言霊の呪縛












「もうすぐお前の誕生日だな。」

読んでいた本から顔をあげて、兄が唐突に言った。

「そういえばそうだね、忘れてた。」

カレンダーを見ながら確認する。誕生日まであと2週間という所だ。

「忘れるなよ。生身の体に戻れて、初めての誕生日だぞ。」

「だってこのしばらく、毎日が目まぐるしくてさ。あっという間だったんだもん。」

目的を果たし、旅を終わらせてセントラルで暮らし始めて。

穏やかだけど楽しすぎたせいかな。時間が過ぎるのがとても早く感じる。


「誕生日に何か欲しい物はあるか。何でも用意してやるから言ってみろよ。」

「ええ?欲しい物なんてないよ。普段から兄さん何でも買ってくれるじゃない。」

それはもう、ぽつりとあれ良いな、とか口にしようものなら何でも。困ってしまうくらいに。


「それとこれとは別だよ。欲しい物がないなら旅行とかさ、何かしてみたいとか、願い事のひとつくらいあるだろ?」

「願い事ねぇ…。」

そりゃ以前と違って純粋な観光目的の旅行というのもしてみたい気もするけど。

今特にここに行きたい!なんて思う場所はないなぁ。

「あっ、願い事ならひとつあったかも。」

「お、何だ何だ。兄ちゃんに言ってみろ。」

前からちょっと思っていた事があった。それも兄さんにしか叶えられない事だ。

喜々としてボクの顔を覗き込む兄の姿に、頼んでみたい気半分、気恥ずかしい気持ち半分になる。


「…誕生日のお祝いなんでしょ?当日頼むから。」

「何でだ、それじゃ準備が出来ないじゃないか。今言えよ。」

「準備のいる事じゃないから。物とかじゃないし。」

ボクの言葉に兄さんが怪訝そうな顔をした。考えるように首を捻っている。

「物じゃなくて当日で間に合うのか?」

「充分に。」

「そんなのかえって気になるじゃないか。教えろって。」

なーなーなーなー、と子供みたいに腕を掴んで揺さぶられて溜息をついた。

解らない事をそのまま置いといて答えは後日、なんて我慢が出来る人じゃなかったよねそういえば。

くらりと軽く眩暈がするのは、揺さぶられているせいだけじゃない気がする。

う〜ん、仕方ないかなぁ。ボクは意を決して言ってみる事にした。


「あのね、ボク一度、兄さんを名前で呼んでみたい。」

「なんだ、そんな事で良いのか。」

よっぽど意外だったのだろうか。兄は呆れたように目を丸くした。

「だってボク、今まで一度も呼んだ事ないんだもの。」

「それだったら、わざわざ断らなくても好きな時に呼んだら良いだろ。」

「そうはいかないよ、兄さんは兄さんだし。」

「そんなのいいから、誕生日とか関係なしにいつでも呼べよ。何だったら今からどうだ。」

誕生日のプレゼントの話だったのにな。今から呼べだって。

でも兄がそう言ってくれるなら、気兼ねしないで呼べそうだ。アルフォンスはよしっ、と気合いを入れた。



「…エドワード。」

「…っ!!」

呼んだ瞬間、エドワードが吃驚したように目を見開いた。そのままくるりと背を向けてしまう。

「兄さん?どうしたの。」

不思議に思って近寄ると、兄の耳が真っ赤になっているのに気付いた。もしかして…。

「兄さん、ひょっとして照れてる…?」

背中から声をかけたら、兄の体がビクッと動いた。服から見える耳と首筋は間違えようもなく真っ赤に染まっている。

顔を見ようと覗き込んだら、思いっきり体を反らされて見る事が出来ない。その仕草に思わず盛大に吹き出してしまう。

「に、兄さんってば!自分で名前で呼んで良いって言ったのに、言った本人がそんなに照れるなんて…っ!!」

笑いすぎて苦しくて、お腹を押さえながら笑い続けるボクを、兄がまだ振り返らずに焦ったように怒鳴る。

「仕方ないだろ!!まさかこんなに恥ずかしいものとは思わなかったんだよっ!!」

名前でなんて、たくさん呼ばれ慣れてるはずだ。アル以外の親しい人は、大抵エドかエドワードと呼ぶのだから。

なのに何故、アルフォンスが呼ぶと全然違って聞こえるのだろう。

それは決して嫌な感じではなく、むしろ心地よい感じのするものだったが。

とにかく堪らなく恥ずかしくてどうしようもない。

背中を向けたまま体中から湯気が出そうな勢いで赤くなっている兄に、アルフォンスの悪戯心が疼く。

にんまりと笑うと、兄の頭近くでそっと名前を呼んでみた。


「エドワード…?」

笑いたいのを堪えながら、そっと囁きかけるとピクリと兄の体が揺れる。

「エド、エドワード。ねぇ、返事してくれないの?」

「待て、お前楽しんでるだろ!!」

「えー、そんな事ないよぉ。エドったら酷いなぁ。」

