ぬいぐるみ狂想曲




「・・・これ、なに?」

目の前に差し出された「とある物体」を指差しながら、良守はそれを持って笑みを浮かべている兄、正守を見上げた。
とうの昔に家を出て普段は遠い地で暮らしている兄が帰って来て、寝ている良守の部屋に乱入したのがつい5分程前の事。
まあそれ自体は構わない。どうせ夕飯前の軽い仮眠だ。兄がちゃんと帰宅するのはそう頻繁ではないのだから、たとえ急な帰宅で良守が寝ていても起こせと言ってある。
だから問題なのは起こされた事ではなくて、「良守にお土産」と言って兄が己に渡そうとしている目の前の物体だ。

「見てわかんない?」
「物はわかるけど意味がわかんねーっての。」

何しろそれは見るからにふわふわもこもこで真っ黒なーうさぎのぬいぐるみなのだ。しかも結構大きい。
どう考えても中学生にもなる男の自分への土産になるような品じゃない。

「・・・利守へのお土産・・・とか?」

言ってて自分でも違うとは思いつつ、少しの可能性にかけて言ってみる。なのに兄はハハハと軽く笑い飛ばした。

「利守はこういうの興味無いだろ。持ってたら可愛いだろうけどクールすぎて似合わないし。」
「ちょっと待て!俺だってぬいぐるみになんて興味無ねぇ!!第一似あってたまるかぁ!」
「えー良守は似合うよ。ほら、可愛い。」

にこやかに笑いながら正守はぬいぐるみを持ち上げ良守の胸元に当てた。

「って言うのは冗談にしてもさ、お前子供の時これによく似たぬいぐるみ持ってたんだよ。覚えてない?」
「え?」
「3歳くらいまで家にあったかなぁ。俺が夜に烏森に行ってる間とか、それ無いと眠れないくらい大のお気に入りでさ。あんまりボロボロになったんで捨てられた時は、大泣きした上しばらく拗ねちゃって大変だったな。」
「・・・そんなん覚えてねー。」

決まりの悪い思いで良守は唇を尖らせた。3歳の頃の記憶なんてもう曖昧だ。でも兄が言うからには本当なのだろう。
本人が覚えていない幼少時のあれこれなんて蒸し返されても恥ずかしいだけだ。

「で、帰りにお土産物色してたら偶然これ見かけてね。あんまりそっくりだったんでつい買っちゃったんだよ。」

うさぎの首についているリボンを結び直しながら、正守は楽しそうに言った。そのどこか懐かしむような優しい表情を見ていると怒る気も失せていく。
途中すれ違いや誤解があったけど、兄が兄としてあの頃の良守を可愛がっていてくれた事は知っている。良守は後頭部をカリっと掻いた。

「だからって中坊にぬいぐるみはないだろ。部屋に置いといても不気味だって。」
「そんな事ないよ。大体良守の部屋に入るのって父さんくらいだし見られても平気じゃない?」
「その父さんに見られるのが問題なんだって!それに万が一爺でもに見られたら、『この軟弱者がー!』って怒鳴られるのが目に見えてるだろ!」
「あ、それなら大丈夫。さっきお前が寝てる間にみんなに居間でこれ見せたけど、お祖父さん笑ってたし、お父さんは懐かしんで目をうるうるさせてたぞ。」

だから部屋に置いても問題なし、と言われても。父さん、お願いだから止めてくれよと良守は肩を落とした。そんな良守を見ながら正守も苦笑する。

「まあぬいぐるみだと思うと抵抗あるだろうけど、抱き枕かクッションと思ってみろよ。実はこれ、肌触りが物凄く良くて気持ちいいんだって。」

ほら、と頬に押し付けられたその感触に良守も目を見張った。ふわりと柔らかく温かい、今まで触れた事の無い感覚だった。

「なんだこれ、めちゃくちゃやわらけー・・・。」

夢見心地な表情でうっとりと言う良守に、正守は内心ガッツポーズする。良守は昔からこういう柔らかい物、感触の良い物に極端に弱い。眠気を誘うような物なら尚更だ。
きっと今良守にとって、それがうさぎの形をしている事も些事になっているに違いない。それが証拠にもうすでに正守が支えなくても良守自身がうさぎを手に持っている。
嬉しそうにうさぎのぬいぐるみに頬摺りする良守は想像以上に可愛かった。
あー写メしたい、と思いながらも口には出さない。そんな事を言おうものならせっかく機嫌が良くなってきたというのに怒らせるだけだ。

