キスの格言






「なあ、そろそろ放せよ。」

腕の中の弟がもじもじと身動ぎする。抱え込む腕をどうにか外そうとしているのが分かる。
だがそんな動きも意に介さず、逆に正守は良守の腹と胸に回した腕に力を込め、ぎゅっと抱き締めた。そんな兄の様子に良守がガックリと頭を垂れる。

いきなり連絡も無しに正守がやってくるのなんて、それが烏森だろうと家だろうと別に珍しい事じゃない。気配を察した斑尾はさっさと見回りに行ってしまった。今夜は割と静かな夜だったし、数体の妖を退治した後は変わった様子も無いから新しい妖が出るまでは休んでいたって構わない。だから兄といる事に依存はないのだが、今夜の正守はいつもとちょっと変わっていた。
やってきた途端抱き付いてきてー、まあそれもよくある事なのだが。そのまま放そうとせず、妖が出ても良守の姿の式神を自ら作りそれに退治させる始末。仕事の邪魔をするなといくら言っても聞かずに引っ付いて、結局そのまま帰る事になってしまった。
家に辿り着いて部屋に入っても正守はくっついている。挙げ句良守を横抱きにして座り込んだ。
こうしている事が嫌という訳ではない。むしろ正守の体温を感じつつ抱き合うのは、心地よくて好きだ。だがどうにも正守の様子が気になって落ち着かない。

「…兄貴、何かあったのか?」

そう尋ねれば、ちゅ、と小さな音がした。髪にキスをされたのだとすぐに気付くのは、それがよくある事だからだ。誤魔化すつもりかな、と一瞬ムッとすれば、気配を察した正守がボソボソと呟いた。

「何かって程じゃないんだけどねー。今日は妖よりも質の悪いの相手にしたもんだから、癒されたくってさ。」

妖よりタチの悪いのって何だろう、とか癒されるって何だ俺はペットかよと言いたい事はあったのだけど、呟いた正守の声が何だか疲れているように聞こえて良守はしんみりとした。
何かこいつって裏会でも偉いみたいだけど、あんだけの人数抱えてやってくには色々苦労もあるんだろうな。
それを思うと無碍にもできなくて、ようやく良守は体の力を抜き正守に身を委ねる。それに気付いた正守が嬉しそうに微笑むが、ぽてん、と正守の方に頭を乗せていた良守にはその表情は見えなかった。

髪を優しく梳く正守の手の温もりが気持ち良くて良守は目を閉じる。同じ兄弟だろうかと思うほどコンプレックスを刺激する高い背と大きな手は、こんな時には良守に安心感をくれる。包み込むようなその抱擁と温もりが愛しいと思えるのは、それが正守だからだ。他の誰かじゃこんな気持ちにはなれない。比べる相手もいないし比べる気もないけど、正守だからこんな風に思えるのだろう。
癒されてるのはどっちだろうと考えながら肩に擦り寄ると、正守が今度は目尻にキスを落とした。それから数度、耳元や鼻先にチュッと触れるだけのキスをする。そのこそばゆい感覚に良守は笑いながら身を捩った。

「ちょ、兄貴。やめろよくすぐったいって。」
「ん。もうちょっとだけ。」

そう言いながらも正守は飽きることなく小さなキスの嵐を良守に贈った。

「あーもー、このキス魔。兄貴ってこういうキス好きだよな。」

意外な事に正守はまるで子供の触れ合いのようなキスが好きだ。もちろんその他のキスは言わずもがなだが。
嫌みも込めて恥ずかしさから気を逸らすように言う良守の言葉に、正守が微笑しながら答えた。

「まあね。こういう他愛もない触れ合いって和むから。そういやキスに色んな意味があるって知ってた?」

意味?と不思議そうに聞き返してくる良守に正守が頷く。

「キスする場所によって意味が違うんだってさ。例えばー。」

そう言いながら正守は良守の手を取ると、軽く口付けする。

「手の上は尊敬のキス。瞼の上は憧憬のキス。額は友情だってさ。これだけは俺達には当て嵌められないな〜。まあ俺達の間では親愛のキスとでもしとこうか。」

続けて瞼や額にキスしながら言う正守は楽しげだった。そして徐に良守の首筋に顔を埋めると吸い付くようなキスを落とす。焦った良守が顔を押し退けようとするのに、正守は平気な顔をしていた。

「ちょっ、痕はつけんな!」
「大丈夫、このくらいじゃ痕にはならないから。それより此処はどんな意味があると思う?」
「え…。そんなのわかんねぇよ。」

唇を尖らせて拗ねたように言う良守に、正守はニヤリと笑った。なんだか見覚えのあるいやらしい笑みだ。

「此処はね、欲望のキス。」

よくぼう?と思わず平仮名で思い浮かべてしまった良守だったが、その言葉の意味に気付いて一瞬固まる。そんな良守の両手を取ると、正守は広げたその両掌に顔を埋めるようにキスをした。

「これが、懇願のキス。」

欲望で懇願。その意味する事は明白で、良守の顔が一気に真っ赤に染まる。正守は良守の両手を包むように持ったままにこにこ微笑んだ。どうかな?と伺うように首を傾げ良守の顔を覗き込む。だがそれだって本当に伺っているわけじゃなく、良守の反応を楽しんでいるという事はわかっていた。断ったりしないという事も知ってるくせに意地が悪いにも程がある。だが結局、そんな兄を許して受け入れている時点で同じだ。

少しだけ躊躇った後、良守は目の前の兄の首筋に顔を寄せその場所に軽く口付けた。ほんのちょっとだけ吸うとペロリと舐める。首筋から強く香る兄の匂いに頭の芯がぼやけてきた。欲望のキスって本当だな、なんて馬鹿な事を考える。

はあ、と熱くなった吐息を吐いて顔を上げると、嬉しそうな兄の顔が目に入った。恥ずかしくて背けようとした顎を掴まれて上向かされると今度は口にキスされた。これもちゅっと触れるだけのキス。

「そしてこれが愛情のキス。やっぱここが一番いいな。」

そのままもう一度唇を重ねると、今までと違う深い口付けに変わった。あっという間に体内の熱を上げられて自分を抱き締める男に縋り付く。そんな良守をそっと布団に横たえると正守はその上に覆い被さった。

「ちなみに、さっきのとこ以外にするキスは狂気の沙汰なんだってさ。確かにそうだよね。」

このまま狂いそうだ、と良守の躰中にキスの雨を降らせながら正守が口の端を上げて笑う。
狂いそうなのはこっちだ、と答える事も出来ないまま、良守の意識は快楽の波に流されていった。











4周年御礼企画その1。リクエストはさやさん

リク内容は

「正良」で「キスの格言(by:グリルパルツァー)」を利用した、「キスをするだけ」の劇甘話。

でした。

本当にキスだけの話になったので、タイトルもそのまま使わせていただく事に。
もひとつ候補があったのですが…。まあこっちの方がしっくりするかな。

一応甘い話になったと思うのですが…どうでしょ?
さやさん、リクエストありがとうございました!



2008.5.16

Novel