行動の理由




9日の給食の事。その日デザートに餅入りのぜんざいが出た。明後日の11日は鏡開き。だがその日は日曜で学校が休みだからと今日出されたらしい。
餅入りのぜんざいは美味しかった。家で父さんが作ってくれるのには負けるけど。

甘いぜんざいを食べていると何となく兄を思い出す。兄の正守は良守に負けないくらい甘い物が好きだ。良守が作った洋菓子も、いつも美味しいと食べてくれる。だが夜行にいる時は基本和菓子を食べているらしい。昔は帰省する時のお土産も和菓子ばかりだった。
子供の頃の兄がぜんざいを喜々として食べていた記憶はないが、大福を土産に持ってきたりしてたし、多分こういうのも好きなんだろうな。

そう思うと何だか落ち着かなくなってきた。お菓子作り好きの血が騒ぐ。和菓子はあまり作った事は無かったが、前から覚えたいと思っていたのだ。…主に兄とそういう関係になってからだけど。



家に帰って居間でくつろいでいると、テレビの上に置かれた小さな鏡餅が目に入った。玄関や道場にはもっと大きな鏡餅が、それ以外の数カ所にも手の平より小さな鏡餅が置いてある。近寄ってみると少しひび割れ始めたそれは、幸いまだカビてはいなかった。

「あれ、良守どうしたの?」

テレビの前に佇む良守に、居間に入ってきた修史が不思議そうに声をかけた。手にしていた饅頭とお茶の乗った盆をテーブルに乗せる。良守は顔だけ後ろを振り向いた。

「父さん。これ、鏡開きするんだろ?今年もぜんざい作るの?」
「もちろん作るよ。」
「俺、作り方覚えたいんだけど。一緒に作っても良いかな。」

古くからの風習、季節行事の為に作るというなら繁守だって邪魔はしないだろう。お菓子作りとはいえ堂々と習う事が出来る。良守の言葉に修史は一瞬驚きながらも良いよと微笑んだ。



台所で男二人がエプロンを着けて並ぶ姿は異様だろうな。そんな事を考えながら良守は修史の言う通りに手を動かす。

「最初の茹で汁は灰汁が強いから捨てるんだ。できれば2〜3回は捨てた方が美味しくなるよ。」

せっかくだからと3回煮汁を捨てたあとコトコトと煮る。本当は七輪やストーブで煮るくらいのとろ火が一番良いのだと修史が言う。豆を煮るのに最適な火加減なのだそうだ。

「小豆餡を作るとぜんざいだけじゃなく色々使えて便利だよ。お菓子作りに応用したいなら、今日は餡を作ってみようか。」

そう言って修史は粒餡の作り方を教えてくれた。大量の砂糖と水飴、少しの塩を入れて煮たら小豆と煮汁をわけ、焦がさないように気をつけながら煮汁だけを煮詰めていく。ある程度煮詰まった所でわけておいた小豆を戻して丁寧に混ぜながら更に煮詰めた。

「こうすると、小豆の粒が潰れないで綺麗に残るんだ。ふっくら美味しい餡ができるよ。」

教えてもらいながら作った初めての粒餡は、艶々と輝いていて見た目にも美しい。まだ熱々のそれを食べてみると、いつも父が作ってくれるのと遜色ないくらいには美味しかった。

「やっぱり普段からお菓子作りやってるせいかな。初めてとは思えないくらいに美味しくできたね。」

嬉しそうに褒められて、良守は父さんの教え方が良かったんだと照れながら返した。



小豆餡は冷凍保存できるというので、ぜんざいを作った残りは取っておいてその内お菓子作りに使う事にする。そのためには粗熱をとらなくてはいけない。
時間のできた良守は昼寝でもするかと部屋に戻った。日曜なのでいつもよりは遅めに起きたけど、夜の事を考えるともう少し睡眠をとっておきたい。
あくびをしながら襖を開け、畳んでいた布団を広げた所で机の上に置いてある携帯のランプがピカピカと光っている事に気づく。
この携帯にかけてくるのはたった一人。慌てて開くと1通のメールが届いていた。

