「最近、良い事がありましたか。」 机の上の書類を片付けながら、夜行副長の刃鳥は頭領である正守に尋ねた。唐突なその言葉に正守は驚く。 「そう見える?」 その質問には直接は答えずに、顎髭を撫でながら聞き返す。彼にはそう言われる心当たりがあった。正守にとって青天の霹靂というか、信じられないような奇跡が起こったのはつい2日前の事だったから。 しかし、と正守は内心唸った。ポーカーフェイスは得意なはずなのだが、あまりプライベートな事に口出ししない刃鳥が尋ねてくる程、自分は顔に出していたのだろうか。 我ながら浮かれるのも仕方ないが、気を付けなくてはと思う。そんな事を考えていたら、刃鳥が「ご心配なさらなくても」と書類を袋に入れながら言う。 「別段普段と変わりはありませんよ。顔がにやけている訳でもありませんしね。」 ただ雰囲気が変わったとは思います、と言われて正守は思わず唸る。 「…刃鳥は恐いくらいに有能だな。」 言いながらも正守は少し安堵した。どうやらばれているのは刃鳥だけらしい。そしてこの副長に隠し続けられるとも思っていない。 先程の口振りでは、正守に起こった「良い事」が何であるかも察しがついているのだろう。 だがまさかその相手が誰かなんて事まで気付いているのだろうか。 刃鳥なら有り得るよなぁ、と内心溜息をつく。伊達に長い付き合いじゃない。 周りには多少誤解されている感もあるが、刃鳥は決して正守の恋人ではない。夜行設立当時から副長を務め、誰よりも正守の傍にいて理解している彼女との仲を誤解する者は多い。 だが二人は頭領と副長、分かりやすく言えば社長と秘書以外の何者でもなかった。敢えて言葉を代えるなら親友にも近い戦友だろうか。 正守の意思を理解し尊重し、だからと言ってただ付き従うだけではなく自分なりの意見も言ってくれる。 それは夜行のように大所帯ながら頭領のみが突出した戦闘能力を持つ組織では、ワンマンにならない為に大切な存在だ。 それだけに多少頭が上がらない面もあったりするのだが…、その辺がまた誤解される要因のひとつなのだろう。 確かに刃鳥は一緒にいても気を使う事もなく、正守にとって特別枠の女性と言える。 もし、この心の中に動かしようもない程深く根付いた存在がなければ惹かれていたかもしれない、そう思うくらいには。 だがそれは結局無意味な仮定だ。正守の中には14年前からただ一人が住み着いているのだから。 そこまで考えて、正守は2日前にようやく想いが通じた弟の事を思い出した。 告げるつもりのなかった想いを口にした夜。軽蔑される事も覚悟した正守に、良守は意外すぎる返事をくれた。青天の霹靂とはまさにあの夜の事を言うのだろう。 抱き締めても拒絶される事もなく、口付けすると怖ず怖ずとながらも応えてくれた。別れ際、正守の着物の裾を掴んで寂しそうに見上げてきた瞳に眩暈を感じた。 あの時の弟の顔を思い出すと今すぐにでも烏森に帰りたくなる。昨夜も電話して声は聞いたけど、それくらいじゃ全然足りない。 まだまだ初な弟に合わせて、ゆっくりやっていこうと言ったのは正守だったけど、ちょっと自制心が心配になるくらいにはあの可愛らしさは兇悪だ。 会う頻度が少ないと爆発しそうだから、出来るだけ会いに行った方が良いよなぁ。ってか普通に俺が会いたいし。 目の前の書類を眺めながら考えていると、刃鳥が新しい書類を机に置いた。 「それの後はこちらにも目を通しておいて下さい。急ぎではありませんが、少々厄介そうなので。」 どれ、と手に取って正守は納得した。 「これは俺が行くよ。」 「頭領が行かれるのですか?ですが…。」 「ちょっと話は聞いてたんでね。確かに厄介そうだし、うちの連中にはまだ手に余るだろう。」 成長を促す為の仕事は良いが、下手に怪我をさせるだけと分かっている仕事をさせるつもりはない。 「適材適所ってヤツさ。よし、これで大体振り分け終わったよね。」 明日には発てるかなぁと呟く正守に、刃鳥は小さく溜息をついた。危険だと言った所で彼は動くだろうし、実際それだけの力があるのは彼一人だった。 昔ほどではないとはいえ、正守一人に負担がかかっている現状に刃鳥は複雑な思いを抱えていた。それは仕方がない事だと分かってはいたが、簡単に納得出来るものでもない。 「ではこの件が片付いたら、数日休暇を取られてはどうです?最近中途半端な休みばかりでしたし。」 「…いいの?」 確かにあまり休んでないし、今回の仕事が済めば一時落ち着けるだろう。正守の問いに刃鳥はええ、と頷いて見せた。 「頭領がたまにはちゃんと休んで下さらないと、下の者がかえって気を使います。」 「あー、まあそういう事もあるかもね。」 頭をボリボリ掻きながら正守は苦笑した。トップが休まないと他のみんなも休み辛いだろう。そういう刃鳥も長期の休暇なんて殆どとったことはないのだが。 2〜3日なら良いか、良守に会えるしと正守が考えていると、刃鳥が続けた。 