不機嫌の理由



久しぶりに帰った我が家。会いたくて仕方なかった相手にようやく会えたというのに、当の相手は何故か機嫌が悪かった。


「良守・・・?」

恋人同士という関係になって以来、こんな風に不機嫌も露わな良守というのは珍しい。以前、帰ってくる度に露骨に嫌そうな顔を向けられていた頃を思い出して何やら懐かしい気もする。
だがせっかく会えたのだ。どうせなら笑顔だって見たい。

「何かあったのか?」

努めて穏やかに、良守が弱い甘さを含ませた声で呼びかけると、その顔に少しだけ朱色が混じる。そのまま勢いよく抱きつかれた。

「よ、良守!?」

不機嫌だった良守の意外な行動に正守は慌てる。ギュウギュウと抱きつく、というよりしがみつかれて呆気にとられたが、突飛な行動にも何かしら理由があるはずだ。これは時間をかけて聞き出すしかないかな、と覚悟した正守だったが、胸元に顔を押しつけた良守がボソリと呟いた。

「・・・でかい。」

え、と思わず聞き返す。言われた内容が掴めない。すると良守がバッと顔だけを上げた。

「でかいって言ってんだよ!」
「・・・って言われても。」

言いながら益々しがみついてくる良守に正守は途方に暮れそうになった。なんだろう、とても今更な事を言われてる気がする。
どうするかな、と内心思案しながら宥めるように背を軽く叩いてやると、少しだけ落ち着いてきたのか良守の腕から力が抜けた。チャンスとばかりにもう一度優しく声をかける。

「どうしたんだ?話してみろ。」

正守の言葉に、良守はしがみついた指先にキュッと力を込めた。

「・・・ここ最近、背が伸びたんだ。」

言われた言葉に正守は目をぱちくりさせた。

「うん、それは俺も気づいてたけど。」

時々しか会えないが、愛しい者の成長に気づかない正守ではない。目に見えて、という程の急激なものではなかったが、この所良守の背が伸びてきているのには気づいていた。
だがそれは、良守にとってとても喜ばしい事のはずだ。どうしてそれがこの不機嫌に繋がるのか分からない。
区切り区切り話す良守に、正守はその都度頷きながら応じる。

「そしたらさ、制服がきつくなって。」
「そうだろうなあ、それで?」
「そんで父さんが、仕舞ってた兄貴のお下がりを出してくれたんだけど。」
「うんうん。」
「それがやたら綺麗なんで、何でだろうって思って聞いたら。」
「うん・・・?」
「『正守ね、入学してすぐにいきなり背が10cm伸びたんだよ。だからこれ、半年も着てないんだ』って。」
「・・・・・・・・。」
「って事はあの制服、兄貴が中1の頃のって事だろ!何でそれが今俺が着れるんだよ!!」

ずるい、詐欺だと言われましても、あ〜・・・と内心嘆息するしかない。
掴んでいた正守の着物を引っ張りながら癇癪を起こす良守の不機嫌の原因が自分にあったと分かり、今度こそ正守は途方に暮れた。

父さん、ちょっと恨むよ・・・。

ここにいない父にまで恨み言を言いたい気分だ。彼らの父はとても優しく普段は細やかな気遣いのできる人だが、素直すぎる所もある為時々ポカっと天然な事をやってくれる。今回はまさにその素直さが裏目に出てしまった。

とはいえ、いくら自分のお古が原因としても正守にはどうしようもない。八つ当たりだという事も良守自身わかっているだろう。しかし良守が背の低さを気にしていた事は知っているだけに、正守としても大いに困った。そうでなくてもこの年頃に背の問題は重要事項だ。

「大丈夫だよ。男の成長期ってばらつきがあるからさ。ここ最近伸びてきたって事は、今からどんどん伸びるって事だよ。」

ポンポンと背を叩きながら宥めるよ、良守が口を尖らせながらも正守を見上げてくる。うっすらと赤く染まった頬が可愛らしい。

「父さんも母さんも背は高いし、兄弟の俺がこんだけ背があるって事は、まったく同じ遺伝子受け継いでるお前だって高くなるに決まってるだろ。」
「そ、そうかな。」
「そうそう。だから心配するな。」

微笑みながら言えば、少しは安心したのだろう。良守の表情がほんのりと和らいだ。正直、兄弟だからって同じように背が高くなるとは限らないとは思うのだが・・・、まあそれはあえて触れない方向で。

「そうだ、お下がりが嫌なら父さんに言おうか?俺が新しいの用意してやるけど。」

良守はあまり何かを欲しいとねだる事はない。それは服に限った事ではないが。
たまにはちょっとくらいの贅沢も良いだろうと思い提案してみたのだが、良守は正守の言葉に驚いたように目を見開いた。そして慌てたように首を振る。

