フェティシストな彼ら
カタコトと、静かな室内に小さな音が広がる。その発信源である兄と指先を良守はじっと見ていた。 ノートパソコンの画面にはたくさんの文字が並んでいる。どうやら何かの報告書のようだ。 機械物に疎い良守にとって、パソコンを操る正守の指の動きは早くて理解不能で、でも面白い。こんな風にキーボードを叩いて字が書けるなんて凄いと思う。あんまりやってみようとは思わないけど。 飽きることなく見ていると正守が手を止めて横にいる良守を振り返り、なあ、と声をかける。 「見られてるとやりにくいんだけど。」 「気にすんなよ。俺は気にしないし。」 「や、それお前が言うべき台詞じゃないから。」 はぁと小さな溜息一つと同時に肩を落として正守が言う。それでも良守は動く様子はなかった。諦めたように正守は出来るだけ隣の弟を意識しないように努めながら、目の前のノートパソコンでの作業に戻る。 休暇で実家に帰って来て2日目の事。学校から帰ってきた良守が、正守の部屋で眠ってしまったからその間にやれる雑務はやっておこうと思っただけで、正守としては良守が起きたのなら仕事をするより良守と話すなり修行に付き合うなりしていた方がよほど良いのだ。 それなのに何故か良守は「続けて」と言ったっきり、妙に真面目な顔で正守とパソコンを凝視している。 「こんなの見てたって暇だろ?」 「いや、全然。」 意外に結構面白い、と言われても作成しているのは報告書だから堅苦しい文章だし、とてもじゃないけど見ていて面白い内容ではないのだ。 「お前もやってみたいとか?」 この年頃ならパソコンに興味を持ってもおかしくない。だがそれは普通の中学生なら、の話だ。そもそも良守は携帯にだって興味がなかった。 あの神佑地で渡した携帯も最初はいらないとすぐ返されそうになって、でも今後色々と必要になるからと無理に押し付けた。その後こういう関係になった後は納得して持ってくれてるけれど、電話に出たり自らかけたりするだけじゃなく、メールを自在に操れるようになるまでだって大変だったのだ。 そういう過去を思えば良守がパソコンに興味を持ったとは考えにくかった。案の定画面を見つめたままの良守にあっさりと否定される。 「別にパソコン使うような用事ないし。」 「ネットしてみたいとか。」 「めんどくせー。そんな暇あったら修行するか寝る。」 「…だろうなぁ。」 何とも良守らしい返事に正守は肯いた。 戸惑う正守の手が完全に止まる。すると真っ直ぐ画面を見ていた良守がひょいっと顔を上げた。 「まだ途中だよな?」 不思議そうに言われた正守の顔が何とも言えないものになった。確かにまだ途中ではあるのだけど、もうこれ以上書けそうにない。 そのまま無言で操作するとパソコンの電源を落とした。軽やかな音の後画面が真っ黒になる。 「あー、何で切っちゃうんだよ。」 正守はパチリとパソコンを閉じながら、不満を顕に口を尖らせる良守を向いた。 「だから見られてるとやりにくいんだって。急ぎな訳じゃないし今日はもうお終い。」 「何だよ、兄貴のケチ。」 「ケチってお前ね…。」 どうにも要領を得ない。パソコンには興味が無い、なのに見ていて面白いとはこれ如何に。 弟の思考は時として正守の理解不能な域にまで達するのだけど、今日はまさにそんな感じだ。 「じゃあ何が面白いのか説明してよ。納得できたら続けるから。」 正守の言葉に良守は目をパチクリさせてから小首を傾げる。その様子から、本人もどこら辺が面白いのか分かっていない事を悟った。 こめかみをポリポリ掻きながら考えていた良守だったが、何度かパソコンと正守とを見比べてからなんとなくだけど、と前置きして話し始めた。 「なんかさ、キーボード打ってるの見てると不思議な感じするんだよな。」 「不思議?それって俺がパソコンやるのが不思議って事?」 まあこの家に住んでいた頃は正守はまったくパソコンなんて使った事が無かったし、良守だってそういう姿を見ていないから分からないでもない。 と思ったのだがどうもそうではないようだ。 「違う、そうじゃなくて…。そっか兄貴の手だ。」 「手?」 「そうそう。兄貴の手っておっきいだろ。指長いし。それがあんな狭い範囲で細かく動いてて、その動きが面白いんだ、多分。」 「多分なのか。」 そういうと良守がコクリと肯いた。その素直な姿を見て、成る程と納得しつつも自覚も他意もまったく無いんだなぁと半ば呆れ、半ば感心する。そういう点はさすが良守だ。 「お前、結構手フェチだもんな。」 「てふぇち?」 「フェチ。フェティシストの略。部分フェチって聞いた事ない?髪とか手とか一部分に執着して性的に興奮する事。」 「え、せ、せいてきこうふんって!」 「まあ、最近は別にそういうのだけじゃなくて、単に好み的な軽い意味でも使われるから。誤用ではあるけどね。」 正守はちょっとだけフォローを入れたが、良守は一気に赤くなってしまった。説明されても言葉の意味はピンとこないのに、漠然とそれが当っているような気がしたのだ。 良守に触れる正守の手はいつも大きくて温かい。自分の手と重ねるとまるで大人と子供の手のようで、コンプレックスは刺激されるけど、それ以上に安心できる。 思い起こせば子供の頃からあの手が大好きだった気がする。大人に撫でられるのは気持ちよくて大好きだったけど、それが兄の手だと特に嬉しかった。 それは兄が昔から特別だったという事だけじゃなくて、兄の手そのものが好きだったからなのだろうか。 「お前さ、子供の頃から俺が何かやってる手先をじっと見る事よくあったんだよね。その頃はそれこそ物珍しさかなって思ってたけど、最近、後とか一緒に寝てる時、無意識にか指を掴んできたりするんだよ。」 後ろから抱きしめて寝ていた時に、回した手を掴まれて暫く弄くられた事もあった。あれも多分無意識だったに違いない。 「俺、そんな事してた?」 そういう事の後は大抵殆どすぐ寝てしまうので、あんまり記憶に残っていない事が多い。でも言われてみるとそんな事をしていたような気もする。 うわあ、と頭を抱えた良守に正守は近づくとその肩を抱いて頭を撫でた。 「まあまあ、俺は良守が手を握ってくれるの好きだし嬉しいよ。だからフェチ大歓迎。俺もフェチだし。」 と、ニコニコ笑って言う正守に、良守は「兄貴もなのか?」と無邪気に聞く。すると正守は笑みを深くした。 「思いっきりフェチでしょ。一部分じゃなくて全身だけど良守フェチ。ああ、もちろん性的な意味の方でね。」 性的な意味、と言われて良守は数拍遅れてからその意味に気付き、うぎゃ!と奇声を上げたがすでに遅し。 正守は嬉々として良守を布団に運ぶと、髪の先から爪先まで、良守のどこがどう好きかを実地付きで説明したのだった。 |
2009.9.16