「・・・にいちゃん?」
そう言って見上げてくるあどけない瞳。あまりに見覚えのある姿に、正守は複雑な気持ちになった。
連絡があったのは夜明け前。それは翡葉からの電話だった。良守が妖の毒により、子供の姿になったという。
正守も以前同じような毒で子供になった事があったのでそれほど慌てはしなかったが、やはり心配ではある。
緊急の仕事が無かったのを幸い、何とか体裁を整えあとを刃鳥に任せて夜行を出た。実家へ着いたのは夜が明け、そろそろ昼食時かという頃。
「ただいま戻りました。」
「正守、お帰りなさい!忙しいのにごめんね。」
出迎えてくれた父と話していると、トテトテと足音が聞こえてくる。廊下からひょっこりと見えた小さな頭。話には聞いていたが本当にそうなってしまったのかと、半ば呆然とする正守の目の前にその子供は近づいてきた。
じーっと見つめてくる目に怯えの色はない。ぱちくりと何度も瞬きを繰り返している。
「良守・・・?」
自分の名を呼ばれてもう一度瞬きした子供は小首を傾げた。
「にいちゃん・・・?」
何とも懐かしい響きで呼ばれ正守は内心動揺する。良守が正守をそう呼んでいたのはせいぜい5〜6歳まで。反抗期と共に「兄貴」と呼ばれるようになってもう長い。
今、良守の目に自分はどう映っているのだろう。見たところ今の良守はおそらく2〜3歳程度だ。その当時自分は9歳。昔から老けていた自覚はあるが、さすがに背も声もまったく違う。
高い背を少しでも良守に近づける為にしゃがみこんだ。
「ただいま、良守。」
怯えないようにと微笑みながら言うと、幸いにも納得してくれたのか良守がにっこり笑いながら飛びついてくる。
「にいちゃんだ!おかえりなさい!」
勢い良く抱きついてきた体を受け止めて、正守は少々複雑な気持ちになっていた。
「まあ、元気そうで一安心しましたよ。」
居間に集まってお茶を飲みながらそう言う正守の言葉に、繁守は大きな溜息をついた。
「元気でも阿呆な事は変わりないんだがのう。あの姿では、叱るに叱れん。」
腕組みしながら言う繁守に正守も苦笑した。確かにあの幼い良守相手では怒る気もしないだろう。それに今回の妖の毒のタイプは分かっているので、元に戻る目処がたっているのでそれほど深刻でもない。
今夜行で解毒剤が作られているが、以前正守に使われた物をベースに作り替えるだけらしい。その辺夜行の医療班の腕は信頼できるから安心だ。
「良兄、ジュースお代わりする?」
正守の膝に座ってご機嫌な様子でジュースを飲んでいた良守のコップが空になっている事に気づき利守が聞くと、良守はにっこり笑って「ありがとー」とコップを差し出した。小さな良守を10歳の利守が「良兄」と呼ぶ様子は異様だが、本人達はまったく気にしていないらしい。
子供になった良守は記憶もその頃まで退行していて、その点が正守の時とは違う。存在を忘れられてしまった利守は当初複雑な気分だったらしいが、すぐに小さな良守に慣れてしまった。
「だって僕末っ子だからさ、弟ができたみたいでちょっと楽しいよ。良兄も僕の事、親戚のお兄ちゃんみたいな感じに思ってるみたいだし。」
ねー、と利守が良守の顔をのぞき込むと、訳も分からず良守がねー、と返す。その様子は確かに可愛らしいし微笑ましい。中身を考えなければの話だが。
何となく外を見れば綺麗に晴れた空が見える。ここで微妙な気分になっているよりもいっそ外に散歩でも行くかと正守は思った。
「せっかく良い天気だし、公園にでも行くか。利守もどうだ?」
「僕も行って良いの?」
「当たり前だろ。良守、兄ちゃん達と公園に散歩に行こっか。」
「うん、いくー。」
喜んで手を伸ばしてくる良守を片手で抱き上げて正守は立ち上がった。急に高くなった視界に良守がはしゃぐ。
「じゃあおじいさん、少し出かけてきます。父さん、そこの公園にいるから。」
「気をつけてね。僕はそろそろ夕飯の準備するよ。」
今夜は御馳走作るから楽しみにね!と腕まくりする修史と腕組みしたままの繁守に挨拶すると、三人は連れだって家を出て公園を目指した。
「良守。あんまりはしゃぐと転ぶぞ。」
花壇に咲いたパンジーに飛んできたモンシロチョウを、一生懸命追いかける良守の後ろ姿に声をかけた正守だったが、その途端良守が見事に転けた。
「あ〜あ、言ったはしから。」
泣き出した良守を起きあがらせて、体についた砂をはらってやる。
「にいちゃあ。」
「ほら泣くな良守。怪我はないだろ?」
涙の滲んだ目元を拭ってやると、ぐずりながらもコクンと頷く。それに微笑んで頭を撫でてやると良守が照れ笑いを浮かべる。あまりの愛らしさに可愛いなぁと和んでいると、背後からプッと吹き出す声が聞こえた。
