一夜の夢
やけに重たい瞼を少しずつ開けると、見慣れた天井が見えた。 ボーっとする頭は霧がかかったかのように霞がかって、思考が定まらない。 寝てたのか、オレは。体を起こそうとしてエドワードは違和感に気付いた。 体が動かない。いや、体というか腕が…? ボンヤリとしながら自分の腕を見て、エドワードは驚愕し一気に目が覚めた。 寝相が悪いため少し大きめなベッドは紛れもなく自分の物で。 大きな本棚が壁を埋めている部屋も間違いなく自分の部屋だった。 いつもの風景の中でひとつだけ異質なそれ。 重ねたクッションと枕。それに凭れるように横たわり、腕をベッドに拘束された自分の姿。 「な、んだこれっ!」 自分の身に起こった事が分からず、エドワードは大声をあげた。 そしてすぐ気付く。オレがこんな事になってるなら、アルはー? 姿の見えない事で不安が煽られる。 どうしてこうなったのかという事より、アルフォンスの身が心配だった。 彼にとって誰よりも、自分よりも大切なたった一人の妹が。 「アルっ!アルフォンス!!ちくしょう、外れやがれっ!!」 手首を拘束するそれは、ご丁寧にも柔らかな布で手首を包んだ上に頑丈そうな革で巻かれていた。 そのままベッドの下を潜り、反対側の手首に繋がっているようだ。 完全にベッドに貼り付けにされた形になっている。千切ろうにもまったく動かない。 足は動かさせる。だがこれでは両手を合わせる錬成はできない。 一体何が起こったんだ。エドワードは必死に思い出そうとしていた。 ついさっきまで普通にー、そうだ、確か中央から届いたばかりの本を読んでいたはずだ。 そこにアルフォンスが来て、食事をしてと怒られて。差し出されたサンドイッチと紅茶を受け取った。 それから他愛もない話をして…。それからどうなった?思い出そうとしても記憶がプッツリと途切れていた。 一緒にいたはずのアルフォンスがいない。そのことに言いようのない不安が胸に広がる。その時。 「あ、目が覚めたんだね。」 「アル…。」 カチャリと開いた扉。そこから心配していたアルフォンスが姿を見せた。 ごく普通に声をかける妹にエドワードは一瞬安堵の息をもらし、だがすぐに眉を顰める。 こんな不自然な状況に驚くでもなく、部屋に入ってきたアルフォンス。そのまま彼女はベッドの脇に腰を降ろした。 「もう少し眠ってるかと思った。飲んだ量が少なかったかな。」 「…アル?」 言われている内容に頭がついていけずに、エドワードは戸惑い妹を見上げた。 そんな兄に、アルフォンスはにっこりと笑ってみせる。 「兄さん、気分は悪くない?お水飲む?」 「アルフォンス、これはどういう事だ!」 アルフォンスの言葉を無視して怒鳴る。エドワードは混乱していた。 考えたくはなかったが、状況を考えるとこれはアルフォンスがやった事に間違いない。 兄にこんな真似をして、平然と微笑みかける妹がエドワードには信じられなかった。 何が起こっている。一体アルに何があったんだ。 理由があるはずだった。何もなしにあのアルフォンスがこんな事をするはずがない。 必死の形相で自分を見上げる兄に、アルフォンスは悠然と微笑んだ。 「窮屈かもしれないけど我慢して。少しの間だから。」 「窮屈とかそういう問題じゃないだろう!お前、何のもりなんだ!!」 「何のつもりかって?この状況で分からない?」 アルフォンスはクスクスと笑いだした。心底楽しそうに。 「これからね、兄さんを犯すんだよ。」 囁かれた言葉に、エドワードは凍り付いた。 |
「な…にを言って…。」 呆然とするエドワードに、アルフォンスは顎に手を当て、小首を傾げる。 「犯す、っていうのはおかしいかな?立場が逆だよね。」 こういう場合って何て言うのかなぁとアルフォンスは考えた。 「そうだ、襲うってのでどうかな。」 「アル、ふざけてる場合か。今すぐこの手枷を外せ!」 やっと思いついた、という風に嬉しそうに話すアルフォンスにエドワードが怒鳴る。 下から睨み付けてくる兄に、アルフォンスはスッと笑みを消した。 「ふざけてこんな事が出来ると思う?」 残念ながらボクは本気だよ。正気ではないのかもしれないけど。 アルフォンスの手が伸び、エドワードの頬に伸びた。その微かな感触に体がビクリと震える。 「一度だけ…、ほんの少しの間だけで良い。兄さんをボクに頂戴。」 その言葉にアルフォンスの本気を感じ取って、エドワードは混乱した。 「アルフォンス、どうして…。」 兄の言葉にアルフォンスが少しだけ微笑んだ。頬をゆっくりと撫でる。 「好きだよ。」 一言、ハッキリと告げられた言葉にエドワードの思考が止まる。 