「もう止めろって。心臓に悪いんだよっ!」

エドワードは赤い顔のままアルフォンスに向き直ると、笑い続ける妹の頬を軽く抓った。

「いひゃい、いひゃいよひいさん。」

抓られながらもアルフォンスは笑っている。それがあんまり楽しそうだから、エドワードも怒る気も失せて肩を竦めた。


「まあ…な。名前を呼ぶのは時々って事にしてくれ。」

「…心臓に悪いんでしょ。時々でも呼んで良いの?」

「嫌なわけじゃないからな。ただ、思ったより威力がありすぎたから、慣れるまでは手加減してくれ。」

照れているのを隠すように憮然とする兄が何だか可愛く見える。

もう大人になった兄さんに可愛いだなんて、口にしたら怒るなんてもんじゃないだろうな。

「わかった、手加減だね。ボクも兄さんの心臓止まったら嫌だし、その辺はちゃんと配慮するから。」

クスクスと笑い続ける妹を胡散臭そうに見ていたエドワード。だが今までのやり取りに、ふと記憶を刺激されるものがあった。

あー、そう言えば。あんまり昔すぎて忘れてたが。


「今思い出したけどな。実はお前、昔オレを名前で呼んでた事あるんだよ。」

「えっ、嘘だぁ!ボクずっと「兄さん」だったじゃない。小さい頃は「兄ちゃん」って呼んでたけど。」

でも名前で呼んだ事なんてなかったはず。そしたら兄さんがボクの顔を見てニヤリと笑った。

「お前が喋り初めた頃さ、オレの事「エド」って呼んでたんだ。母さんがそう呼んでたせいかな。」

「へ…。」

喋り初めた頃って、1歳とかその辺?そんなの覚えてるはずがない。

「最初エドって呼ばれた時は、アルが喋った事は嬉しかったけど「お兄ちゃん」って呼んでもらえなかったのが悲しくてさ。

 それから必死に「兄ちゃん」って呼ぶよう教え込んだんだぞ。あの時は大変だった。」

「う…、覚えてない…。」

「当たり前だ。まだアルが1歳かそこらだった頃だし。」

真剣に思い出そうとするアルフォンスの様子が微笑ましい。そんな妹にエドワードは笑いかけた。


「でも、呼ばれるのって良いよな。」

エドワードの唐突な言葉にアルフォンスはキョトンと首を傾げる。

「名前でも「兄さん」でもさ。名前なんて他のやつからも沢山呼ばれてるけど、アルのだけ特別なんだ。すげー嬉しくなる。」

一瞬驚いたアルフォンスだったが、次の瞬間少しはにかむように微笑んだ。

「そうだね、ボクも兄さんに呼ばれるの、好きだよ。」

誰に呼ばれるより、兄さんに呼んでもらう「アルフォンス」という名前。それが一番心に響く。

名前って不思議だ。ボクの意志でつけられたものではないのに、ボクを一番表す言葉。

魂をこの体に縛り付ける言霊のようだ。その瞬間、アルフォンスは自分の思考に唐突に納得した。



ああそうか。名前って、鎧にボクの魂を定着させる為の血印と同じなんだ。

だからこそ名を呼ばれると、呪縛されるくらいの強さで惹き付けられる。それが兄さんだったら尚のこと。

アルフォンスの顔に、自然と笑みが浮かんだ。全てを許すような自愛に満ちた微笑みだった。

「…いっぱいいっぱい名前を呼んでね。ボクが兄さんの側にいられるように。」

そう言うと、アルフォンスは思いっきり兄へと抱き付いた。











何度でも何度でも、ボクは貴方に呪縛されていく。離れられないように。

繰り返し名前を呼ばれる度、ボクの魂は貴方に惹き付けられるように再構築されていく。

貴方だけがボクを縛る。この世界に、抗えない強さでもって。


だからもっとボクの名を呼んで。貴方の名前を呼ばせて。

ボクを貴方の元へ縛り付けて、貴方をボクに縛り付けたい。

明日は1回、明後日は2回。慣れない貴方のために、少しずつ回数を増やして呼んでみよう。



ボクが貴方の特別な存在なのだと、いつだって実感していたいから。





























100001のキリバンリクエスト。ご申告はふゆさとさん

リク内容は
・アルフォンスに ”兄さん” でなくて名前で、エドを呼んで欲しい
・単純に「恋人」として呼びかけて貰いたいな、と。初めてだと尚嬉しい
との事でした。

一応名前呼びはクリア。恋人も大丈夫でしょうか。
初めてではなくなりましたが、アルは覚えてないし。何とか許容範囲…?

にしてもかなり甘い話になってしまった気がします。
みなさまがパソの前で砂糖吐いてないか心配です。(笑)

ふゆさとさん、色々と感想等ありがとうございました!!
お待たせしましたが、どうぞお受け取り下さいませv


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