一生に一度の恋をしました。
一生分の恋
人体錬成で体を取り戻して、数年の月日が流れた。
ボクは何故か女の子の体になっていたけど、兄さんと共に悲願を達成出来て。
伝わらないと覚悟していた想いも伝わって。充分に幸せだった、のに。
どうやら神様とやらは、罪を犯した人間がとことん嫌いらしい。
ボクらがその異変に気付いたのは、セントラルに居を構えて3年目に入る夏の事だった。
兄が少しずつ食欲が落ちた時、最初はちょっとした体調不良だと思っていた。
胃の調子が悪いと言う兄に、早めに病院に行くよう勧めてはいたけれど。
兄は大したことはないと言って、手近な薬を飲むだけだった。
そうして兄はある日、唐突に倒れた。どす黒い血を大量に吐き出して。
…病名が分かった時には、もう手遅れで。兄の命は長くても残り半年だと告知された。
最初は医者が何を言っているのか、理解出来なくて。
何度も説明されて、やっと内容が頭に入ってきた時には、何がなんだか分からなくなった。
滅茶苦茶に泣き喚いて泣き疲れたボクは、そのまま気を失ったらしい。
気付くと空いていた病室のベッドに寝かされていた。
「兄さん…。」
会いたかった。ただ会いたかった。名前を呼ぶ事しかできなかった。
フラフラとしながら、兄がいるはずの部屋へ行く。ナースステーションのすぐ近くの特別室。
大量の吐血で極度の貧血状態になった兄の腕には、それを補う為の輸血が繋がれていた。
ぐっすりと眠る姿は、血の気が完全に引いていて。まるでー。
(死んでいるみたい)
脳裏に浮かんだ言葉に体に震えが走った。揶揄した言葉は、近い将来現実になる。
『残念ですが、現在の医学ではお兄さんの病気は治せません。』
呆然とするボクに告げられた医師の言葉。それは紛れもない事実で。
あんなに元気だった兄が、血を吐いて倒れた。それも起こってしまった現実に間違いなくて。
そうして半年、あとたった半年程度で。ー兄は死んでしまうのだ。
ボクの脳裏に人体錬成の事が過ぎった。だけど同時にそれが意味のない事だとにも気付いていた。
死者は甦らない、それがボクらの、兄の出した結論だ。
ボクが体を取り戻せたのは、あくまで体を「持っていかれた」状態だったからであって。
今度の事は、母さんの時と同じ事だ。兄さんを錬成する事は出来ない。
気が狂いそうだった。いっそそうなってしまえば楽だったかも知れないけれど。
兄へ病名を告げるかどうかは、散々迷ったけど結局告知する事にした。
人体錬成の為、生体の研究もしてきたボクらだ。多少の医学的知識はある。
治療を始めてしまえば、兄に自分の状態が解らないはずがない。
病名を聞かされても、兄は動揺した様子すら見せなかった。薄々察してはいたと思うけど。
横で俯くことしか出来ないボクの頭を、兄さんがポンと軽く叩く。
その手の大きさと温かさに涙が出そうになったけど。
もうボクは泣かないって決めていたんだ。病名を知った時泣き喚いた、あれを最後にしようと。
貴方はきっと泣かないから、ボクも泣かない。涙なんて見せない。そう、決めたんだ。
治療法はなく、あと出来るのは延命と鎮痛だと言われ、ボクらは家に戻ることにした。
点滴や多少の医療行為はボクらにも出来た。定期的に医師や看護士に来てもらえば、普段の治療は問題ない。
それなら少しでも二人で暮らしてきた家にいたい、それが兄の願いだった。ボクも同じ思いだった。
時間は無情に過ぎていく。穏やかに、時に激しく。
少しずつ強くなる痛みを、兄は耐えていた。モルヒネも勧められたけどそれも断った。
幻覚を見たくない、最後まで俺は俺のままでいたい。正気のままアルに触れていたい。
そう言って頬を撫でる兄の姿に、ボクはある決意を固めていた。