『夜、少し時間ができそうだから烏森に寄る。また後でな』

用件だけ伝える簡潔な内容。それでも良守には充分だった。承諾の返信を送ったあと、ふと思い出したのは先程作った小豆餡。せっかくだから兄にも食べさせたい。
パッと立ち上がると本棚に飛びついた。良守が持っている本はその殆どが洋菓子やケーキに関する物だが、何冊かはお菓子全般載っている物もある。いくつかは和菓子のレシピもあったはずだ。
初めて作った小豆餡だから、どうせなら和菓子にしてみよう。
良守は数冊の本を棚から抜き出すと、嬉々としてページを捲り始めた。






「良守。」

遠くから声をかけられて良守は後ろを振り返った。片手を挙げながら歩いてくる兄の元に駆け寄る。

「兄貴。」

目の前の兄の顔を見上げると、穏やかに微笑んでくれた。それが嬉しくて良守の顔にもつい笑顔が浮かぶ。

「ひゃ、冷たっ!」
「あ、ごめんごめん。」

可愛らしく笑う良守を見て、無意識に伸ばした手を正守は慌てて引っ込めた。烏森近くまで蜈蚣に乗って来た為、冬の夜空の冷たい中を1時間近く飛んでいたのだ。体は冷え切っていた。

「何だよ兄貴の手、すっげー冷たい!」

良守は引っ込められた手を追いかけて掴むと両手で包み込んだ。良守の手からはみ出してしまう大きな手は、氷のように冷えている。
いつもはもっと温かいのに。良守は憮然としながらそこに顔を近づけると、ハァ〜っと息を吹きかけた。

「ったく、マフラーや羽織だけじゃなくて手袋もすれば良いのに。あかぎれでも出来たらみっともないだろ。」
「あのな、良守…。」

何度も両手に息をかけては擦ったりして、冷えた手を温めようとする良守に正守はめまいを覚えた。
こういう事意識しないでやっちゃうからこいつは恐いんだ。普段は照れ屋な方だってのに、天然の破壊力って強烈だ。
烏森はまだまだ油断ならない時間帯。押し倒したいけど駄目だよなぁ。こいつもそういうつもりはまったく無いわけだし。正直言えばその気が無くたってその気にさせる事はできるけど、仕事の邪魔をするつもりはない。

正守が内心己と戦っている事など露ほども知らずに懸命に手を温めていた良守だったが、不意に喜色を浮かべて顔を上げる。

「そうだ、あれがあった!」

掴んだままの正守の手を引き、良守は屋上へと駆け上がった。それから屋上の隅に置いておいたディバッグの中を漁る。取り出したのは2つの水筒と紙コップだった。

「なあ兄貴、夜行でぜんざい食った?」

あったかいお茶とぜんざいがあるんだけど、どっちがいい?と聞かれて正守は考えた。

「なんでぜんざい…。ああそっか、きのうって鏡開きだったっけ。」
「うん、だからうちでも食べたんだけど、夜行でも食べてたら続けては嫌だろ。お茶は緑茶だぞ。」
「緑茶もいいけど、せっかくだからぜんざいを貰おうかな。一昨日から仕事で出かけてたから、あっちのは食べてないんだよ。」
「ならよかった。ほら、まだ熱いから気をつけてな。」

差し出された紙コップをありがとうと受けとると、コップの中で少し熱いくらいのぜんざいが湯気をたてている。ほんわりと甘い香りが漂って何とも気分が安らぐようだ。
数回息を吹きかけてから口にしたぜんざいは懐かしい味がした。記憶の中にある父の手作りの味によく酷似したそれは、だが何故か正守の琴線に触れる。

「…うまいな。甘さもちょうど良いし、これならこれくらい軽く飲めそうだ。」
「そっか?あ、でもあとくち用にお茶も飲んどけよ。」

そう言ってもうひとつの紙コップにお茶を注ぐ良守を見て、正守は疑問を口にした。

「もしかしてこのぜんざい、良守が作った?」

正守の問いに、良守が目をぱちくりさせる。

「…父さんの味じゃなかったか?」
「いや、凄く似てる。というか、味自体は父さんの作ったのと変わらないと思うよ。でも何となくそんな気がして。」
「でも気づかれたって事は、どっか父さんのとは違うって事だろ。当りだよ兄貴。あ〜あ、同じにできたと思ったのにな〜。」

