激短編と過去拍手達
「傷痕」
弟の体には無数の傷がある。
修行を始めた頃はともかく、正統継承者として烏森に行くようになってから、傷はずいぶんと増えたと思う。
小さい頃の傷から最近のものまで、大小様々な傷。
正統継承者は烏森で死ぬ事は滅多に無いという。
だが「滅多に」という事は例外もあったという事だ。
あれが烏森に好かれているとして、例外に当て嵌まらないという保証は何処にもない。
そして烏森で負った傷も、治りが早いとはいえ完全に治る訳じゃない。
傷を負えば痛い。それはどんなに鍛えた人間だって変わりはないのに。
あいつはあの場所を守る為、あの場所で誰かが傷つかないよう、今夜も戦っている。
そう生まれついてしまったから。そう選ばれてしまったから。
だから俺は烏森が嫌いだった。
握り締めた小さな手は、もう随分と大きくなった。
未だ成長過程だが、その内体も大きくなっていくだろう。
それでも守りたいと思うのは、俺が兄貴であいつが弟だからだろうか。
傷ついて欲しくないと思うのは、あいつを愛しく想う者の感傷だろうか。
守られるよりも守ろうとするあいつには、迷惑でしかない話だろうが。
それでも願わずにはいられない。どうかこれ以上傷つかないで欲しいと。
今夜もあいつは烏森へ行く。
俺はずっと。
弟を生まれた時から独占し、縛り付けようとする、烏森が憎かった。
2007.5.4
「電話」
「お前さあ、せっかく携帯やったのに、全然かけてきてくれないよね」
「電話する用事なんてねーもん」
「相変わらずつれないな。用事なんてなくても、たまには電話してよ」
「何でだ。お前忙しいだろ」
「構わないからさ。もし寝てても、お前の電話なら起きるから」
「!?」
「たまには声、聞かせてくれよ?」
・・・・・・・・・・。
「ばっかじゃねーの?」
プチ。ツーツーツー…
「切られちゃったか」
あいつのことだ。きっとからかわれてるとでも思ったのだろう
まあ良いさと携帯を文机の上に放り出しながら、正守は小さく溜息をついた
「…もうちょっと話してたかったかな」
本気の言葉なんだってことは伝わらなくて良い
お前はまだ、何も知らなくて良いから
「切っちまった…」
だってあいつがいきなり変な事いうから
声を聞かせろだなんて。これが電話で良かった
確認したくはないけど、今自分が真っ赤になっている自覚はある
「…あんな事言って、本気にしたらどうするつもりだ」
我が兄ながら、あいつの思考はまったく読めない
ああでも、もう少し。あとほんのちょっとだけ
「声、聞きたかったな…」
それでも自分から電話なんて、きっとできないけど
呟きは誰もいない部屋の中に、静かに溶けた
2007.5.8
「お前のいない日常の中で」
いつもお前の事を考えてる、なんて言わない
仕事はいつだって忙しいし、やらなければいけない事なんて山積みだ
むしろ普段はお前の事を考える時間のゆとりなんて、無いに等しい
それでも
ふと時間が空いた時、思い出すのはお前の事だ
今頃は学校だろうか。また寝てばかりなんだろうな、とか
修行は捗っているんだろうか、とか
烏森で怪我してないだろうか、とか
自分でも時々呆れる程には、思い出すのはお前の事ばかり
こんな風にただ一人に心を占められている自分も悪くないと思う
多分俺からお前への気持ちを無くしたら、ろくでもない事になりそうだから
いつだって闇に惹かれそうになる俺を引き留めるのは、お前という存在だった
眠る前に頭に過ぎるのが、お前の顔だと良いな
そんな事を考えながら俺は目を瞑った
2007.5.16
「恋が甘いなんて誰が言った」
ずっと恋をしていると思っていた。隣に住む2つ年上の幼馴染みに。
その人はとても綺麗な人で、聡明で。だから俺はその人に負けないように、その人を守れるように強くなりたいと思っていた。
それは今も変わってなくて、きっとこれからも変わらないんだろう。
だけど彼女に抱いていた感情は恋じゃなかった。
ずっと苦手なんだと思っていた。とうに家を出ていった7歳上の実の兄を。