こんなにも愛しい人を、もうすぐ失ってしまう。嫌だと叫んでも、絶対にやってくる未来。
心が千々に砕けてしまいそうなのに、壊れてしまいそうなのに。
それでもボクは貴方のいない世界を生きていかなくてはいけない。それがどんなに辛い事でも。
だからこそ、これだけは叶えて欲しい。
「ボクの中に何かを残したくない?」
それはきっと、とても魅力的な言葉に聞こえたに違いない。
兄の顔が悲しげに顰められた事は気付いていたのだけど。
迫り来る死の気配は、日々濃厚になっていく。
それがすでに覆す事が出来ないのは解っている。
兄さんがいなくなってしまうなら、後を追いたいと思った。
でも兄さんが右腕と引き替えに繋ぎ止めてくれた魂、命がけで取り戻してくれた体だ。
それを思うと、たとえボクの体だろうと、失うわけにはいかないと思った。
それを兄さんが望まない事も解っていた。それならば。
どうかお願い。これくらいの我が侭は許して。
貴方の命をボクに分けて欲しい。
あの時、取り戻した体が女性体だったのは、こうなる為だったのかもしれない。
ボクが貴方の命を受け継ぐために、無意識に望んでいた事なのかもしれない。
錬成理論は完全だった。取り戻す為の代価も。兄の腕も確かな事は、誰よりもボクが知っている。
ならば後は意志の力としか思えない。これがボクの望みだったのか。
ねえ、大事に大切に育てるよ。貴方の命を受け継いだ新しい生命を。
誰もボクらを知らない土地で、ああ、それよりもリゼンブールに戻るのもいいね。
結局体を取り戻した後も帰る事はなかった、あの懐かしい土地でその子を育てよう。
貴方の代わりに連れて行ってあげよう。
だからお願い。ボクに希望を。
貴方がいなくなったあと、ボクに生きていく力を下さい。
その誘惑に貴方が逆らえない事は承知していた。躊躇いがちに伸ばされた手を取る。
何度も抱き合った。紡がれる睦言は甘く響き、優しく耳に残る。
何度も繰り返し名を呼ばれた。一生分の愛の言葉を囁かれて体内に熱が籠もる。
ボクもそれに応えた。受け入れた貴方を放したくなくて、知らず力が入る。
こうして愛し合える時間の、なんて短いことだろう。
それでもボクの願いは叶った。
一生に一度の恋をしました。たった一人の貴方を愛しました。
添い遂げる事は出来なくても、貴方一人を愛すると決めていました。
この事はボクら二人が犯した罪の中で、一番最低で最悪な事なのかもしれないけど。
それでもボクはこの子に、生まれてきた事を後悔させるような事だけはないように。
幸せになってもらえるように育てるよ。ボクの全てで愛し守ってみせる。
貴方の命を受け継いだ新しい命。ボクの体内で育ちつつある命。
貴方が取り戻してくれたこの体で、貴方の命を受け継ぐ子を宿し生み出す。
そんな事が出来るなんて、ボクはなんて幸せなんだろう。
だからボクは大丈夫。貴方がいない事は、身を裂かれんばかりに辛い事だけど。
それでも兄さんに愛された思い出と、この子がいるなら。前を向いて生きていける。
ボク達の想いは、誰に許してもらえなくても間違っていなかったのだと。
たくさんの罪を犯したボクらだけど、貴方を愛した事だけは罪ではないのだと、胸を張って言える。
幸せだったよ、今も幸せだよ。
貴方を愛し、愛されて。ボクは本当に幸せだったのだから。
兄さん、ありがとう。ボクの我が侭を聞いてくれて。
最後の最後まで、ボクを愛してくれて。
いつかボクもそちらに逝く日が来る。その時は貴方が迎えにきて。
どんな形でも、また貴方に会える日が来る。そう思うだけで穏やかな気持ちでいられるから。
懐かしい景色の中、頬を撫でていく風の音の中に、愛しい人の声が聞こえた気がして。
アルフォンスはそっと目を瞑り、穏やかな風に身を委ねた。