爺や利守だって気づかなかったのに、と良守が残念そうに言う。それに正守はもう一度コップの中身を飲んで確認してみた。

「う〜ん…。だから味は同じなんだって。たださ、良守が作った物なら判るんじゃないかな、俺。多分だけど。」
「へ?」

きょとん、と小首を傾げる良守に正守は微笑みながら言った。

「今回はいつもと系統が違ったんで確信は持てなかったけどな。きっと良守が作ったのなら目隠ししてても判ると思うよ。根拠は無いけどね。」

やっぱり愛の力かな、と大真面目な顔で呟いた後、正守は良守の顔を覗き込んだ。

「どう思う?」
「〜〜〜しらねえっ!!」

真っ赤になってそっぽを向いてしまった良守を、正守は背中から羽織で包み込むように抱きしめた。すると照れ隠しからだろう、正守の腕を軽く抓ったりしながら唇を尖らせているが、別に腕の中から逃げ出そうとはしない。

多分だけど、このぜんざいは正守の為に作られたのだろう。以前の良守はケーキや洋菓子はともかく、こういうものにたいして興味を持っていなかった。
そう思うと体以上に心が温かくなったような気がした。そうやって気遣ってくれることも、良守の行動の原因が自分であることもとても嬉しい。

「おいしかったし温まったよ。ありがとう、良守。」

心から礼を言うと良守が体を捻って正守を見上げる。まだ少し赤く染まった頬が可愛らしい。
からかいではなく、本心からの礼であることが判ったのだろう。良守もまた嬉しそうに正守に笑ってみせた。





そうやって暫くの間、二人でぜんざいを食べたりお互いの温もりを感じながら取り留めない話をして穏やかな時間を過ごしていたが、そろそろ正守の帰る時間になってしまった。
名残惜しいが仕方ない。渋々ながら立ち上がった正守に良守がちょっと待て、と声をかけた。

「せっかく小豆餡作ったから、ちゃんと和菓子にもチャレンジしてみたんだ。これ、持って帰って食べろよ。」

そう言いながら良守が取り出した使い捨ての折箱の中には、四角く薄茶色の物が並んでいた。薄皮からはうっすらと餡の色が透けてみえている。

「これ、きんつば?こんなのも家で作れるの?」
「作れるよ。餡のまわりに薄めにといた小麦粉つけて焼くだけだから結構簡単なんだ。最近のフライパンだと油なしで焼けるから楽だった。」

良守の講釈にへぇ〜と感心しながら箱を見る。綺麗に焼けた薄い小麦色のきんつばは見た目にもおいしそうだった。自然と伸ばされた手を良守がペシっと叩く。

「帰ってから食えって言っただろ。ぜんざい2杯の後にきんつばもって絶対食べすぎだぞ。」
「え〜、いいじゃん。1個くらいならすぐ消化するって。」
「ダメだ。ちゃんと持ち帰れるようにしてきたんだから、昼のおやつにでもしろって。」

兄貴はもうちょっと太ってもいいけど胃に悪い、と言いながら、良守はさっさと正守の手から折箱を奪い取り、蓋を閉めて用意していたビニール袋に入れてしまう。
そこまでして渡されると正守としても箱を開ける訳にもいかなかった。時間も無いことだし、ここは良守の言う通りにするべきだ。

「帰ってからの楽しみができたよ。ありがとう。」

正守の言葉に良守は満足そうな顔で肯く。そんな良守を正守はもう一度ギュッと抱きしめた。

「今度はゆっくり帰ってくるから。」
「ん、わかった。でも無理はすんなよな。」

そんな可愛い事を言ってくれる弟に、正守は微笑みながら口付けを落とした。
おやすみ。そう言葉を交わすと身を翻し、どんどん小さくなる背中を見送りながら、次に兄が帰ってくる時までに他の和菓子もマスターしておこう、そう思う良守だった。





2009.8.2

Novel