないけど、空気というかカラーとでもいうのだろうか。両親は纏う雰囲気がとても似ている。
横にいるのが当たり前のような、二人がいると空間がまったく違和感なく混ざり合う。
お似合いの二人だと良く言われるのは容姿の事だけじゃなくて、多分そういう事からなんじゃないのかな。
仲も良く、お互いを尊敬して大切にして。両親はソフィアにとって理想であり自慢だ。
その二人には何か不思議な内緒話があるらしい。
その秘密を分けてもらえる日が、今からとても待ち遠しい。
変わらず頭を撫で続ける手の感触は優しくて、おやつを食べて満腹だったソフィアの眠気を誘う。
うつらうつらと目を閉じ始めた彼女の耳に、でもソフィアが彼氏を連れてきたらパパが怒り狂うかもね。
というアルフィーネの楽しそうな声が聞こえた。