「・・・利守?」
「ご、ごめん、つい!なんかさ、正兄、まるっきりお父さんみたいなんだもん!」
謝りながらも、利守は口元に手をあてて笑いを堪えている。言われた内容に何とも言えない気持ちになった。
今、正守と良守の年の差は20歳近くある。端から見れば確かに兄弟というよりは親子に見えるだろう。だが良守はれっきとしたというのも変な話だが、正守にとってただ一人の恋人なのだ。親子に見られてもまったく嬉しくない。
ガックリとうなだれていると、正守の手を良守がくいっと引っ張った。
「にいちゃん、げんきないの?」
心配そうに見上げてくる良守に苦笑して、正守はその体を抱き上げた。
「大丈夫だよ。心配してくれてありがとうな。」
そう言うと、良守が安心したように笑う。それに正守と利守もお互い顔を見合わせて笑った。
「それにしても、小さい時の良兄って、随分と正兄にべったりだったんだね。」
家への帰り道を歩きながら、意外だったと言う利守の言葉に、正守はそうだなぁと腕の中で眠ってしまった良守を見た。
利守が物心ついた頃には良守はもう正守に反抗を始めていたし、その後6年間は正守は家を出て滅多に帰っていない。だから年の事を置いても、こんな良守を見るのは初めてだろう。だが幼い頃の良守は甘えん坊で、特に正守に懐いてべったりだった。正守が学校に行くのも嫌がったくらいだ。
学校から帰ると、いつも嬉しそうに抱きついてきたのを思い出す。
「俺たちもだけど良守も幼稚園には通ってないし、周辺に知った子供もいなかったからなぁ。時音ちゃんとも頻繁に遊べたわけじゃないし、父さんも忙しくてほとんど俺が面倒みてたから、小さい頃はこんな感じだったよ。その分反抗期も凄かったけど。」
「お父さんじゃなくて正兄に対して反抗期がきたんだ。正兄も大変だったねぇ。」
そう言って利守は正守の腕の中、安心しきったように眠る良守を見る。そしてあっと思いついた。
「ねえねえ、正兄携帯持ってきてる?」
「携帯?袂に入ってると思うけど。」
正守の言葉に利守はその袂をゴソゴソと探り携帯を取り出した。そしてカメラを起動させると二人に向けて構える。
「せっかくだから正兄にべったりの良兄を撮っておこうよ。後で見せたらおもしろいよ、きっと。」
ピロリロリ〜ン。軽快な音と共にシャッターがきられる。
それに苦笑いしながら、確かに面白そうだなと、良守が元に戻る時がいっそう楽しみになる正守だった。
「と、いう事があったんだな。」
目が覚めたら隣に正守がいた良守は驚いた。兄が帰ってくるなんて知らなかったし、朝だというのに寄り添って眠っているなんていつもならありえない。どういう事だと詰め寄った良守に正守は事の次第を説明した。良守が妖の毒により子供がえりした事、昨夜薬が届いたので飲ませた事、その時一緒にいて、と小さな良守に甘えられたので、烏森から戻った後一緒に眠ったのだと説明されても記憶のない良守は納得しない。そんな良守に正守は携帯の画面を見せた。
「こここここ、これは・・・!?」
そこに写っていたのは正守に抱えられて眠る子供の姿。それは良守にも見覚えのある子供、というより、認めたくないが自分の幼い頃によく似ているというかそのものだ。
「良守は記憶も退行した上に小さくなってた間の記憶もまったく無いんだな。俺の時とは結構違うけど、同じような毒でも妖によって違うって事か。まあ取りあえずそろそろ朝飯だし、居間にでも行く?」
呆然とする良守を余所に、正守は携帯を閉じながら言った。パチンと響いた音に良守が我に返る。
「ちょっと待て!その画像消せよ兄貴!!」
「えー、なんで。せっかくこんなに可愛いのに。」
「かっ、可愛いとか言うな!いいから消せって!」
「イヤだね。大体これ一枚消したって無駄だぞ。利守と父さんが家のカメラでもっと色々撮ってたし。お前が俺のほっぺにチューしてくれたヤツなんか、父さんプリントして飾るって張り切ってたぞ。」
「何だとー!!」
正守の言葉に良守が、父さん早まらないでくれー!と叫びながら部屋を飛び出してしまう。それを見送った正守は懐から一枚の写真を取りだした。
本当は昨夜の内にプリントしてもらったキスの写真。他にも何枚も撮った写真はすでにCDに焼いてもらっている。
夜行に戻ったらちゃんと保存し直さないとな、と思いながら、正守は朝から大騒ぎになっている居間へと向かった。
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