「そんな必要ねーよ!別にお下がりが嫌だったわけじゃないし!!」
「そうか?遠慮しなくてもいいんだぞ。」
「遠慮なんかしてねーって!だって、・・・っ。」

何かを言いかけた良守だったが急に口に手をあて固まってしまった。その仕草はどう見ても、何かマズイ事を言いかけて慌てて口を噤んだ、としか見えない。

「良守?今何を言いかけたんだ?」
「な、何もっ!」

そう言いながらジタバタと腕の中から逃げ出そうとする良守を、正守はかえってしっかりと抱き込んでしまった。こうなると良守には簡単には抜け出せない。

「何もって事はないだろ。『だって』の続きは何だったんだ?教えろよ。変な事でも怒らないからさ。」

そう正守が促すと、良守はしばらく「う゛ー」と唸りながら躊躇っていたが、やがて一度だけ溜息をついて渋々ながら話し始めた。

「お下がりは嫌じゃねーんだ。だってあれ、兄貴が着てたやつだし。むしろちょっと、その、嬉しいっていうか。なんか、着てると兄貴が傍にいるみたいな感じがして。」
「・・・・・・・・・・。」
「あ、女々しいとか思ってるんだろ!俺だってちょっとそう思うよ!だけど・・・っ、って兄貴どうしたんだよ、具合でも悪いのか?」

恥ずかしさから真っ赤になりながら必死に弁解していた良守だったが、急にパタリと自分の肩に顔を埋めた正守の体が小刻みに震えているのに気づくと、心配になって背に手をまわしてさすった。

「大丈夫か?横になった方が良いならすぐ布団敷くから、んっ、んんんー!?」

とりあえずと正守から身を離そうとした良守だったが、少々強引にその身をまた抱きすくめられたかと思うといきなり口を塞がれた。一瞬何が起こったか分からなかったが、馴染んだ感触にすぐ正守にキスされたのだと気づく。
何で、とか具合悪かったんじゃなかったのか、とか疑問は浮かんだけれど、いつもよりちょっとだけ荒々しい激しい口づけにすぐ思考がぼやけてしまった。

「ーーーっん、はぁっ。」

ようやく唇を解放された良守は、翻弄されすぎて足りなくなった酸素を補給すべく大きく肩を揺らし息をする。
そんな良守を正守は軽々と抱え上げ、部屋の隅に置かれた布団を器用にも足で広げて敷き、その上に良守を寝かせてしまう。その間、息をするのに忙しかった良守は、展開についていけずにぼんやりと自分に覆い被さる正守を見上げていた。だが呆けていた頭が、近づいてきた正守の顔を見て一気に覚醒する。

「ちょ、ちょっと待てよ兄貴!まだ夕方だぞ!」

状況を考えれば兄が何をしようとしているかは明白だったが、今はまだ家族も起きている時間帯だ。こんな日も落ちきっていない時間に抱かれた事はない・・・、とは言わないけど回数は少ない。それは大っぴらにできる関係ではない以上、気をつけてしかるべき事だった。
いきなりの展開についていけず慌てる良守に、正守はにっこり笑いかけた。そして部屋全体に結界を張ってしまう。

「これで問題ないだろう?」
「いや、問題ありだって!どうしたんだよいきなり!」
「いきなりって言うかさ・・・。お前があんな可愛い事言うからでしょ。」
「か・・・っ!?」

わいい、って。続く呟きは口だけがパクパクと動いて声にはならなかった。自分が何を言ったというんだろう。我ながら女々しい事を言ったとは思ったけど、かわいいと言われるような事を言った覚えはない。
そんな事を考えてる間にも、兄の手は当然のように良守の衣服を乱しにかかっている。

「おい、兄貴落ちつけって!」
「やることやれば落ち着くよ。それまでは無理。」

Tシャツの裾から入れた正守の手が良守の素肌に触れる。その微かな感触に良守の指先がピクリと動いた。
そんな良守を正守は目を細めながら見つめ、そっと髪を撫でる。

「今すぐお前が欲しい。」

許してくれるか、と訊ねる正守の顔は真摯で、その眼差しに宿る熱に気付き良守は真っ赤になるしかない。こんな風に己にとって一番弱い表情を見せられて誰が拒めるだろう。

「・・・許すとか許さないとかじゃねーだろ、バカ兄貴。」

そう言うと良守は腕をいっぱいに伸ばして正守にしがみつき、その首筋にちゅっとキスをした。その可愛らしい仕草に正守が嬉しそうに微笑む。

結局、どーしようもないよな俺達って。

加減しながらかけられた正守の体重を愛しく受け止めながら、良守はそっと目を閉じた。





その日の晩、少々張り切りすぎた正守のせいで、良守は烏森へ行く事ができなかった。
ご機嫌なまま良守の代わりに烏森に出かけた正守とは対照的に、枕を抱えてじっとしているしかない良守は、「バカ兄貴クソ兄貴絶倫兄貴」と布団の中で恨み言を繰り返すのだった。



2011.9.22


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