君に会いに行くよ
忙しい仕事の合間、暇を見つけては愛しい弟に会いに烏森に行く。
それは他愛もない事のように見えてそうではない。
仮にも夜行の頭領を務める身。やらねばならぬ事なんて探さなくても山ほどある。
そんな中、時には寝る間も削って来ているというのに、最愛の弟の態度は冷たいものだ。
「何しに来たんだてめえ。」
「そりゃお前に会いにでしょ。」
「三日前も会ったじゃねーか。堪え性がねぇな。」
「せっかく会いに来た兄さんに、その態度はあんまりじゃない?」
「知るかそんなん。俺は仕事中なの。邪魔するなら戻れ。」
弟のあまりに素っ気ない態度と言葉に、そっと目頭を押さえたくなった。
「お前ね。あんまり邪険にされると、俺の硝子のハートが傷つくだろ。」
「何が硝子のハートだよ。キモイこと言うな。亀の子たわしで出来た心臓のくせに。」
毛が生えてるどころじゃなくて、亀の子たわしですか弟よ。
そんなに俺の心臓ってトゲトゲしてそう?
だけど確かにそうかも、と思ってしまった自分がちょっと悲しい。
それにしても弟の態度はあんまりじゃないだろうか。仮にも恋人に対する態度なのかどうか甚だ疑問だ。
っていうか、俺って恋人なんだよね?まさかお前忘れてないよね?こうも冷たくされるとちょっと疑問に思えてくる。
嬉しそうにはにかんで見せろとはその性格上言わないけど、もう少し喜んでくれたって良いと思う。
そりゃここんところ結構頻繁に会いに来てるから、有り難みも何も失せちゃったかも知れないけどさ。
そんな事を考えて小さく溜息をつくと、弟が不機嫌そうに睨んできた。
「こんな夜中までフラフラしてんなよ。」
「フラフラって。そこまで言うか、お前。」
「そっちの事はよく分からないけど、仕事忙しいんだろ。」
「まあね。それなりに。」
「だったら、空いた時間くらい少しは休め。」
「え?」
「お前、最近痩せたみたいだから。ー無理してまで会いに来るな。」
そう言った弟は先程の不機嫌そうな顔のまま。だけどその瞳に浮かぶのは気遣わしげな色。
素直じゃない性格は、長い付き合い故よーく承知している。
心配してるだなんて簡単には口に出来ない天の邪鬼。
ーああ駄目だ。こいつやっぱり可愛すぎる。
衝動のまま、目の前の体をギュッと抱き締めた。抵抗はない。
「確かに忙しいよ。でも良守に会いたいんだ。」
腕の中の弟は黙ったまんま。その頭を撫でながら、諭すように言う。
「会うと元気が出るんだよ。会わないと良守不足で死んじゃいそうなんだ。」
「馬鹿言うな。死なねーだろ、そんくらいじゃ。」
憮然とした響きの声が胸元から聞こえる。顔なんてみなくても何となく気付いた。
多分弟は照れている、そんな時の声色。視線を下ろすと僅かに赤く染まる耳朶が見えた。顔を近づけて囁く。
「駄目なんだよ俺はさ。少なくとも心がね、干涸らびそうになる。」
自分の気持ちに気付いていなかった頃は、何年も会わずとも平気でいられた。
自分の気持ちに気付いてからは、時々会えれば何とか我慢出来た。
でもお前も同じ気持ちだったと知ってからはもう駄目だ。
いつだって会いたい、触れたい、声が聞きたい。キスがしたい。もっとそれ以上も。
傍にいられないからこその強い衝動。
自分でも強すぎると感じるこの感情は、まだ幼い良守には毒だ。
大切な弟を自分が壊したりしないように、いつだって細心の注意を払う。
だからこそ感情をぶつけすぎないように、せめて頻繁に会いに来る事くらいは許して欲しい。
腕の中の弟の髪を何度も梳いていると、良守が顔を上げた。上目遣いに睨まれる。
尖らせた口にキスしたいなぁと思っていると、その口が開かれた。
「…会いたいって思ってるのが、兄貴だけだと思うなよ。」
顰めっ面で言われた台詞はとんでもなく甘い。
驚いて見詰めていると、恥ずかしさに耐えきれなくなったのか、フイっと顔を背けてしまう。
本当にどうしてくれよう、この可愛い生き物。
そろそろ離せと腕の中で良守が暴れ出した。
斑尾が戻ってくるだろ、という良守の言葉にふむ、と頷く。
じゃあ離すからお前の部屋で待ってて良い?と聞くと、良守の顔が真っ赤に染まった。
視線を彷徨わせ、どうしようかと思案しているのを眺めて待つ。
何度か躊躇った後、これ以上は赤くなれないだろうというくらいに真っ赤な顔で、弟は小さく頷いた。
とてつもなく素直じゃないこの恋人は、それでも最後には俺の我が侭を受け入れてくれる。
許されている。他の誰でもなく、お前に。それがどれほど俺を支えているのか、きっとお前は分からない。
名残惜しいけど腕を弛めるとスルリと抜け出した小さな体。
待ってるよ、と笑いながら言ったら、早く行けと手で払う仕草をされた。弟は本当に照れ屋だ。
本当は斑尾だって気付いてると思うんだけどな。あれは人の心の機微には敏感だから。
でもそれは良守には教えない方が良いんだろう。斑尾もわざと気付かない振りしてくれてるみたいだし。
じゃあ後で。そう言って空中に結界を張り、烏森をあとにした。
いくつかの結界を踏み越えて、少し遠くなった烏森を背後に見る。
夜の闇にぼんやりと白く浮かび上がる校舎。その中にいる、今は見えなくなった弟に向かって微笑んだ。
なあ良守、俺、お前の事本当に好きなんだ。
2007.6.18