この想いを言葉にする術を、ボクらは知らない。
かけがえのない存在
仄かに照らすカーテン越しの朝日を浴びて、アルフォンスの意識がゆるゆると覚醒する。
今いったい何時なんだろう…。外がまだ薄暗いから、起きるには早そうなんだけど。
時間を確認しようとして、ベッドの正面にかけてあるはずの時計がないことに気付く。
そしてアルフォンスが頭を動かした途端、傍らの体温が身動きした。
…そっか、ボクの部屋じゃないんだっけ。
朝目覚めることに違和感すらなくなってきた兄の部屋。ここには時計がない。
研究でも何でも熱中すると時間を忘れる兄にとって、時計は必要のないものだった。
できるだけそっと体を動かし、隣で眠る人の横顔を見る。
罪のない寝顔でぐっすりと眠る兄の姿に、ふっと体の力が抜ける。
兄とこういうことになって、最近ではこの部屋で過ごす時間が格段に増えている。
ベッドも元々はセミダブルだったものを、錬成してダブルに作り直した。
(もちろん錬成したのはボクだ。自分も眠るベッドのデザインを兄には任せられない)
いっそボクの部屋は潰して、二つ目の書庫にしようかと思っているぐらいなのだけど。
それとも実験室にでもしようかな。試薬とか、ちゃんと管理しやすいように。
別々の部屋にいる時間がどんどんなくなって、今ではボクらにプライベートと言える時間はない。
旅をしていた頃ならそれは当然の事だった。でもあの頃とはもう違うのに。
常に一緒に過ごすそれが良いことなのかと問われれば、何も答えられないけれど。
でも今のボクならきっと問い返すと思う。それは悪いことなのかと。
お互いを縛り合うこと、それを望み、許すこと。ただ一人に依存し続けることは、いけないことなの?
だけどたとえそれは駄目なことなのだと誰かが言ったとしても。ボクはもうその言葉を受け入れられない。
この人の温もりを知ってしまった今となっては。
生まれた時から傍にいて。誰よりも、母さんよりも近い存在だった。
もう一度触れたいのだと、他の誰でもなく兄さんにもう一度触れたいのだと思ったのはいつからだったか。
自分の本当の気持ちさえ自覚していなかったあの頃から。ボクの望みはただひとつ。
あなたに触れ、あなたの温もりをこの体で感じること。それが今こうして叶っている。
この目も眩むような幸福を知った後で、手放すことなどできるはずがない。
好きとか愛しているとか、それだけではボクの中の兄さんは表現しきれない。
大切で、何よりも大切で。自分自身より大切で。その存在だけが唯一で。
この人がいなければ全てが終わる。輝いて見えた世界は色褪せ、心地よく響いた音も耐えられない雑音になる。
そんな風に誰かに寄りかかっていなければ自分を保てなくなってしまったことを、恥ずかしいことだとは思わない。
人は酸素がなければ息が出来ない。水がなければ干涸らびてしまう。
それと同じように、ボクがボクとして生きていく為に必要だから。
兄さんがいなければ、ボクの心は死んでしまうのだろう。
目を閉じて、眠る兄の肩にそっと頬を寄せた。
その時布団から出ていた兄の右手、機械鎧のそれが目に入る。
手を伸ばして触れたくなったけど、そうすると兄さんが目覚めてしまいそうだったのでやめた。
ボクの体は取り戻したけど、未だそのままの兄の手足。取り戻したいと切に願ってはいるのだけど。
でもその手足を見て触れるたび、何か言い様のない切なさが胸に込み上げてくる。消えることのない罪の証。
最初の罪、通行料としてなくした左足と、ボクを繋ぎ止めるためになくした右腕。
あの時、ボクを見捨てられなかった為に苦しみ続けた貴方だけはどうか。
もう辛い事なんて起きないように、悲しい思いをしなくていいようにと、いつも願っている。
ねえ、大好きだよ。
この気持ちが恋と呼ばれるものなのか、愛と云われるものなのか。そんなのはどうでもいい。
昔からずっと、昔よりずっと。あなたが大好きだよ。
言葉にしようとしても、うまく伝えられる自信はないけれど。言葉に全ての想いを込められる気はしないけれど。
伝えきれない分、ずっと傍にいるから。兄さんを少しでも支えられるように。
かけがえのない、あなたという大切な命。
その命の脈動を誰よりも近くで感じられる喜びを感じている。
あなたが寒い時にはボクが温める。あなたが笑う時にはボクも隣で笑ってる。
全ての喜びや悲しみを、一緒に分かち合って生きていきたい。
隣で眠り続ける兄の横顔を、アルフォンスは目を細めて見つめる。
昔、過去の悪夢に魘されることも多かった兄。だけど今はそんな夜も殆どなくなった。
いつまでもこんな風に、安らげる眠りがあなたに包んでくれることを願っているよ。
触れた場所から同じになっていく体温にホッと息を吐く。
今日も晴れそうだから、起きたら兄さんと二人図書館に行きがてら散歩にでも出掛けようかなんて考えて。
アルフォンスは微笑みながら目を閉じた。
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