「せっかくだからご実家でゆっくりされたらどうです。頭領もお会いになりたいでしょう。」 誰に、とは言わずに真顔で言う刃鳥。会いたいという台詞の主語が「家族に」という響きではない事は明らかだった。 あ〜あ、これはバレてるなぁと正守は大袈裟に米神を押さえる。 「刃鳥はさ、そういうのに抵抗はないわけ?」 何に対しての抵抗かは敢えて触れずに聞いてみると、彼女は平然と答えた。 「別にありません。副長として言わせて頂くと、頭領が精神面で安定する事に異議はありませんから。今までが安定してなかったという訳ではありませんが、より強固なものになったなら歓迎します。」 「じゃあ、副長じゃなくて刃鳥個人としては?」 「…私個人としてなら。そうですね。友人として、貴方が幸せな事を喜びたいと思います。」 『友人』という言葉を刃鳥が口にしたのに、正守は純粋に驚いた。彼女とはもう5年ほどの付き合いになるが、内心はともかく、そんな風に口に出してお互いを評した事はない。正守の顔に自然と笑みが浮かぶ。 「本当に刃鳥って良い女だよね。」 正守の純粋な賛辞に、刃鳥は「そうですか?」といつもの様に返したが、正守が笑いながら素直な気持ちで「ありがとう」と礼を言うと、ほんの少しだけ柔らかく微笑んだ。 |
11.24格納
「お願いです。実家に帰らせてください。」 「却下です。」 願いを直ぐさま断られ、正守は恨めしそうに刃鳥を見る。そんな視線にも慣れっこな彼女は平然とちょっと情けない顔になった上司を見た。 「私の記憶が間違いじゃなければ、確か先日休暇から戻られたばかりだと思いますが?」 その言葉通り、正守は休暇で実家に帰り2日前に戻ってきたばかりだった。それを指摘され、正守が頭を掻く。 「だってさー。いつの間にか良守が閃や秀と凄く仲良くなってたんだよ。俺はずっと傍にいられる訳じゃないのに。これってずるくない?」 「ずるくありません。それを狙っての2人の起用だったのではありませんか?」 思惑通りで万々歳ではないですか。刃鳥の言葉に正守が多少憮然としながら「そりゃそうだけど、仲良くなりすぎ」と、随分大人げない事を言った。 「良守はさ、磁石みたいな子だから。多少薄暗い物抱えてる身には、あの突き抜けた優しさや天然さは魅力だと思うんだよね。」 「その筆頭である頭領が仰るなら間違いないでしょうね。」 「…はっきり言うね。」 「ある意味惚気に付き合ってる暇はありません。」 きっぱりと言い切る副長に、正守は楽しげに笑った。 「悪いね。刃鳥相手にしかこんな事話せないし。」 それは分かっている。そして彼が本気で休暇が欲しいと言ってる訳ではない事も。ただ言ってみたかっただけなのだろう。胸の中に微かに残る不安を。 刃鳥は正守が弟をどれほど大切に思っているか知っていた。だが彼は様々な事情から家を出て裏会に入り、果たすべき目的の為に此処に残っている。その目的の中には多分、弟に関する事も含まれているのだろうと刃鳥は思っていた。だからこそ彼はまだ家に、弟の元へ帰れない。本当なら全てを投げ出して彼の傍にいきたいだろうに。 そんな状況だからこそ、有り得ない嫉妬をするのも分かる。本気でそんな心配をしている訳ではなくそれは甘えに近い。そんな事を聞かされる程信頼されていると喜ぶべきなのだろうかと内心溜息をつきながら、刃鳥は頭の中で計算を巡らせた。 「2週間みっちり頑張ってくだされば、2〜3日ほど休みを入れられると思いますが?」 刃鳥の言葉に正守が意外そうな顔をした。 「…いいの?」 「その代わり、夜中に会いに行かれるのは少し控えてください。あまり無理をされるとお体に触ります。」 「あ、やっぱりばれてたんだ。」 「ばれてないなんて思ってないくせに、しらを切るのは程々に。そんな調子じゃ良守君にも心配かけますよ。」 「それはね、もう言われてるんだけど。」 ははは、とバツの悪そうな顔をして笑う正守の様子から、何かしらの小言くらいは言われたのかと察する。当然だろう。正守の忙しさは良守だって知っているのに頻繁に会いに行くのだから。あの子は優しい子だから、正守の体調を気遣わないはずがない。 会いたくても簡単に会えない二人。お互いを想い合っていても隠さなくてはいけない関係。 せめてあの子の元に返してあげたいけど、彼は自分達にとっても必要な人だ。 だから、ごめんなさいと謝る事はしない。ただ2人が会えるように手助けをする。それくらいしか出来ることはないのだから。 でももしかしたら、と刃鳥は思う。必要なのは自分達ではなく自分自身で。返したくない言い訳を仲間達に被せているのではないかと。 彼によって救われたのは他でもない、自分自身もなのだから。 微かに浮かんだ考えを払拭するように、刃鳥は目の前の書類に取りかかった。 |
2009.9.28格納
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