−We'll Be Together Again−






その喫茶店は、市街地から少し外れた所にあった。

たまたま通りかかった時、シックな外観が気になってフラリと立ち寄ってみたその店は時間帯のせいか人は疎らだったが、外観通り中も落ち着いた心地よい雰囲気だった。店内にはクラシックとジャズが交互に流れている。甘味が大好きな正守はよく喫茶店に行くが、たまにはこういう雰囲気の店でゆっくりコーヒーを飲むのも良いなと思いながら、やはり甘い物好き、入り口のショーケースに飾られていた数種類のケーキが気になった。
洋梨のタルト・フレーズ、ショートケーキ、ミルクレープにレアチーズケーキ。
どれも美味しそうだったが、一番目を惹いた洋梨のタルトを紅茶と共に注文する。
ウェイターが運んできたケーキセットは、あまり洋食器に興味のない正守も名前を聞いた事のあるブランドの物で、さり気ない絵柄が上品で好感が持てた。何よりタルトが良く映える。
見た目にも楽しんだ後、一口タルトを食べて正守は驚いた。これは…美味い。
和服を好んで着る為和菓子好きと思われる事の多い正守だが、実は結構な洋菓子好きだ。もちろん和菓子も同じくらい好き。要するに甘いもの全般大好きだ。
だから夜行の本部、裏会の本拠地から行ける範囲の菓子屋は大抵行ったし、仕事で出張した時にはネットや雑誌で気になる店を見つけては足を運ぶようにしている。
だがこのケーキは、そうして食べたタルトの中では段違いで美味い。
サックリとしたタルト地からは、アーモンドプードルとバターの香りが口内に広がる。これは発酵バターだろうか。とにかく風味が良かった。有名店のタルトに絶対に負けてないと正守は思う。


感心しながら何気なく店内を見渡すと、カウンターでコーヒー豆を詰め替えていたマスターらしき男性と目が合った。にこりと微笑まれて釣られて小さく笑って返してから、気になった事を聞いてみる。

「このケーキ、こちらで作ってるんですか。」

正守の言葉に、男性が頷く。

「ええ、ここで出せる分だけ用意させて頂いてます。」
「ここのデザートは全部、マスターの手作りなんですよ。」

横から先程のウェイターが楽しそうに言うのに、正守はさらに驚いた。

「あなたが作られてるんですか?」
「ええまあそうです。」

純粋に驚く正守に照れたように返すマスター。割合がっしりした体格に顎髭を生やしていて、美味いコーヒーを煎れてくれそうな風格はあるが、可愛らしいケーキとはギャップがあった。

「皆さん私がケーキを作ると言うと驚かれるんですけどね。コーヒーや紅茶を煎れるのも好きですが、お菓子作りはもっと昔、子供の頃から好きだったものですから。」

この店は趣味と実益を兼ねてます、とマスターが笑って言うのに正守も笑って答える。

「良いじゃないですか。それで客は美味いケーキが食えるわけだし。俺も見た目こんなだから、甘いものが好きだと言うと驚かれますよ。」

正守の言葉にマスターが楽しそうに笑った。お互い見た目で苦労しますね、と戯けて言うのに、本当にね、と正守は肩を竦めて返しながら、もう一口タルトを食べた。

「それにしても、本当に美味い。」
「はは、ありがとうございます。」

純粋な賛辞に、マスターが嬉しそうに礼を言う。その姿にふと弟の影が重なった。
お菓子作りが子供の頃から趣味だったというマスターは、良守を思い出させる。
実家に帰った時、良守がお菓子を作る所は何度か見た事があった。三角巾にエプロンというおよそ男子中学生らしからぬ格好で、喜々として台所に向かっていた。あの様子を見れば、本当にお菓子作りが好きなのだなと分かる。


ーこんな風に、好きな菓子作りを職業にして暮らしていく事が、あいつにも出来たら。


烏森さえ無ければ、と思うのはこういう時だ。何も菓子職人でなくとも、あの家に、というより正統継承者として生まれなければ、弟には色んな可能性があったはずだ。
昔と違い、今の良守は結界師としての自分を受け入れている。だがそれは、身近にいる人を(主に時音を)守りたいという思いからだ。
しかしいつか、力を振るう事、妖を滅ぼす事に疑問を持つ日が来るかも知れない。
術師として妖と相対する。それは妖とはいえ命を奪うという事だ。
それでもまだ妖相手なら良い。だが場合によっては、妖混じりという「人間」と対峙する日が来るかもしれない。自分だって限を捕らえる時は辛うじてだったし、あれが完全に妖化していたらどうしていたか…。
そんな立場になった時、優しいあいつが苦しんだり傷ついたりする事を正守は恐れていた。何よりその命まで危険に晒しかねない。
良守が烏森に好かれているといって、相手があの化け物である以上、全面的に安心など出来ないのだから。



いつの間にか考えに没頭していたら、紅茶はすっかり冷めてしまっていた。渋みも少なく香りも良い、丁寧に煎れられた紅茶だったのに。
少し申し訳ない気持ちになっていると、店内に流れていたクラッシックがジャズへと切り替わった。聞き覚えのある曲のワンフレーズが耳にとまる。耳を傾けながら、残りのタルトを口にする。