「な、触り心地最高だろ?」
「・・・うん。」
「きっと抱き枕にして寝たらぐっすり眠れるぞ。試すだけ試してみろよ。」
「うー、まあ試すだけなら・・・。」

そう言いながら良守の手は、無意識なのかうさぎの頭を撫でている。
これは相当気に入ってるなと正守はこっそりとほくそ笑んだ。







「結、滅!」

ふよふよと浮かぶ蛾のような妖を結界で滅し、良守は一息ついた。その後を斑尾が追いかけてくる。

「斑尾、他にいそうか?」
「もういないよ。今夜はこれでお終いかもね。」

斑尾の言葉に良守は肯いて、足場となる結界を作りそれを駆け上がって屋上に上る。ぐるりと見える範囲で校庭を見渡しても特に異常は見当たらない。
これは帰っても良さそうだ。時音も帰る準備をしている頃だろうか。
そう考えながらその姿を探して下を覗き込んでいると背後から声がかかる。

「良守。」
「兄貴!」

名を呼ばれ慌てて良守が振り返ると、数メートル上空に兄の姿があった。そのまま兄が結界から飛び降りてくる。

「なんだ、来てたのか。」
「んー、まあね。そういや時音ちゃん、もう帰ったぞ。さっき校門近くで会った。」
「そっか、じゃあこっちも帰るかな。あ、そうだ荷物取ってこねーと。兄貴先に門のとこ行っててくれよ。」
「一緒に行こうか?」
「大丈夫、すぐ追いつくから!」

そう言うと良守はディバッグを取りに結界を作って降りていった。その後ろ姿を眺めている正守に斑尾が近づく。

「珍しいね、斑尾から俺に近づいてくるなんて。」

横に浮かぶ斑尾に面白そうに言う正守に斑尾が目を細める。

「ふん、私だって近づきたくはないけどね。一言忠告しとこうと思ってさ。」
「忠告?」
「あんまり自分ちでコソコソした真似するなってことだよ。」

斑尾の言葉に、正守はおや、という顔になった。それから待ち合わせの校門に向かうべく作った足場を降りながら斑尾に答える。

「もしかしてばれてた?」
「私の寝床の真横を通っておいて、ばれてないなんて思ってないだろうに白々しい小僧だね。」

まったく可愛げがないったら、と付いてきながらも不機嫌に言う斑尾に正守も苦笑するしかない。

「俺に可愛げがあったらもっと嫌じゃない?自分で言うのもなんだけど気色悪いと思うよ。」
「確かに見たかないけどね、そんなあんたは。」
「酷いなー。」

面白げに笑う正守に、斑尾は一つの疑問を口にした。

「前触れ無しに帰って来てこっそり部屋に入るのはともかく、数分で出てくるっておかしいだろう。良守だっていたのに起こしもしないなんて。」

一体何をやっていたんだと訝しげに見る斑尾に、門柱に凭れた正守はニヤリと笑ってみせた。

「写真撮影だよ。」
「は?写真撮影?」
「というか正しくは写メなんだけどね。この間帰省した時に良守にうさぎのぬいぐるみ上げたんだけど、俺の前だとそれ抱っこまではするんだけど写真には撮らせてくれないからさ。
俺がいない時で、かつ寝てる時ならきっと抱き枕にしてると思って狙ってみた。そしたらもーバッチリでね。見てみる?最近機種変したからカメラ画質最高だよ。」
「別に興味無いよそんなもの。」
「そう?可愛いのに残念。」

本気で少し残念そうな正守に、そんなもの見せられたらついでに惚気られてしまうと斑尾は頭を振った。いや、もうすでに惚気か。
そして正守が人目を忍んで、しかも良守にも内緒で部屋に忍び込んだ理由の、あまりなアホさ加減にもう呆れるしかない。それが真剣そのものなら特に。

「・・・あんた、意外におバカだったんだね。」

しかも色惚けだ。むかしは小賢しいくらいに早熟で切れ者で、ストイックな雰囲気だったものだが、短期間でこうも変わるのだろうか。
呆れたように言う斑尾の言葉に、正守は笑ってみせた。

「欲しくて欲しくて、でも手に入らないと諦めてたものが手に入ったんだ。多少バカになるくらいは許して欲しいね。」

良いじゃないの、誰にも迷惑かけてないしと楽しげな正守に、良守以外にはね、と思った斑尾だったが。
当の良守自身もきっと迷惑だなんて思わないんだろうと思い直して。まあ当事者二人が幸せなら口出しするのも野暮ってもんかねと溜息をついた。





2010.2.10

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