その人はとても頭が良くて強くて誰よりも術も上手に使えて。だから俺は兄に対していつも劣等感を抱えていた。
本来なら家を継ぐのに相応しい能力を持っていたのは紛れもなく兄で。その居場所を奪ったのは能力の劣る弟だった。
厳しくされるのも冷たくされるのも当然の事で。それでも家族だから嫌いにもなれなくて。だから苦手なんだと思っていた。
それは今迄ずっとそうだったから、きっとこれからも変わらないんだろうと思っていたのに。
だけど彼に抱いていた感情こそが恋だった。
優しく厳しい彼女に抱いていたのは、姉か母へ向けるような憧れと思慕。
大切にしたいという気持ちは温かい感情だったけど、手に入れたいと思うような激情はなかった。
冷たく嫌みな兄に抱いていたのは、これ以上嫌われたくないという恐れと、本当は好かれたいという願い。
失いたくないという執着。
神の領域から追い出されて、兄だけはそこに残された。
手の届かない所へ行ってしまうという恐怖はそれまで感じた事がないくらいに強烈で、この胸を激しく締め付けた。
恐ろしくて恐ろしくて、狂ったように兄を呼んだあの時。俺は気付いてしまった。
ああ、いつの間にかこんなにも。ー好きになってしまっていたのかと。
兄に抱いた感情。これが恋だというのなら、こんな想い、知りたくなかった。
苦しくて辛くて、叫びたくなるような気持ちなんて、いらなかったのに。
優しく甘やかな気持ちだけを抱いていられたなら、それで幸せだったのに。
どうして気付いてしまったんだろう。ただ苦しむだけだとわかっているのに。通じるはずもない想いだと知っていたのに。
恋ってもっと甘くて優しいものだと思っていたのに、思い掛けない自分自身の激しい感情に振り回されて。
あの時伸ばした手は今も届かないまま、俺は兄の背中を見つめることしかできないでいる。
2007.9.24格納
「右手と左手」
伸ばされた手を、思いっきり弾いた。
解りやすい拒絶に弟は一瞬目を見開いて、それでも気丈に睨み返してきた。
弟の方から手を伸ばしてきたのなんて何年振りだったろうか。
いつも己を避けていた弟が「待て」だの「話を聞け」と言ったのだって、
今までそうある事じゃない。
そんな弟の手を、思いっきり弾いた。
なんていうタイミングの悪さ。馬鹿馬鹿しいほど俺達らしい。
なあお前、何でこんな所にいるんだよ。
なんでこんな時に会っちまうんだ。
よりによって俺が、人を殺そうとしたこんな日に。
血の臭いなんて、情けないが殆どが自分の血で。
でも串刺しにした扇兄弟と、あの子供の血も混ざってこの体に染みついてる。
結果的にまだ殺しちゃいないが、それだけの覚悟をして人を傷つけたのは変わらない。
あとほんの少しで一気に六人を殺してた。この手で、結界術で。
触るな、と叫びたかった。血の臭いが染みついてしまったこの手に、この体に。
ーお前だけは触れてくれるなと。
ああでも良守。お前があの時伸ばしたのが、もし右手だったなら。俺は拒まなかったのかも知れない。
まるで所有印のようにお前の右手に刻まれた方印を、汚してしまいたいと。ずっとそう思っていたのだから。
「愛と哀」
愛していると気付いた瞬間、何かが変わった。
愛しい存在を守れるようにと願ったあの時は、自分が誰よりも強くなれると思ってた。
だがそれは錯覚で、根本から変えられた俺は弱くなったんだと思う。
あれほどに固く決意したはずの事も、お前のたった一言で崩れてしまった。
お前という存在が、俺を強くも弱くもする。心の中を掻き乱す。
愛する事は幸せな事だと思っていた。許されない想いだろうが、そんなのは関係ない。
それは多分間違いじゃないんだろう。
だけど同時に哀しい事だなんて知らなかった。
お前がいれば、大丈夫だと。そう思った時もあったのに。
自分が自分でいられなくなるような、足下から崩れてしまいそうなそんな恐怖。
今俺がそんな恐れを抱いている事に、お前はきっと気付かない。
2007.12.21格納