  −We'll Be Together Again−
繰り返されるその歌詞を胸の中で呟く。


  何れの日にか、何れの道でか。
  これから先、人生には長い道のりがあるのだから。
  別々の道を行くことは別れじゃないのよ。
  だから、私たちはいつかまた、きっと一緒になれるわ。


以前聞いた事のある曲。その時は男性ヴォーカルだったが、これは若い女性らしい。同じ歌詞なのに女性が歌うと印象がだいぶ違うせいか、脳内では勝手に女性口調で訳されてしまう。
  

  これから先、人生には長い道のりがあるのだから。
  別々の道を行くことは別れじゃないのよ。


耳に残るフレーズ。同じ結界師でも、墨村の家を出て裏会に入り、自ら夜行という組織を作ってそこで生きる事を選んだ自分と、烏森の地を守る正統継承者として生まれた弟。その道は決定的に違い、交わる事はないだろう。自分で選んだその道を後悔はしてない。納得出来ていないのは、弟が歩まされるだろう道だ。これから先の長い人生をあの烏森に囚われたままだなんて、そんな理不尽な話、納得出来るはずがなかった。

烏森を守護して生きる、多分繁守や時子はそれを不当な事だとは考えた事もないのだろう。正統継承者として、結界師としての誇りがあるから。良守自身も不当だとか、自分が囚われてるとは感じていないと思う。そう思うのは継承者ではない自分の感傷に過ぎないのかもしれない。だけど良守には忘れないで欲しかった。まだ14歳のお前には、たくさんの可能性があるのだということを。
今更同じ道を歩きたいだなんて思わない。ただ、弟には後悔の無い道を歩いて欲しい。



曲が終わり、別の曲がかかった事で思考は途切れた。どうも最近弟の事を考える事が多い。それは弟の事を考えるのが苦痛ではなくなったからだ。
以前あった苛立ちは、想いを受け入れた事で綺麗に消え去った。エゴかもしれないが、今はただ、自分があいつの為に何を出来るのかをいつも考えている。
軽く息をついた所で懐に入れた携帯が鳴った。見ると刃鳥からの連絡メール。
そろそろ帰らなくては。今日は久しぶりにゆっくりできた気がする。
テーブルを見渡すと伝票はなかった。カウンターのマスターに声をかける。

「会計をお願いします。すっかり長居してしまいました。」
「気にしないで下さい。ここでは男性客にもゆっくりケーキを食べて欲しいと思ってるんです。甘い物を扱う店だと女性客が多くて、男性客が居辛いですからね。」

そう言いながらカウンターを出てくるマスターの言葉に、正守は以前春日夜未と喫茶店に入った時の事を思い出した。あまり正守は気にする方ではなかったが、夜未は「あんた、浮いてるわよ」と言ってたっけ。

「でもここのケーキなら、居辛くても居座って食べたいですけどね。」
「そう言って頂けると嬉しいですよ。」

880円です、と言われて千円札を渡しながらレジの下のショーケースに並ぶケーキを見て、ふと思いついて聞いてみた。

「ここのケーキはテイクアウトはしてないんですか?」
「ああ、申し訳ないですがテイクアウトはやってないんです。そこまで広げると、手が回らなくなるものですから。」

本当に申し訳なさそうに言うマスター。成る程、これだけ美味しいと、テイクアウトしたいという客は多いだろう。だがそれをしてしまうと、喫茶店業務との両立は難しくなる。ケーキだけをやりたい人間なら最初からケーキ屋にしてるだろうし、コーヒーを煎れるのも好きだと言っていたマスターなら、そうせざるを得ないだろうなと納得した。だが残念なのは変わりない。

「それは残念だ。次に実家に帰る時の土産にしたかったなぁ。」
「ご実家ですか。」
「ええ、実は弟がお菓子作りが大好きで。ここのを食べさせてやりたいと思ったんですが…。いつか連れてきてやりたいな。」

正守の言葉にマスターは少し考えて、それからおつりと共に小さなカードを正守に手渡した。店名と住所連絡先が印刷されたクリーム色のカード。

「じゃあ、次に実家に帰る時は、数日前に連絡して下さい。果物を使ったものだと時期がありますが、物によってはお作りしますから。」
「…良いんですか?」
「他のお客様には内緒にして下さいね。特別ですよ。」

同じ顎髭仲間としてね、とマスターは悪戯っぽく微笑む。それに小さく笑いつつ、有り難いので素直に厚意を受け取る事にした。

「じゃあ、お言葉に甘えて次に実家に帰る時にはお願いします。と言っても弟に食べさせるのは、俺がここのケーキを一通り食べてからですけど。」
「そうなると後最低5回は来る事になりますよ。今日は4種類でしたが、スフレチーズケーキとガトー・ショコラもよく作るんです。」
「それは楽しみだ。近い内にまた来ます。」
「お待ちしています。」

マスターに見送られて扉を開けた。カランとドアベルの音が軽やかに響く。
ケーキが美味いだけでなく、店の雰囲気もマスターも良かった。今日は良い店を見つけたなと、正守は上機嫌で歩き出す。
本当は刃鳥達にも食べさせてやりたいけど、そこまで何度も甘えるのも申し訳ない。機会があれば連れてくることも出来るだろうしと思い直す。
それよりもここのケーキを食べたら、きっと良守は喜ぶだろう。その様子を想像して、正守は口元を綻ばせた。






2007.6.13

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