今アルフォンスが言った言葉は…。 大きく目を見開くエドワードに、アルフォンスは一瞬悲しげな顔をした。 「兄さんはウィンリィと付き合うんでしょう?ごめんね、ボクはそれを心から祝えないんだ。」 二人の幼馴染みのウィンリィ。エドワードが彼女と付き合う事を決めたのはつい先日の事だ。 それは悩みに悩んで決めたことだった。何故悩んだのか、ウィンリィも知っている。 それでもそうしたのは、それが一番良い道だと信じたから。自然な道だと思ったから。 だけど本当はー。 「ボクにとって二人は大事な人だから幸せになって欲しいと思う。本当にそう思ってるんだよ。 だけど二人が一緒にいる姿を、見ていられそうにないのも本当の気持ちなんだ。」 ウィンリィと付き合う事にした。そう兄から聞かされた時、一瞬この世界が暗闇に落ちた。 いつかはこうなるだろうとは思っていたし、覚悟はしていたつもりだったけど。 実際そうなってみると、それは思ったよりも辛い事だった。 このまま二人を見守るなんて、とてもじゃないけどできそうにもない。 何度も諦めようとして諦められなかった想い。あなたを想う気持ちはどうしたって消えやしない。 たった一人の家族の幸せを祝ってあげられないなら、傍になんていない方が良い。 「ボクを許せなくてもいい、嫌われても仕方ない。だから今だけボクのものになって。」 眉尻を下げた顔。泣きたいのを堪えてる顔だと、エドワードはぼんやり思った。 アルフォンスが、妹がこんな想いを抱えていたなんて知らなかった。こんなに苦しんでたなんて。 何故気付けなかったのだろう。 ウィンリィと付き合うと伝えた時、アルフォンスは喜んでくれていた。 その笑顔の影に必死に隠された悲しみがあった事、自分だけは気付かなくてはいけなかったのに。 こんな風にアルフォンスが追い詰められる前に。 ふと気付くと、いつの間にかベッド脇にアルフォンスが立ち上がっていた。 スルリとその身を包む衣服を足下に落としていく。少しだけ落とされた照明の中、艶やかに白く若々しい肌が光る。 こんな状況にあってもその行動がこの後起こるだろう事と結びつかず、エドワードは一瞬その肌に見惚れた。 最後の一枚まで脱ぎさって、アルフォンスはベッドの端に座り直すと、兄に掛けていた毛布を剥ぐ。 エドワードは何も身につけていなかった。呆然と自分を見詰める兄の剥き出しになった胸に、ツーっと指を這わせる。 その感触にエドワードがハッと我に返った。 「アル、ちょっと待て!話したい事があるんだ!」 「駄目だよ、そろそろ時間なんだから。」 「時間って…っ!」 エドワードの言葉を無視してアルフォンスが顔を伏せた。指で辿った箇所を、今度は唇でなぞる。 唇の濡れた感触と少し伸びた髪が肌に当たり、エドワードの体が震えた。 それと同時に体に熱が急速に籠もり始めたのを感じて戸惑う。 何だこれは。いくら相手がアルフォンスだからって、反応が早すぎるだろう。 兄の表情が変わり始めた事を認めて、アルフォンスは嬉しそうに微笑んだ。 「効いてきたみたいだね。」 妹の言葉にまたしても唖然とする。それはまさか。 「心配しなくても後には残らないよ。遅効性な分、効果は抜群みたいだけど。」 「な…っ!なんでこんな…、うあっ!」 胸の突起をペロリと舐められて、意図しない声がエドワードの口から漏れる。 顔を上げて兄を見ると、アルフォンスは自嘲するように笑った。 「こうでもしないと、ボク相手に勃たないでしょう?」 男が女を犯すのとは訳が違う。反応してもらわないと、いくら体の自由を奪っても行為には及べない。 使った薬は合法のもので、安全性は確認されている。怪しげな薬を兄に使うわけにはいかない。 「自分の意志に反して感じてしまっても仕方ないんだよ。全部薬のせいなんだから。」 今の自分の状態を言われて、エドワードの頬がカッと染まる。薬のせいだなんて言われても羞恥は消えない。 顔を背け真っ赤になった表情を見られまいとするエドワードに、アルフォンスが小さく微笑んだ。 |
兄は誇り高い人だ。薬や拘束で自由を奪われ、こんな姿を晒すのは耐え難い屈辱以外の何者でもないだろう。 それが例えたった一人の、大切にしていた妹だろうとも。 妹として、愛されているのは知っていた。 「愛」という感情だけで言えば、きっとウィンリィよりもボクの方が愛されている。 家族として、妹として。誰よりも愛されている事は知っていた。 ーどうしてそれだけでは駄目だったんだろう。 家族としての愛情だけで、どうして満足出来なかったんだろう。 幼い時からずっと、あんなにも惜しみない愛を一杯もらったのに、どうして。 欲深すぎて自分に吐き気がする。たくさんの辛い目に遭いながら、全てを捧げて自分の体を取り戻してくれた兄。 あなたの幸せを誰よりも願っていたはずなのに。 だけど気持ちは抑えられなかった。 このままだと。ボクは何をしでかすか分からない。 こうして兄に無体をする以上の、考えられないくらい最悪の事をしてしまいそうで、自分が恐い。 だから離れようと思った。その前に一度だけ、この体に兄さんを刻みつけて。 そうすればボクは、この先一人でも生きていけるから。 酷い我が侭だなんて分かっている。兄の意思を無視してこんな事するなんて、どんな罵りを受けても仕方ない。 それでも、そうしないと兄から離れられそうもないから。 触れる熱に眩暈がしそうだった。 あちこちに細かい傷が残ってしまった体。本当に色々遭った旅だったから、兄さんには生傷が絶えなかった。 何度も切った瞼や額の周辺は、未だに些細なことでも出血してしまう。 その傷ひとつひとつがアルフォンスには愛しかった。 セックスなんて本当は恐い。ボクは元々は男だ。受け入れる立場に戸惑いだってある。 それでもこの人が欲しいと思う気持ちは、いったい何なのか自分にもよく分からない。 この想いは愛とは呼べない。ましてや恋とも違う。そんなに純粋な形じゃない。 昔、鎧の体だった時は、もしかしたら恋に近い感情を抱いていたかもしれないけど。 今はこんなにも捩れて汚れてしまった。こんな恋なんてあるはずがない。愛と呼べるはずがない。 それくらいは知っていた。 余す所なく兄に触れる。その度にその体が微かに揺れ、肌にある種の緊張が生まれ、それが全身に広がっていく。 反応が顕著だった箇所を舌で辿ると、ビクリと大きく震える。 白い肌が徐々に薄紅色に染まる姿は扇情的といえた。 そんな兄を目の当たりにして、アルフォンスは何となく自分が今女性の体で良かったと思う。 もし弟のままなら、間違いなく兄を抱いていた。好きな人のこんな姿を見て、興奮しない男はいないだろう。 酷い事をしているのはどちらでも大差ないだろうけど、出来れば兄に痛い思いはさせたくない。 ひとつひとつの傷を癒すように、アルフォンスの舌が辿る。 その度にエドワードの口から噛み殺せない呻きが洩れた。 全てをさらけ出す羞恥、今まで知り得なかった感覚。何より触れているのはアルフォンスなのだ。 彼にとってただ一人の、とても大切な存在。 流されてしまいそうになる自分を取り戻そうと、エドワードは必死になった。 こんな、アルフォンスだけが傷つくようなことを、黙って受け入れるわけにはいかない。 ギチギチ、と嫌な音に気付きアルフォンスは顔を上げた。 「兄さんっ!?」 アルフォンスの目に映ったのは、革紐を力任せに引きちぎろうとする兄の姿。 人の力で切れるはずのないそれは、容赦なくエドワードの腕に食い込んでいる。 「兄さん、兄さんお願いやめて、腕が…っ!!」 どれだけの力なのか、すでに腕全体が真っ赤になり、革紐の部分からは血が滲み布を赤く染めていた。 悲鳴のように叫びながら腕に縋るアルフォンスに、エドワードの声が響く。 「やめて欲しかったらこれを外せ、今すぐに。」 真っ直ぐに見詰められて、アルフォンスは呆然とし、それから絶望した。 兄は本気だ。きっとこの枷が外れる為なら、腕が千切れても構わないと思ってる。 この人にとってこんなこと、耐え難い屈辱である事は分かっていた。 例え妹にだって自由を奪われ好き放題されるなんて許せるはずがない。 誇り高い兄に軽蔑されても憎まれても仕方ないと、そこまで覚悟しての行為だったけど。 兄の力でも錬金術を使えない以上、これだけ丈夫で分厚い革枷を千切るなんて無理だ。 だけどこのままにしていたら、もっと確実に兄が傷ついてしまう。そしてボクはそれに耐えられない。 結局…、ボクのしたことは。自分を兄さんに嫌われて傍にいられなくしただけ。 二度と会えなくなっても大丈夫なように、この体に兄を刻みつけようとしたのにそれも出来ずに。 なんて馬鹿なんだろう。 泣きそうになるのを必死に堪えながら、アルフォンスは俯き、軽く両手を合わせた。 その手を兄を拘束する枷に触れると、見る見る内に分解された革がボロボロと崩れ落ちていく。 血の滲んだ白布を解いて晒されたエドワードの手首には、どす黒い鬱血の痕がはっきりと浮かび出血していた。 せめてこの怪我の手当だけはして出ていきたい。 「…ボクに触られるの嫌だろうけど、治療だけはさせてね。」 救急箱を取りに行こうとしたアルフォンスを、エドワードの手が引き留めた。 |